2013年8月13日火曜日

When We Were Orphans を読んで・・・

Kazuo Ishiguro



��.文化の観点からみた場合



KAZUO ISHIGUROについては、ただ単に彼の名前を知っていただけであった。それがどうして彼の作品を読んでみようという思いに至ったかと言うと、先ずは「英語と日本語の違い(文化の違い・含む意味の違い)」がわたしの永遠のテーマであること、そしてたまたま彼のインタヴューが新聞記事の中に引用されていて、自分の作品を書く時にあいまいな言葉は使わないという事が述べられていた事からだ。つまり、日本人である彼が英語では書きえない感情、あるいはその言葉を使って表現すれば翻訳される時に誤解を産む可能性があると思うような言葉は書かないという意味かと思ったのだ。



実際のインタヴューを読んでみると、記事の引用と彼の言には少しニュアンスの違いがあるようだ。彼は言語、地域に関係なく全ての人が理解できるテーマでの小説を目指しているらしい。彼は五歳の時イギリスに来て以来、ずっとイギリスで暮らしている。今はロンドンに居を構えイギリス人の奥さんと二人の子供もいる。彼は早い時期からが英語で小説を書き始め、若くしてイギリス文壇に受け入れられた。その理由として、彼は自分のバックグラウンドからだろうと分析している。つまり、自分としては自身インターナショナルな存在と思ってはいないが、イギリスの文壇がインターナショナルな傾向を求めていることに合致したと。イギリスが大英帝国であったときはイギリスイコール世界であり、イギリスの特殊な事象が世界のテーマになり得た。しかし、植民地支配体制が崩れた時、イギリスも世界の中の一つの国にしかすぎなくなった。ヨーロッパの辺境の小さな国の小さな出来事は、もう他の国の人々の関心を引かない。だから彼は、誰もが関心を示せる特殊なテーマではない普遍的なテーマに目を向けていると。



つまり、彼は自分が使用している英語自体には何ら感慨はないようである。英語は彼の自然な言語であり利便性に関しても不都合な点は感じていないように思われる。



��.「小説」の観点からみた場合



  後日・・・書きます。。。。。。







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