2017年2月14日火曜日

『日本人の9割が知らない遺伝の真実』


1月下旬の新聞、「読書欄」で「売れている本」と紹介されていた本です。「行動遺伝学」を研究している安藤寿康氏の著作。

 

思うに、人は「自分が完璧である」(遺伝的に)と思って生きているのでは。しかし、昨今の科学技術の発展は、いろいろな真実を明るみに出します。つまり、遺伝的に完璧な人などいないという事。『ヒトの変異』という本について以前UPしたことがありますが、その本によると、「ヒトの遺伝子は、毎回(人が誕生する時)20%程度は変異している」ということです。

 

人は、遺伝子的に不都合なところがあっても「生きていける」と言えると感じます。その程度のアロウワンスは誤差の範囲内ということか。そのことが、現実に科学の力で明るみに出されると、「差別の構造」が生じてくるということか。著者の意図も「格差社会と遺伝の関係」で、行動遺伝学が誤用される事を恐れての部分もありそう。出来ない事を遺伝子のせいにされ、だから、金持ちになれないのも当然だ…、というような論理のすり替えです。

 
 

 

この本の書評をしている人によりますと、彼は、「空間把握が絶望的に下手」だそうです。そのように人により出来る事と出来ないこと、「向き不向き」は様々で、そこに努力や環境だけでなく遺伝子的要素が働いている…、と考えるのが「行動遺伝学」とのこと。

 

しかし、「だから遺伝子的に不向きな事はやめて、向いている方向に進みましょう。」と言うことではなく、不足する能力を別の方法で補うことで自らの希望する事を出来るようにする事が重要ということ。

 

「遺伝について考える時に大事なのは、私たちの人生を、主体性や自由を損なわずに最適化できるかどうかである。」

 

批評家、早稲田大学准教授の市川真人氏の結論は、

 

「遺伝の認識を差別ではなく可能性の発見と確認として、評価軸の多様化や個人の努力を越えた社会保障の必要性を説く本書は、今日の社会に必要な一冊であるだろう。」

 

です。

 

 

なんか~、映画『ガタカ』を思い出すわあ~。

 

こんな言葉で始まるそうです。(ウィキペディアより)

 

「我々は母なる自然に手を加えようとするが、母もそれを望んでいると私は思う。

 

 

遺伝子操作により、優れた知能と体力と外見を持った「適正者」が数多く存在する近未来。知力体力に非常に優れる「適正者」たちは当然、教育課程においても、社会においても優位だった。一方、自然妊娠で生まれた「不適正者」たちは「適正者」に劣る存在だった。両者の間には社会レベルでも個人レベルでも大きな隔たりがあった。
主人公ヴィンセント(イーサン・ホーク)は、両親の軽はずみな性交渉により「不適正者」として産まれた。弟アントン(ローレン・ディーン)は「適正者」だった。子供のころから「適正者」の能力を目の当たりにし、弟を含め「適正者」たちには決して勝つことができなかった。そんなヴィンセントが小さな胸に抱いた夢は宇宙飛行士になることだった。しかし、宇宙飛行士は「適正者」のみに許された仕事で、「不適正者」には夢のまた夢、なれる可能性など少しもなかった。

 

 

主人公は、なんとか「適正者」のIDを手に入れ、宇宙局ガタカの局員になります。そして、宇宙船に乗りこめると思った瞬間に事件が起こり、彼が「不適正者」であるということが明るみに出そうに。しかし、宇宙船に乗りこむ最終チェックのゲートで、彼を「不適正者である」と知っていた医者や局員(ユマ・サーマン)が、黙って彼にゲートを通らせるのでした~~~。

 

 

未来は、SF小説の中にあると思う…、この頃です。







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