2026年5月11日月曜日

囲碁について


 

囲碁の対局に行く前に唱える呪文があります。対局中に「留意すること」をすぐ忘れてしまうので、家から唱えながら棋院に行きます。


初期からいろいろあって段々変化はしています。


先ずは、

冷静、沈着。傲慢にならず。等々、更新中。


今は、

「全ての人をリスペクト。弱い石を造らない。地をとる手を打つ。」です。



それで先日、指導碁を打ってもらっていたらメチャメチャになってしまって、

「打ち方が雑だ!わたしは打ち込みが深すぎる人だと自覚しなさい!」と言われてしまって、


「わかりました。わたしの呪文に付け加えます。」とお応えしました。


言い訳としては、

この頃なんだか成績が上がってきて(レーティングの)、すっかり「全ての人をリスペクト」がお座成りになり、フン・フン・フンといい加減に打っていました。反省。


それから、わたしは、「脳が燃えるほど考えたい!」という気持ちを忘れていた、と思います。


先生の「君は反省しているようで実は反省していない!」とのお言葉に、深く反省。。。


これからは、呪文に二つ付け加えます。

「わたしは、打ち込みが深い人間だ!」と「脳が燃えるほど考える!」です。


以上です。






2026年5月6日水曜日

数独、その後



 


麻薬のように数独に溺れています。その位置を(私にとっての)ハッキリさせようとしております。


先日、NHKの将棋番組を見ておりました。「棋士の息抜きは何?」という問いに、マージャンとか筋トレとかがありましたが、「将棋の息抜きは将棋です。」というのがありました。


また、高校生棋士では、「将棋の息抜きは、勉強です。」というものも。大学受験のための勉強が息抜きだとか。


思い出しましたが、わたしも受験勉強の時に勉強に飽きたら、数学の問題を解いておりました。パズルのようにバッチリ、ハッキリ、答えがでるところが息抜きとなりました。





そこで、わたしはプロではないので「息抜き」など必要はないのですが、その上仕事も引退しているので、息抜きは必要ないわけです。が、囲碁に打ち込んでいると憂鬱になる。答えが見つからないから。


そこで、数独は、数学のようにバッチリ答えが出て解けるとスッキリするので、どうだろうかと思いました。数独をやる言い訳にです。ストレス解消です。


これで堂々と数独をやれるというものです。いかが?







2026年4月26日日曜日

数独



数独をすると、「なんでこんなことしてるんだろうか?」と思いますが、はまっています。何が生活に人生に役立つかという話は、またの機会にしておきます。


と言って、新聞に掲載されているパズルを解いているだけで、積極的に「やるぞ!」と、行動に起こしているわけではないですが。。。


やってます。




なんとか「★4つ」まで解けるようになりました。が、今日、「★5つ」解けましたあ~~~。


難しいパターンを解く、「定石」というか「手筋」を発見したような~~~感じです。まだ一回しか解けていないので大口をタタカナイヨウニ!します。







2026年4月20日月曜日

季語


 

俳句を羨望しつつ、季語の勉強を全然してません。


隣の家の庭のマーガレットを眺めつつ、「マーガレットは季語なの?」と。どうも初夏の季語のようです。





ロマンスの

風に揺れるや

マーガレット



交わらぬ

線交わりて

春となり


おそまつ!






2026年4月16日木曜日

今日の感想

 

暖かくなりました。。。暑くなったかああ?






春の山   

老いの背に咲く

新芽有り





春の雨

老いたる樹々に

芽吹く葉や







2026年4月8日水曜日

もはや「老人性鬱」ですかね。


 

パスカルの言葉です。


「人間は、死と不幸と無知とを癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことについて考えないことにした。」


人は常に「死」から逃れることが出来ず、常にそれを忘れようとしていると思います。わたしは彫金師でしたが、よく「なんでその仕事をしているの?」と聞かれました。


応えは、この仕事に打ち込んでいると、生きていることを忘れる、時間の存在を忘れる……でした。


人は仕事がない時は、レクリエーションと称してゲームに興じたり、映画を見たり、本を読んだりします。が、それも「自分について考えないように~。」ではないかと。





と言う訳で、今、鬱です。仕事から解放されると「生きている時間」を数えてしまいます。老人性鬱ですよネ。


この頃、パスカルの言葉ようなものに反応してしまいます。


「人は叡智を得たので、死を意識できるようになった。」とか、

「感情を無くせば自分の惨めな状態に耐えることが出来る。」とか、


そうそう手塚治虫氏も「火の鳥」で描いていました。人以外の生物は、おのれの環境、生きている世界になんの不満も言わず、『生きている』と。人だけが「自分の存在」に不満を唱えて、互いに潰しあっている。



それで文明が進化していったとも言えますが……。

なんてね!






2026年3月20日金曜日

本を買う


 

スーパーに行って、久しぶりに本屋さんを覗いてみました。棚積みされていた本の中に興味深いものがあって……、買った。


ひとつは、ホルヘ・ルイス・ボルヘス。彼の本は、見ると買わずにいられない―――のです。『幻獣辞典』。ボルヘスは、もう亡くなっているので新しい本はないのだけれど。。。


小説ではなく、異世界の奇妙な存在を彼なりに分析・解析したものです。ボルヘスの本はたいてい持っているので(買える金額のものだけです。)、買った後で、「ありゃ、同じ本を買っているかもしれない。」と、本棚を覗いたらなかったので一安心です。(同じ内容で題名だけ違うのかもしれないが)。



もう一冊は、『雨月物語』。円城塔の訳ということで買ってしまいました。彼の事は、いつも批判的に投稿しておりますが、内心--興味があるのかも。


『雨月物語』自体にも、もちろん興味があります。ひとつひとつの物語はどこかで読んでいるかもですが、「統一体」としての本は持っていないので。また円城の訳となれば、新鮮なところがあるかもと。


彼は、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞しているので、その辺でも興味あります。


実は、ヴァジニア・ウルフの『波』に挑戦しようと思っていたところなので、どれから読もうか―――迷います。