2026年11月3日火曜日

エンタメSF小説


 


久しぶりにエンタメSF小説を読んでいます。まだ読み終わってはいませんが。『プロジェクト・ヘイル・メアリー』です。


以前、5年くらい前に息子にSF小説を貸しました。ジェイムス・ティプトリー・ジュニアの『故郷から10000光年』です。それを1年くらい前、「読み終わった。」と返しに来ました。その時にこの本を持って来て、「読みます~~~?」と。


それを今、読み始めている訳です。一気に半分ほど読みました。そしたら、この本が上巻だと気付きました。「え~、下もあるのかあ。」と。とてもおもしろいけど、もう1冊か。




太陽光を食い荒らす謎のバクテリア。宇宙空間で何が起こっているのか。その集団は太陽エネルギーの10%を喰いつくし、その後新たな獲物を狙いに行くのだーーーというところまでわかりました。10%と言えども人類は滅亡してしまいます。


その解決のプロジェクトに一人挑む主人公ーーーというお話です。映画化もされています。どこかで宣伝文句を読んだような気もしますが・・・・。



とにかく、読み始めたら終わりそうにないので、気を付けながら読んでおります。また報告します。







2026年10月28日水曜日

繰言ですが…


 


最近キッチンのリフォームをしました。約30年ぶりの新しいキッチンは、ーーー進歩しましたねェ。


一番気に入ったところは、蛇口がシャワーになるところ。それも、丸く水が出てくるのではなく、縦長のかたちで出てきます。なんだか、当りが滑らかで水が広範囲になる感じ。


なんだかね、と、思うところは、引き出しだらけで細かい間仕切りもあり、「どう使うの?」と。直接食器などを入れるとゴキブリはどうなのと。引き出しで密閉されているところは、いいかなあと思いますが。


そして、抽斗がある程度押し込むと自動的にしまります。必死に押し込もうとすると圧力に押し返されて力がいります。わたしがそうしていたら、リフォームスタッフが自動的に閉まりますよと、少々冷笑。




これは便利だ!とは、いかない。幼い時から教えられ続けてきた「抽斗は最後までしめること。」とか「ドアは、きっちり閉めましょう。」とかは、どうしてくれるの。この「教え」を放棄するのか。


というところで、便利になるといろいろなことが忘れられていくな~、というお話。トイレは、自動的に水が流れ、蛇口もセンサーで水が出てくる。


IoT(Internet of Things)が行き渡っていますが、最近のAIによる乗っ取り事件などを見るにつけ、この先身の回りの電化製品とか自動車とかどうなるの、と。


という繰言でした。






2026年10月14日水曜日

久しぶりに『折々のことば』です。


 


「文字ノ精ガ人間ノ眼ヲ食イ荒ラスコト、猶、蛆虫ガ胡桃ノ固キ殻ヲ穿チテ、中ノ実ヲ巧ミニ喰イツクスガ如シ」


中島敦氏の短編小説からの引用です。


文字の霊を調べる老博士が、文字のバラバラの線に意味を与えるのは文字の霊だと直観する。同時に文字を知ることが、見落としが増えたり、臆病になったりと、生そのものに障ることに戸惑う。


もう一つ、


「何事にも辻褄を合わせたがることの中には、何かしらおかしな所がある。」


同じく中島敦氏の短編小説『文字禍』からです。


着衣が皮膚を、乗り物が脚を弱くしたように、文字とともに人の頭脳はむしろ働かなくなった。と。




私が常々思う事です。人は何かを定義するたびに、定義からすり抜けていったものを見失う。何かをマニュアル化することで、一般人には使いやすくなったり、何かを作り上げたりし易くなるが、マニュアル化から抜け落ちたものに気付かなくなる。


「言葉」もそうです。感情を言葉にすると、そこから何かが抜け落ちる。


この『折々のことば』は、哲学者のものではなく小説家の小説の中からのものということで、この短編集『文字禍』に興味を持ちました。アマゾンでしらべると今では、出版されていないようです。


しかし、円城塔が中島敦をリスペクトして同じ題名の小説を書いている模様。円城塔自身の小説は、『Self-Reference ENGINE』しか読んでいません。あまり評価していないのですが、しばしば、円城塔に出会います。何かしらの因縁があるみたいです。



読むかどうか、ーーー考慮中。。。






2026年9月23日水曜日

数独、その後



 


なんやかや言いながら、数独パズルをやり続けています。新聞のパズル欄だけですが。


この頃では、★4つは、ほぼ解けています。思う事は、「数独は達成感が半端ないが、何の役にも立たない。」について、「う~~~ん、役に立っているかも。」と。


と言うのも、★4つで解けない時は、どうも忍耐が足りないんじゃないかと。調子よく解けているとーーー、つまり調子に乗ってしまって考えが滑ってしまうのです。1箇所間違えると、そのままずるずると全てが間違いの方向に行ってしまいます。





この忍耐が足りないということは、つまり体力が足りないんじゃないかと。脳の体力です。「脳筋」を鍛えるべきだと。これは、囲碁にも言えることなんです。わたしの場合ですが。


あと少し考えれば良い手が打てるのに、「えいッ、ままよ!」と行ってしまいます。そこで、もう一歩考える体力があればということです。対局していると、頭脳差もあるけれど体力差もあるのではと思うこの頃です。



数独はスカッとするけれど、それ以上には行かない。だから人は、結果的に自分でゲームを造り始めるのではないかと思いました。囲碁の対局に終わりはないが、詰碁には終わりがある。そして、人は詰碁を創り始める……そんなところでは。


とりとめもない文ですが、これからも数独はし続け、囲碁に役立つ脳の体力を鍛えようと思います。言い訳です。







2026年9月16日水曜日

最終稿



 

いろいろ考えまして~~~、悩んだんですが~~~、悩む必要もない駄作だとも。。。



疎ましき

草叢に啼く

虫愉し



ちゃんと俳句の勉強をしよ・・・と反省。







2026年9月14日月曜日

秋になりましたかね~



 

少々涼しい日が続きましたが、今日はまた暑いです。


少々、考えてみました。



疎ましき

雑草だに

虫の声





草刈りや

持て余す庭

虫鳴くや



まだ、悩み中です。どうかなあ~。







2026年9月10日木曜日

『虫祓いの宦官師弟』、読み終えました~。





中華ミステリー、大好きです。 昔の中国ですが。 大きなお屋敷に閉じ込められている妙齢な御婦人たちとか、使える使用人同士のごちゃごちゃとか、たまにやってくるご主人様とか。 そして、宦官です。

本書は、章立ての一つ一つが完結するミステリーで、最後にまとめてすべての話が完結します。

時代考証はわかりませんが、工程の娘が暮らす公主府で幽鬼騒ぎが起き、その解決のため若き宦官が寺に使いに出されます。 その道中で「幽鬼を祓うことができる」という汚らしい子供に出会い、そのみすぼらしさに同情して屋敷連れて帰ります。






その宦官の子供が事件を解決して行くわけです。 大いなる虫の知識が事件への解決に導きます。 つまり「虫祓い」です。

若い宦官は、弟子が出来たと喜びますが、実際は、その13歳のこどもが事件を解決しているということ。

 明智小五郎みたいに、名探偵とその助手の少年かと思いきや「人の好い師」と「はしっこい子供」のコンビでした。 充分に楽しめましたが、もうこの一冊で良いかと。 


と、思いきや、(最後の)エピローグで信じられないーーー事実が。 で、もう一冊くらい読んでみようかなあ、という気になっています。