2026年8月7日金曜日

また本を買ってしまった。


 

ほんとにネ。まだ読んでいない本がたくさんあるのに買ってしまいました。それは、毎日、新聞を読んでいるからです。本の広告があると、記事よりもそちらに目が行ってしまって。


今回は3冊、興味あるものが見つかりました。


『一外交官の見た明治維新』

『虫祓いの宦官師弟』

『ゾンビ回収婦』


です。




ほんとは一冊目の『一外交官の見た明治維新』が一番読みたかったんですが、アマゾンでは売っていませんでした。古本ならアリです。で、一時保留。


2冊目は、中華ミステリーみたいですが作者は日本人のよう。ベストセラー作家のようなので、知らないのは私だけかもしれない。中国ミステリーのどろどろしたのも好きです。登場人物もドロドロしていそうだし、読めそうです。


3冊目は、最近芥川賞を受賞した作品です。賞をとったからと言う訳ではありません。題がスゴソウ。アマゾンで検索したら、賛否両論でした。ちょっと迷ったけど、自分で判断しようと買いました。なんだか、大江健三郎を彷彿とさせたからです。訳の分からないSF見たいなあ~~~。


と言う訳で、今回は2冊購入です。







2026年8月2日日曜日

再考



 

日曜日には新聞に俳句・短歌欄があります。一般公募作です。見るたびに「あ~~ぁ。」とため息をついてしまいます。


先回のUPの俳句ですが、ずっと後悔しています。最後の文字数が4になっていること。それで駄作を再考することも気が引けますが、


酷暑日の

アトモスフィアの

沈黙に


あるいは、


酷暑日の

アトモスフィアの

沈黙…


???






2026年7月26日日曜日

暑い日が続きます。



 

ほんとに。ちょっと洗濯物を干すだけで、めまいがしそうです。新聞を取りに行くと熱風に襲われます。


少々、俳句トライしてみました。


酷暑日の

アトモスフィアの

沈黙


どうでしょうか。






2026年7月21日火曜日

片桐はいりさん


 

「片桐はいり」は、私の好きなというか興味のある役者です。以前はテレビのドラマなどでよくお見掛けしましたが、最近は見ませんねえ~。舞台の役者さんなのでテレビにあまり出ないのか。


特徴ある風貌で、つまり顎の線が強調されているのですが、その線を強調するばかりのヘアースタイルです。顎のところで刈りそろえたボブです。


『徹子の部屋』で見たとき、徹子さんが「その髪型を変えないのですか?」というようなことを質問しましたが、はいりさんは、「何か問題でも。」という応え。徹子さんは、「いえ、何も。」と。


笑ってしまいました。



で、


片桐はいりさんが『折々のことば』で取り上げられていました。

「ほんとうに、近頃は自分の体に、どうしたの? とたずねる機会が多いのだ。」


同感です!!!


「若いうちは気持ちが体を通り抜けて外の世界に向かうが、歳がいくとその過程を支えているものにより多く意識は向かう。」


ほんとにネ。


若い時は、なにも考慮することなく「日常」が通り過ぎて行ったが、今は、ひとつひとつ自分の体に聞かなければならない。


年とるとスタートアップするまでに時間がかかるのよ~、と言うと、「何もやることないからいいジャン!」と言われた。然り。。。







2026年7月16日木曜日

なんて、こったい!


 


『紙で読むと 脳のコスパ良い?』、と言う最近の新聞記事です。


結論を言うと、「紙で読む方が脳の余計な活動をおさえられる『省エネ化』に役立つようだ。」ということ。東京大の酒井邦嘉教授の研究グループの発信です。


今回は漫画を用いての実験ですが、小説でも調査してみたいとのこと。調査方法は割愛させてもらいますが、紙で読むと内容を理解しやすく、脳の活動を節約できたとみられると。


紙で読むとページをめくるわずかな時間で脳内が整理され、理解につながる。また、紙面の位置関係で全体が掴みやすく内容を構成しやすい。





で、「なんて、こったい!」は、


これ朝日新聞の記事なんです。なのに何故、「デジタル新聞」を薦めるかなあ~。わたしに。メールが来ます。「今なら500円追加で、紙とデジタル版と両方読めます。」とか。新聞に入るチラシでもしつこく薦めてきます。


そして、いつの間にやら夕刊がなくなるし、新聞休刊日があるし。休刊日でも「デジタル版」は読めますよって……。何らかの陰謀に違いない。。。


わたしは、紙で読みます。これからも。







2026年6月28日日曜日

『からみあう世界』


 


なんだかSF小説にありそうなタイトルでしょ。(気に入っています。)


若い時、「人は一人では生きていけないんだよ。お互いに関わり合い助け合いながら生きているんだよ。」って、言われたことないですか?


若い時分は、「ヘン、わたしは、わたしで生きているんだよ!」なんて思っていましたが、最近とみにそう思います。歳のせいか、「一人で生きているんじゃない。」って。



ほんとに。


わたしは今PCを使ってこの文章を書いていますが、この行為一つ取ってみても万人が関わっています。パソコンを創造した人。製造する人、配送する人。配送する人の車を造る人。その人が食べる食事を配食する人。等々などなど、数え切れません。


それで、それをどう思うか?


武田鉄矢の如く、「人と言う字はねぇ~。」と思うか、チャップリンの「モダンタイムス」のように、「人はこの世に組み込まれた一つの歯車でしかない。」と思うか。


その答えを探し続けているのが、「学問」であり「芸術」だと思います。特に「真の芸術家」の悲劇はここに由来しているのでしょう。万人の悲劇を一身に受け止め懊悩しています。


実際、人はこのような仕組みを完成させたので、ここまで進化してきたんでしょう。ここで後退するわけにもいかず、ーーーーーー「解決」は「学問」の方に任せましょうかネ。







2026年6月23日火曜日

今日の「唸ってしまった」。


 

「内容を欠いた思考は空虚であり、概念を欠いた直観は方向を見失っている。」

―――イマヌエル・カント



『折々のことば』です。


人間の認識には二つのが源泉がある。感覚に与えられるものを直観的に受け取る能力と、これらを通して対象を概念的に掴む能力だと、ーーーカントの言葉です(18世紀ドイツの哲学者)。直観を欠けば思考は野放図になり、概念を欠けば直観は偶然に流される。





引用が長くなりましたが、「え~~~っ、囲碁のことジャン!」って、唸ってしまった訳です。


対局で、「訳も分からずに感覚だけで、上手くいくだろうと適当に打っていても、な~~~んにもなりませんよ。直観は必要ですが、その後の『読み』がなければ無駄なことです。」なんて、先生に言われていた事ジャン、って。


哲学は、日常に潜んでいるんだなあ~、と思った次第です。