日曜日には新聞に俳句・短歌欄があります。一般公募作です。見るたびに「あ~~ぁ。」とため息をついてしまいます。
先回のUPの俳句ですが、ずっと後悔しています。最後の文字数が4になっていること。それで駄作を再考することも気が引けますが、
酷暑日の
アトモスフィアの
沈黙に
あるいは、
酷暑日の
アトモスフィアの
沈黙…
???
旅・本・自作の作品・・・及び、日々の雑感。
日曜日には新聞に俳句・短歌欄があります。一般公募作です。見るたびに「あ~~ぁ。」とため息をついてしまいます。
先回のUPの俳句ですが、ずっと後悔しています。最後の文字数が4になっていること。それで駄作を再考することも気が引けますが、
酷暑日の
アトモスフィアの
沈黙に
あるいは、
酷暑日の
アトモスフィアの
沈黙…
???
「片桐はいり」は、私の好きなというか興味のある役者です。以前はテレビのドラマなどでよくお見掛けしましたが、最近は見ませんねえ~。舞台の役者さんなのでテレビにあまり出ないのか。
特徴ある風貌で、つまり顎の線が強調されているのですが、その線を強調するばかりのヘアースタイルです。顎のところで刈りそろえたボブです。
『徹子の部屋』で見たとき、徹子さんが「その髪型を変えないのですか?」というようなことを質問しましたが、はいりさんは、「何か問題でも。」という応え。徹子さんは、「いえ、何も。」と。
笑ってしまいました。
で、
片桐はいりさんが『折々のことば』で取り上げられていました。
「ほんとうに、近頃は自分の体に、どうしたの? とたずねる機会が多いのだ。」
同感です!!!
「若いうちは気持ちが体を通り抜けて外の世界に向かうが、歳がいくとその過程を支えているものにより多く意識は向かう。」
ほんとにネ。
若い時は、なにも考慮することなく「日常」が通り過ぎて行ったが、今は、ひとつひとつ自分の体に聞かなければならない。
年とるとスタートアップするまでに時間がかかるのよ~、と言うと、「何もやることないからいいジャン!」と言われた。然り。。。
『紙で読むと 脳のコスパ良い?』、と言う最近の新聞記事です。
結論を言うと、「紙で読む方が脳の余計な活動をおさえられる『省エネ化』に役立つようだ。」ということ。東京大の酒井邦嘉教授の研究グループの発信です。
今回は漫画を用いての実験ですが、小説でも調査してみたいとのこと。調査方法は割愛させてもらいますが、紙で読むと内容を理解しやすく、脳の活動を節約できたとみられると。
紙で読むとページをめくるわずかな時間で脳内が整理され、理解につながる。また、紙面の位置関係で全体が掴みやすく内容を構成しやすい。
で、「なんて、こったい!」は、
これ朝日新聞の記事なんです。なのに何故、「デジタル新聞」を薦めるかなあ~。わたしに。メールが来ます。「今なら500円追加で、紙とデジタル版と両方読めます。」とか。新聞に入るチラシでもしつこく薦めてきます。
そして、いつの間にやら夕刊がなくなるし、新聞休刊日があるし。休刊日でも「デジタル版」は読めますよって……。何らかの陰謀に違いない。。。
わたしは、紙で読みます。これからも。
なんだかSF小説にありそうなタイトルでしょ。(気に入っています。)
若い時、「人は一人では生きていけないんだよ。お互いに関わり合い助け合いながら生きているんだよ。」って、言われたことないですか?
若い時分は、「ヘン、わたしは、わたしで生きているんだよ!」なんて思っていましたが、最近とみにそう思います。歳のせいか、「一人で生きているんじゃない。」って。
ほんとに。
わたしは今PCを使ってこの文章を書いていますが、この行為一つ取ってみても万人が関わっています。パソコンを創造した人。製造する人、配送する人。配送する人の車を造る人。その人が食べる食事を配食する人。等々などなど、数え切れません。
それで、それをどう思うか?
武田鉄矢の如く、「人と言う字はねぇ~。」と思うか、チャップリンの「モダンタイムス」のように、「人はこの世に組み込まれた一つの歯車でしかない。」と思うか。
その答えを探し続けているのが、「学問」であり「芸術」だと思います。特に「真の芸術家」の悲劇はここに由来しているのでしょう。万人の悲劇を一身に受け止め懊悩しています。
実際、人はこのような仕組みを完成させたので、ここまで進化してきたんでしょう。ここで後退するわけにもいかず、ーーーーーー「解決」は「学問」の方に任せましょうかネ。
「内容を欠いた思考は空虚であり、概念を欠いた直観は方向を見失っている。」
―――イマヌエル・カント
『折々のことば』です。
人間の認識には二つのが源泉がある。感覚に与えられるものを直観的に受け取る能力と、これらを通して対象を概念的に掴む能力だと、ーーーカントの言葉です(18世紀ドイツの哲学者)。直観を欠けば思考は野放図になり、概念を欠けば直観は偶然に流される。
引用が長くなりましたが、「え~~~っ、囲碁のことジャン!」って、唸ってしまった訳です。
対局で、「訳も分からずに感覚だけで、上手くいくだろうと適当に打っていても、な~~~んにもなりませんよ。直観は必要ですが、その後の『読み』がなければ無駄なことです。」なんて、先生に言われていた事ジャン、って。
哲学は、日常に潜んでいるんだなあ~、と思った次第です。
「彼らは他の書類の動物の声を聞き、よく観察して生きているのです。」
鈴木俊貴さんの言葉です。『折々のことば』で見ました。彼の事は、「サイエンスゼロ」や新聞の記事などで拝見しました。シジュウカラの鳴き声を研究している人で、彼らは言葉を話しているのだと発見しました。
また、シジュウカラ同士だけでなく、他の鳥も彼らの鳴き声を理解し、同様に行動します。「蛇が来た。」と彼らが警戒すると、他の鳥も理解し警戒行動をとります。等々。
彼は、そんな自然の世界から人間だけが取り残されてしまった(切り離されてしまった)と言っています。
そうだよな~、っと。昔の人間は、彼らの声を聞き分け、理解し、生活していたのだ。そんな昔でなくとも、マタギは動物の声・心を読んで狩りをしています。矢口高雄の漫画などよく読んでいましたねぇ~。また『シートン動物記』は、小学生の時のお気に入り本でした。
もはや、我々は彼らの言葉がわからない。……。「何故か?」という妄想はありますが、長くなるのでまたの機会に。。。
ただ一つ、火星に人類の世界を創り、住みたい人は、自然に支配されるのが我慢ならず、一から「自然を創造しようとしている」のだ……と考えてしまいます。反対に、自然の声を聞き、謙虚に暮らそうとしている人々もたくさんいます、と思います。