2020年2月28日金曜日

コマーシャルから。。。

学問を将来の経済活動とリンクするのは、どうかな?

それは、技術と呼ぶんじゃないの?

なんとか塾さん。

『動物が幸せを感じるとき』という題名は誤解を生むかも///









『動物が幸せを感じるとき』という題名。原題は『Animals Make Us Human』。ずいぶん違う題名のように思われます。



訳者は「あとがき」で次のように説明しています。



「グランディン(著者はTemple Grandin)が本書で訴えたいのは、私たちは、動物のおかげで人間として生きているのだから、動物に幸せな暮らしをさせる責任があり、どうすればその責任を果たせるかということです。原題には、動物に対する感謝の気持ちがこめられているのではないでしょうか。」



しかし、『動物が幸せを感じる時』という題名を見る時、わたしは単純に「動物はどんな時に幸せを感じるのかな~。」とか、「動物に幸福感を抱かせるにはどのようにするのが正しいのかなあ~。」とかの興味が湧いてしまいます。 



そんな興味でこの本を読むと、がっかりします。著者はなんでこんな題名を付けたのかと。しかし、よく考えてみると、この題名は著者が付けたのではなかった。著者は、『Animals Make Us Human』という題を付けたのでした。この題名は訳者の陰謀か出版社の陰謀です。



わたしは、動物自体にはあまり興味はありませんが、人間が絡んでくると話は別です。子供の頃に犬を飼いたくて、『犬を飼う知恵』という本を買って読みました。そうして相当な世話をしなければ犬は幸せにならないのだと理解して、犬を飼う事は断念しました。わたしには、自分の時間を割いて動物を世話すると言う「奉仕」の心がない模様。










著者は自閉症でした。成長して動物学者になったという経歴です。この本は彼女の二冊目の本らしく、両者とも全米ベストセラーになっています(もう一冊は『動物感覚』)。自閉症だったことから、自分の意志がわかってもらえない経験で、もの言えぬ動物の内面を推し測ることができるとか。



人間に飼われている動物がいかに不当な扱いをされているかを指摘し、そして人間が動物を飼う事をやめることができないのなら、動物の暮らす環境を少しでも向上させようというのが、彼女の意図のようです。



彼女は動物園などの環境整備のための仕事をしていますが、同時に精肉業界のためにも働いています。なぜ、そのような精肉業界の利益の為に働くのかと、動物擁護の団体によく批難されるそうです。しかし、彼女は業界で働く先進的な管理者、あるいは敬意と愛情を持って牛や豚などに接する作業員を見て、人々に肉食をやめるように説得する側でなく、業界を改善する側に従事しようと思ったのです。



「わたしは長年の間じっくり考えて、食料にされる動物と人間との関係は共生にちがいないという結論に至った。共生とは、ふたつの生物のあいだで相互に恩恵がある関係だ。人間は動物に餌と棲みかを与えそのお返しに、繁殖牛が生んだ子牛のほとんどを食料とする。」



著者が「あとがき」で述べている文章です。



本当にそうだろうか。自らが食べられるまでの間、餌と棲みかを与えられて、動物はありがたいと思うのか。成長する前に食べられてしまう命を与えられて、それが幸せなのか。典型的な功利主義かなと思う。幸せの量を計算し、より多くのものが幸せと感じる方を選ぶ。大多数の幸せのために、少数の不幸を考慮しないという事。もちろん、わたしも肉は食べる。しかし、動物との共生関係などとは考えない。我々はただ殺生しているのみだ。どちらが正しいのかはわからないが、「殺す」言い訳にはしたくないと思います。





「人と動物の共生」などとは、とても言えないよ~~~。





「人間」を神が作りたもうたこの世で最高の特別な存在とする文化と、アジアやアフリカ南米などの自然を畏怖する(アニミズム)文化の違いかなと思いました。とは言え、この本全体を通して批難しているのではなく、興味深く読みました。(ところどころ「???」という所はあるものの)。







内容は、



動物の幸せ





野生の動物

動物園







ニワトリ



という章立てになっています。



それぞれの章で、ふ~~~ん、なるほどと思う個所があります。特に「牛・豚・ニワトリ」の章は、「食べられるために飼育されている動物」ですから、その取り扱われ方に心苦しさを感じます。ニワトリの扱いは哺乳類でないため特にひどいのかも。



日本のことは知りませんが、この本によるとアメリカの精肉業界には「福祉監査」という制度があるようです。動物が適切に扱われているか監査するわけですね。著者もマクドナルド社に監査を頼まれて初めて出向いた時は、「ワァッー」と言うほどひどい環境だったと書いています。それでも、マクドナルドのような大手の会社が、取引先の監査を依頼すると、精肉業者は取引を打ち切られないように努力するので、環境が大幅に前進するとの事です。



ニワトリの場合はその生活環境という前に、直接身体的な苦痛を味合わされます。著者はそのことを三点指摘しています。



作業員の乱暴な扱い。業界の悪い習慣。粗悪な遺伝形質です。作業員たちが自分たちのレクレーションのためにニワトリを物のように投げ合ったりしている様子は、ユーチューブなどにも流れました。業界の悪い習慣とは、ひとことで言ってしまえば、作業の効率化や設備投資の経費節減のために起る粗悪な環境という事でしょうか。最後の遺伝子形質については、ほんとに、う~~~ん、と唸ってしまいました。



育種業者は最も生産性の高い(たくさん卵を生み成長もはやく体重も多い)遺伝子を選んでそればかり繁殖させるので、極端な選択による悪い結果が現れてきます。例えば、卵をたくさん産むように操作された雌鶏は自分自身のカルシウムを減らすので骨折が多くなります。



早く成長するように品種改良されたブロイラーは、骨が充分形成される前にどんどん成長するので、骨の形状に問題が起こり、生まれながらの奇形となります。ニワトリの餌には痛み止めの薬が処方されているようで、この餌を好んで食べるものも見られるといいます。



また、胸肉を大きくするように遺伝子操作されたオスは、巨大な胸がじゃまをして自然な交尾ができなくなる傾向にあります。七面鳥の場合は、すでにメスは人工授精を受けなければいけない状況です。豚の場合も、より大きくという選択で、体重を支えきれず脚の骨折が頻繁に起っているようです。「脚を引きずって歩く姿が多くみられる」と書かれていました。



ほんとに、人間はどこまで突き進んで行くのかなあと感じてしまいますね。著者のスタンスは、「人間は農場の動物を繁殖させ飼育しているのだから、動物が相応な生活をし、痛みのない死を迎えさせる責任を負っている。動物が生きているあいだは、物質面と精神面の欲求を満たしてやるべきだ。」というものです。



これは、「処理工場の設計をしているのに、よく動物のことを心配できますね。」としょっちゅう聞かれることに対する彼女の答えです。この辺のことは、少々判りかねるところもありますが、ともかく、彼女のおかげで動物たちの環境が向上していることは確かです。





動物に関係ない事柄に関しても、興味深い所は多々ありました。原題と日本語の題名が違う事で、著者に文句を言う訳にはいきません。その違いに翻弄されないように内容自体を読みましょう。わたしは、誤解して著者に怒りを感じちゃったので。反省します。