前回ご紹介したジェームス・ジョイス著『ダブリン市民』の一編目の作品です。読み終えましたが、筋は単純でどこがどのように面白いのかが、イマイチ……、というところです。
内容は、近所に住む神父さんが病死し、そのまわりの住民の神父さんへの「思い」でしょうか。そのことを神父さんと親しかった少年が、一人称で語ります。その少年は、おじさんとおばさんの家で育てられていて、貧しい暮らしにむき。その神父さんとは友達。というか、勉強を教えてくれる先生のようでもあります。少年は彼のことをとても好きだったようで、尊敬もし彼の偉業を称えますが、神父さんが亡くなって、「なにか自由になったような気もする」という感想ももらします。
夕食時におじさんの家を訪れたMr. Cotterは、神父と少年の関係について揶揄し、神父に対してoffensive。少年はそのことに気を悪くし、
I crammed my mouth with stirabout(夕食に出たオートミールのようなもの) for fear I might give utterance to my anger. Tiresome old red-nosed imbecile! と。
次の日の夕刻、日が沈んでから、少年のおばさんは少年を連れて、神父さんの家にお通夜へ。そこに、神父さんのふたりの妹がいると言う訳――THE SISTERSです。シスターズは、修道女のことかと読む前は思っていましたが、ほんとうの妹のようです。このお通夜は、おばさんとSISTERSの会話で進んで行きます。少年は、彼女たちの「おとなの会話」を所作無げに聞いている様子。
「おとなの会話」は、おばさんのお悔やみの言葉とシスターズの神父がどんなに良い人だったか、ということ。そして、神父の最近の様子などに至ります。そして、長い沈黙の後、妹の一人、Elizaが、言います。
---It was that chalice he broke……..That was
the beginning of it. Of course, they say
it was all right, that it contained nothing, I mean. But still….They say it was the boy’s
fault. But poor James(神父さん) was so nervous, God be merciful to him!
なんやら、彼の死は、杯が壊れたことに関係あるみたいなんです。みんなは、それは彼のせいではなく、ミサのサービスをしたBOYが割ったんだと言っています。彼に責任はないと。しかし、その後、神父はふさぎ込みがちになり、結局、彼はチャペルの彼の告解室に坐って亡くなっているが見つけられました。
この最後の…、彼が亡くなっている様子の表現の仕方に「どういう意味が」含まれているのだろうかと、わたしは思案している訳です。と言うのは、それまでは、何事もないような日常が描かれていたのに、神父さんが亡くなった話だとは言え、突然「事件」が起ったような感覚です。
そこで、この本(Dubliners)のはじめにあるIntroductionを読む覚悟をしました。なぜならそれは、40ページくらいあるから。
それに依りますと、ジョイスはこの作品集を1905年に書き上げましたが(20歳代前半)、出版されたのは、1914年。それは何故かと言うと、
His printer too was fearful that Joyce’s
realism about sexual matters would offend contemporary taste and lay both
printer and publisher open to legal penalty.
そして、次の出版の機会にはこのように書かれています。
This time the book got as far as the print
stage, only for the complete edition to be destroyed at the very last moment
as, once again, a printer and publisher took fright, reckoning now with the
possibility of libel actions on account of its many references to living
persons. Finally in 1914 Richards took
his courage in his hands and issued the book without suffering any of the dire
consequences he had earlier envisaged.
ジェームス・ジョイスは、イプセンに心酔していたらしく、そのリアリズムを継承しました。このイントロダクションには、何回も彼のリアリズムに言及していますので、キーポイントは、この「リアリズム」のようです。
だから…、そんなことです。(投げやり……)。
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