以前、『ゾミア』を読んだ時の感想でも書きましたように、「国家」という概念は近代のものです。そして、主に西洋の思想から来ていると思います。明治維新の時に、日本も「日本」という国家で日本がまとまることで、西洋列強の国々と互角に渡り合おうとしました。ゾミアは、そんな国家から意識的にドロップアウトした人々の「居場所」でした。今の世界は、そんな国家の国境線が隙間なく引かれ、もはや、「どこでもない場所」は世界地図には存在しなくなってきています。
今まで当たり前のように受け入れてきた国家の概念や民主主義、資本主義を、西欧近代の力の衰えとともにもう一度考え直してみるべき時だと思います。『謎の独立国家ソマリランド』の感想でも触れましたが、ソマリランドの国としての枠組みは、ソマリランドの議会に参加しているCLANによって、確定されます。つまり、ひとつひとつのCLANが支配している場所の実体が即「国家」ということです。先回UPした「イスラム国」も、彼らは西欧諸国が引いた国境線に異を唱えている訳ですしね~~~。
そこで、最近みた書評の中から少しばかり本の紹介を試みます。例の如く、書評を読んだだけで、「本自体」は読んでおりませんのでアシカラズ……。
『劣化国家』 ニーアル・ファーガソン著。
昨今の経済危機の状況を、歴史学者である著者が分析しています。問題の本質は西洋世界の「大いなる衰退」であると、西洋文明の発展を支える四つの基幹装置が壊れつつあると。
<民主主義>は、政府債務の膨張を通じ(国債なんかでしょうかね~)将来世代への負担の先送りを許している。
<資本主義>の下の複雑な金融規制は弱肉強食の経済を制御していない。
<法の支配>は「法律家の支配」になり下がり、自由な<市民社会>には衰えが目立つ。
『デモクラシーの生と死』 ジョン・キーン著
彼は政治学者です。西洋デモクラシーのドグマを退けています。デモクラシーを「非時間的」なものと考えること、あるいは、デモクラシーを19世紀の発明とすることなどです。デモクラシーは、抽象的概念としてあるのではなく、また、19世紀に突然考え出された概念でもない。すべてのことは、過去・現在・未来と脈々と繋がっていくものなのです。
集会デモクラシーの起源は、紀元前6世紀末のギリシャ・アテナイではなく、前2000年の古代ミケーネ文明、「デーモス(民衆)」が語源である。代表デモクラシーも英仏の市民革命から突然誕生したものではなく、12世紀のスペイン北部で誕生したコルテス(議会)に起源があります。つまり、イスラムが係わっていると言うことです。また、20世紀後半から始まった非政府組織による権力監視システムを取り入れたモニタリング・デモクラシーは、インドで起りました。デモクラシーに必要不可欠だと思われていた中産階級の存在や共通の文化で結束している民衆を欠いたところで発生したのです。
しかし、デモクラシーは、それを支えていたものが時代と適合しなくなった時に死にます。代表デモクラシーは、貨幣経済の拡大と軌を一にしていますが、資本主義が段々形を変え、代表デモクラシーの理念と乖離しつつある時、この帰結はどうなるでしょうか。
『人類五万年 文明の興亡――なぜ西洋が世界を支配しているのか』 イアン・モリス著
英国生まれ、米スタンフォード大学の歴史学教授です。本書は、氷河期が終わった紀元前一万四千年から現代に至るまで、エネルギー獲得量や都市化度合いが示す「釈迦発展の鼓動」を基に著者が独自に指数化した「社会発展指数」を駆使しながら、西洋と東洋の興隆と衰退を解明する……、と言うもののようです。
彼によれば、6世紀半ばから18世紀後半にかけて東洋が西洋をしのぎ、その後は西洋が圧倒したということ。それは、いずれも当時の政治上、経済上の地理的条件の違いが決め手だったと。21世紀には、東洋が西洋を再逆転するとみられるが、本当の関心は「私たちがどこに向かうのか」と言うこと。
書評の最後に書かれていることをそのまま引用します。
「私たちは、歴史における最大の断絶点」に近づきつつある。「新しい存在に進化する」のか、「夜来る」なのかは、「時代が必要とする思想」を手に入れられるかどうかにかかっている。
★★★
国際政治学者の田中明彦氏は、「自由主義的な民主政治と市場経済が成熟し、国と国との相互依存が深まっていく。同時に、巨大企業やNGOのような国境を越えたネットワークが、中世ヨーロッパのハンザ同盟のように重要な存在になる。国と国がせめぎ合う「近代」から脱し、むしろ「中世」に似た世界に進みつつあるのです。」と述べていました。
わたしも人工的に作られた「国家」というものでなく、何か違ったものの結びつきで人間社会が出来上がればなあ、なんて。確か、『ヒトの変異』だったと思いますが、「人種の違いより、人と人の個人の差異の方が大きい。」ということを読みました。「実際、人種などというものは存在しないのだ。」とも。
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