2026年6月28日日曜日

『からみあう世界』


 


なんだかSF小説にありそうなタイトルでしょ。(気に入っています。)


若い時、「人は一人では生きていけないんだよ。お互いに関わり合い助け合いながら生きているんだよ。」って、言われたことないですか?


若い時分は、「ヘン、わたしは、わたしで生きているんだよ!」なんて思っていましたが、最近とみにそう思います。歳のせいか、「一人で生きているんじゃない。」って。



ほんとに。


わたしは今PCを使ってこの文章を書いていますが、この行為一つ取ってみても万人が関わっています。パソコンを創造した人。製造する人、配送する人。配送する人の車を造る人。その人が食べる食事を配食する人。等々などなど、数え切れません。


それで、それをどう思うか?


武田鉄矢の如く、「人と言う字はねぇ~。」と思うか、チャップリンの「モダンタイムス」のように、「人はこの世に組み込まれた一つの歯車でしかない。」と思うか。


その答えを探し続けているのが、「学問」であり「芸術」だと思います。特に「真の芸術家」の悲劇はここに由来しているのでしょう。万人の悲劇を一身に受け止め懊悩しています。


実際、人はこのような仕組みを完成させたので、ここまで進化してきたんでしょう。ここで後退するわけにもいかず、ーーーーーー「解決」は「学問」の方に任せましょうかネ。







2026年6月23日火曜日

今日の「唸ってしまった」。


 

「内容を欠いた思考は空虚であり、概念を欠いた直観は方向を見失っている。」

―――イマヌエル・カント



『折々のことば』です。


人間の認識には二つのが源泉がある。感覚に与えられるものを直観的に受け取る能力と、これらを通して対象を概念的に掴む能力だと、ーーーカントの言葉です(18世紀ドイツの哲学者)。直観を欠けば思考は野放図になり、概念を欠けば直観は偶然に流される。





引用が長くなりましたが、「え~~~っ、囲碁のことジャン!」って、唸ってしまった訳です。


対局で、「訳も分からずに感覚だけで、上手くいくだろうと適当に打っていても、な~~~んにもなりませんよ。直観は必要ですが、その後の『読み』がなければ無駄なことです。」なんて、先生に言われていた事ジャン、って。


哲学は、日常に潜んでいるんだなあ~、と思った次第です。







2026年6月12日金曜日

今日の妄想


 

「彼らは他の書類の動物の声を聞き、よく観察して生きているのです。」


鈴木俊貴さんの言葉です。『折々のことば』で見ました。彼の事は、「サイエンスゼロ」や新聞の記事などで拝見しました。シジュウカラの鳴き声を研究している人で、彼らは言葉を話しているのだと発見しました。


また、シジュウカラ同士だけでなく、他の鳥も彼らの鳴き声を理解し、同様に行動します。「蛇が来た。」と彼らが警戒すると、他の鳥も理解し警戒行動をとります。等々。


彼は、そんな自然の世界から人間だけが取り残されてしまった(切り離されてしまった)と言っています。




そうだよな~、っと。昔の人間は、彼らの声を聞き分け、理解し、生活していたのだ。そんな昔でなくとも、マタギは動物の声・心を読んで狩りをしています。矢口高雄の漫画などよく読んでいましたねぇ~。また『シートン動物記』は、小学生の時のお気に入り本でした。


もはや、我々は彼らの言葉がわからない。……。「何故か?」という妄想はありますが、長くなるのでまたの機会に。。。


ただ一つ、火星に人類の世界を創り、住みたい人は、自然に支配されるのが我慢ならず、一から「自然を創造しようとしている」のだ……と考えてしまいます。反対に、自然の声を聞き、謙虚に暮らそうとしている人々もたくさんいます、と思います。