いろいろ考えまして~~~、悩んだんですが~~~、悩む必要もない駄作だとも。。。
疎ましき
草叢に啼く
虫愉し
ちゃんと俳句の勉強をしよ・・・と反省。
『ゾンビ回収婦』
タイトルにインパクトがあり興味を持つ。その後、芥川賞を受賞と知る。若くして芥川賞を受賞したことと、この題名で大江健三郎氏を思い出した。「一気読み必死の圧倒的虚構世界(リアルライフ)」という帯コピーの通り、一気に読めた。
「AIに浸食された世界」ともあったが、それほど浸食はされてはいない(マトリックスのように)。たまたま今朝の新聞に「あなたの職務、撤廃されます」という記事があった。「AIが代替・米IT人員削減」と。
アマゾンでイベント運営などを担っていた20代の女性は今年1月、会社から一通のメールを受け取った。「困難なお知らせがあります。あなたの職務は、変化の一環として撤廃されます。」と。
現実に起きていることだ。そしてこの本の出だしは、「わたしと夫、双方に、ほとんど同時に、解雇予告が届いた朝のことだった。」とある。
同時に解雇通牒を受け取った「わたし」は、怒り、悲嘆にくれる。しかし夫は、「ぼくらこれからの人生、もうはたらかなくていいってことーーーなのかなあ。」と。彼の方は、とても良いことと受け取る。これからは、好きなことだけしていけばいいんだ。「それって圧倒的にいいことじゃない!」翌朝、ダイニングテーブルの上の「しばらく演奏旅行にでてきまーす!!」と置手紙が。
と書いていくと、とてもシリアスなお話と受けとられかねないが、まったく筋を追うことに意味がない物語だ。全体の感じを味わうという事か。
「わたし」の方は、仕事がないということは、もうどこに出かけることにも意味がないと家に閉籠る。気づけば、わたしの大部分を会社に明け渡していたのだと。生活のどの部分にもわたしはないと。
そして、夫が残していったVRヘッドセットを装着し、虚構の世界に埋没していく。そこはホテル。「わたし」はそこで掃除婦として殺されたゾンビを処理し続け、そこに快楽を見出し、ゾンビとの共感意識を醸し出していく。
はじめに大江健三郎氏を思い出したと書いたが、まったく別物だった。というか、時代が違うというか、わたしには「文学」として鑑賞できる世界ではなかった。つまりわたしが時代遅れと言う事。
小説家は、なにか現・時代の「悩み」というものを表現するものと思うが、その「現代の悩み」というものを、わたしはもはや理解できないということだ。
この小説をわたしの本棚の大江健三郎とか安部公房、別役実の隣に並べることは出来ない。『コンビニ人間』の隣に並べることにするか。???
ほんとにネ。まだ読んでいない本がたくさんあるのに買ってしまいました。それは、毎日、新聞を読んでいるからです。本の広告があると、記事よりもそちらに目が行ってしまって。
今回は3冊、興味あるものが見つかりました。
『一外交官の見た明治維新』
『虫祓いの宦官師弟』
『ゾンビ回収婦』
です。
ほんとは一冊目の『一外交官の見た明治維新』が一番読みたかったんですが、アマゾンでは売っていませんでした。古本ならアリです。で、一時保留。
2冊目は、中華ミステリーみたいですが作者は日本人のよう。ベストセラー作家のようなので、知らないのは私だけかもしれない。中国ミステリーのどろどろしたのも好きです。登場人物もドロドロしていそうだし、読めそうです。
3冊目は、最近芥川賞を受賞した作品です。賞をとったからと言う訳ではありません。題がスゴソウ。アマゾンで検索したら、賛否両論でした。ちょっと迷ったけど、自分で判断しようと買いました。なんだか、大江健三郎を彷彿とさせたからです。訳の分からないSF見たいなあ~~~。
と言う訳で、今回は2冊購入です。
日曜日には新聞に俳句・短歌欄があります。一般公募作です。見るたびに「あ~~ぁ。」とため息をついてしまいます。
先回のUPの俳句ですが、ずっと後悔しています。最後の文字数が4になっていること。それで駄作を再考することも気が引けますが、
酷暑日の
アトモスフィアの
沈黙に
あるいは、
酷暑日の
アトモスフィアの
沈黙…
???
「片桐はいり」は、私の好きなというか興味のある役者です。以前はテレビのドラマなどでよくお見掛けしましたが、最近は見ませんねえ~。舞台の役者さんなのでテレビにあまり出ないのか。
特徴ある風貌で、つまり顎の線が強調されているのですが、その線を強調するばかりのヘアースタイルです。顎のところで刈りそろえたボブです。
『徹子の部屋』で見たとき、徹子さんが「その髪型を変えないのですか?」というようなことを質問しましたが、はいりさんは、「何か問題でも。」という応え。徹子さんは、「いえ、何も。」と。
笑ってしまいました。
で、
片桐はいりさんが『折々のことば』で取り上げられていました。
「ほんとうに、近頃は自分の体に、どうしたの? とたずねる機会が多いのだ。」
同感です!!!
「若いうちは気持ちが体を通り抜けて外の世界に向かうが、歳がいくとその過程を支えているものにより多く意識は向かう。」
ほんとにネ。
若い時は、なにも考慮することなく「日常」が通り過ぎて行ったが、今は、ひとつひとつ自分の体に聞かなければならない。
年とるとスタートアップするまでに時間がかかるのよ~、と言うと、「何もやることないからいいジャン!」と言われた。然り。。。
『紙で読むと 脳のコスパ良い?』、と言う最近の新聞記事です。
結論を言うと、「紙で読む方が脳の余計な活動をおさえられる『省エネ化』に役立つようだ。」ということ。東京大の酒井邦嘉教授の研究グループの発信です。
今回は漫画を用いての実験ですが、小説でも調査してみたいとのこと。調査方法は割愛させてもらいますが、紙で読むと内容を理解しやすく、脳の活動を節約できたとみられると。
紙で読むとページをめくるわずかな時間で脳内が整理され、理解につながる。また、紙面の位置関係で全体が掴みやすく内容を構成しやすい。
で、「なんて、こったい!」は、
これ朝日新聞の記事なんです。なのに何故、「デジタル新聞」を薦めるかなあ~。わたしに。メールが来ます。「今なら500円追加で、紙とデジタル版と両方読めます。」とか。新聞に入るチラシでもしつこく薦めてきます。
そして、いつの間にやら夕刊がなくなるし、新聞休刊日があるし。休刊日でも「デジタル版」は読めますよって……。何らかの陰謀に違いない。。。
わたしは、紙で読みます。これからも。
なんだかSF小説にありそうなタイトルでしょ。(気に入っています。)
若い時、「人は一人では生きていけないんだよ。お互いに関わり合い助け合いながら生きているんだよ。」って、言われたことないですか?
若い時分は、「ヘン、わたしは、わたしで生きているんだよ!」なんて思っていましたが、最近とみにそう思います。歳のせいか、「一人で生きているんじゃない。」って。
ほんとに。
わたしは今PCを使ってこの文章を書いていますが、この行為一つ取ってみても万人が関わっています。パソコンを創造した人。製造する人、配送する人。配送する人の車を造る人。その人が食べる食事を配食する人。等々などなど、数え切れません。
それで、それをどう思うか?
武田鉄矢の如く、「人と言う字はねぇ~。」と思うか、チャップリンの「モダンタイムス」のように、「人はこの世に組み込まれた一つの歯車でしかない。」と思うか。
その答えを探し続けているのが、「学問」であり「芸術」だと思います。特に「真の芸術家」の悲劇はここに由来しているのでしょう。万人の悲劇を一身に受け止め懊悩しています。
実際、人はこのような仕組みを完成させたので、ここまで進化してきたんでしょう。ここで後退するわけにもいかず、ーーーーーー「解決」は「学問」の方に任せましょうかネ。
「内容を欠いた思考は空虚であり、概念を欠いた直観は方向を見失っている。」
―――イマヌエル・カント
『折々のことば』です。
人間の認識には二つのが源泉がある。感覚に与えられるものを直観的に受け取る能力と、これらを通して対象を概念的に掴む能力だと、ーーーカントの言葉です(18世紀ドイツの哲学者)。直観を欠けば思考は野放図になり、概念を欠けば直観は偶然に流される。
引用が長くなりましたが、「え~~~っ、囲碁のことジャン!」って、唸ってしまった訳です。
対局で、「訳も分からずに感覚だけで、上手くいくだろうと適当に打っていても、な~~~んにもなりませんよ。直観は必要ですが、その後の『読み』がなければ無駄なことです。」なんて、先生に言われていた事ジャン、って。
哲学は、日常に潜んでいるんだなあ~、と思った次第です。
「彼らは他の書類の動物の声を聞き、よく観察して生きているのです。」
鈴木俊貴さんの言葉です。『折々のことば』で見ました。彼の事は、「サイエンスゼロ」や新聞の記事などで拝見しました。シジュウカラの鳴き声を研究している人で、彼らは言葉を話しているのだと発見しました。
また、シジュウカラ同士だけでなく、他の鳥も彼らの鳴き声を理解し、同様に行動します。「蛇が来た。」と彼らが警戒すると、他の鳥も理解し警戒行動をとります。等々。
彼は、そんな自然の世界から人間だけが取り残されてしまった(切り離されてしまった)と言っています。
そうだよな~、っと。昔の人間は、彼らの声を聞き分け、理解し、生活していたのだ。そんな昔でなくとも、マタギは動物の声・心を読んで狩りをしています。矢口高雄の漫画などよく読んでいましたねぇ~。また『シートン動物記』は、小学生の時のお気に入り本でした。
もはや、我々は彼らの言葉がわからない。……。「何故か?」という妄想はありますが、長くなるのでまたの機会に。。。
ただ一つ、火星に人類の世界を創り、住みたい人は、自然に支配されるのが我慢ならず、一から「自然を創造しようとしている」のだ……と考えてしまいます。反対に、自然の声を聞き、謙虚に暮らそうとしている人々もたくさんいます、と思います。
『雨月物語』、読めましたあ。
友だちとの「飲み会」で、本の話になった。で、「今、『雨月物語』を読んでいるよ~。」というと、「誰が書いたの?」って言うから、「上田秋成。円城塔が訳しているんだ。」と応えると、「へ~。」って。―――それだけ。
「上田秋成って、江戸時代の作家だよね。面白かった?」とか、「円城塔が翻訳してるんだ~。」とか、話が盛り上がると思ったのに。
とにかく、読み終えました。『雨月物語』というと、たいていの人はどこかでお目にかかっているのではと推察します。歴史の授業とか古典の授業とか。映画化されたものもあるような~。
まあ、大体この辺りの「読み物」は、神や仏や鬼、大蛇などの怪異譚なので、『雨月物語』の中での話だったか、違う本と勘違いしているのか、判断しがたいところもある。中国の読み本にも影響されているので、そこもごっちゃになっているかも。しかし、大好きです。
内容は、怪異譚です。上田秋成は、戯作者(職業作家?)ではなく、文人です。趣味で書いていたのか。それ以前の小説、『伊勢物語』とか『源氏物語』とか『宇治拾遺物語』とは少々感じが違います。近代的になったのかなあ。
最後のお話の『貧富論』では、それまでとは趣の変わった作品となっています。
「富」とは何か?「貧しい」とは何か?の問答。裕福な人でも「悪い奴と善良な人」がいる。貧しくとも幸せな人もいれば、卑しい人もいる。その違いはどこから来るのかという考察が、吝嗇でお金をため込んだ人物の枕元に現れた翁との問答で語られていきます。
単なる怪奇ではなく、哲学があるような~。「訳者(円城塔)あとがき」では、「日本語」の捉え方が変わって来た頃の作品で、上田秋成は、「日本語とは何か?という問い」を書いていたと指摘しています。
と言うところです。
囲碁の対局に行く前に唱える呪文があります。対局中に「留意すること」をすぐ忘れてしまうので、家から唱えながら棋院に行きます。
初期からいろいろあって段々変化はしています。
先ずは、
冷静、沈着。傲慢にならず。等々、更新中。
今は、
「全ての人をリスペクト。弱い石を造らない。地をとる手を打つ。」です。
それで先日、指導碁を打ってもらっていたらメチャメチャになってしまって、
「打ち方が雑だ!わたしは打ち込みが深すぎる人だと自覚しなさい!」と言われてしまって、
「わかりました。わたしの呪文に付け加えます。」とお応えしました。
言い訳としては、
この頃なんだか成績が上がってきて(レーティングの)、すっかり「全ての人をリスペクト」がお座成りになり、フン・フン・フンといい加減に打っていました。反省。
それから、わたしは、「脳が燃えるほど考えたい!」という気持ちを忘れていた、と思います。
先生の「君は反省しているようで実は反省していない!」とのお言葉に、深く反省。。。
これからは、呪文に二つ付け加えます。
「わたしは、打ち込みが深い人間だ!」と「脳が燃えるほど考える!」です。
以上です。
麻薬のように数独に溺れています。その位置を(私にとっての)ハッキリさせようとしております。
先日、NHKの将棋番組を見ておりました。「棋士の息抜きは何?」という問いに、マージャンとか筋トレとかがありましたが、「将棋の息抜きは将棋です。」というのがありました。
また、高校生棋士では、「将棋の息抜きは、勉強です。」というものも。大学受験のための勉強が息抜きだとか。
思い出しましたが、わたしも受験勉強の時に勉強に飽きたら、数学の問題を解いておりました。パズルのようにバッチリ、ハッキリ、答えがでるところが息抜きとなりました。
そこで、わたしはプロではないので「息抜き」など必要はないのですが、その上仕事も引退しているので、息抜きは必要ないわけです。が、囲碁に打ち込んでいると憂鬱になる。答えが見つからないから。
そこで、数独は、数学のようにバッチリ答えが出て解けるとスッキリするので、どうだろうかと思いました。数独をやる言い訳にです。ストレス解消です。
これで堂々と数独をやれるというものです。いかが?
数独をすると、「なんでこんなことしてるんだろうか?」と思いますが、はまっています。何が生活に人生に役立つかという話は、またの機会にしておきます。
と言って、新聞に掲載されているパズルを解いているだけで、積極的に「やるぞ!」と、行動に起こしているわけではないですが。。。
やってます。
なんとか「★4つ」まで解けるようになりました。が、今日、「★5つ」解けましたあ~~~。
難しいパターンを解く、「定石」というか「手筋」を発見したような~~~感じです。まだ一回しか解けていないので大口をタタカナイヨウニ!します。
俳句を羨望しつつ、季語の勉強を全然してません。
隣の家の庭のマーガレットを眺めつつ、「マーガレットは季語なの?」と。どうも初夏の季語のようです。
ロマンスの
風に揺れるや
マーガレット
交わらぬ
線交わりて
春となり
おそまつ!