俳句を羨望しつつ、季語の勉強を全然してません。
隣の家の庭のマーガレットを眺めつつ、「マーガレットは季語なの?」と。どうも初夏の季語のようです。
ロマンスの
風に揺れるや
マーガレット
交わらぬ
線交わりて
春となり
おそまつ!
俳句を羨望しつつ、季語の勉強を全然してません。
隣の家の庭のマーガレットを眺めつつ、「マーガレットは季語なの?」と。どうも初夏の季語のようです。
ロマンスの
風に揺れるや
マーガレット
交わらぬ
線交わりて
春となり
おそまつ!
パスカルの言葉です。
「人間は、死と不幸と無知とを癒すことができなかったので、幸福になるために、それらのことについて考えないことにした。」
人は常に「死」から逃れることが出来ず、常にそれを忘れようとしていると思います。わたしは彫金師でしたが、よく「なんでその仕事をしているの?」と聞かれました。
応えは、この仕事に打ち込んでいると、生きていることを忘れる、時間の存在を忘れる……でした。
人は仕事がない時は、レクリエーションと称してゲームに興じたり、映画を見たり、本を読んだりします。が、それも「自分について考えないように~。」ではないかと。
と言う訳で、今、鬱です。仕事から解放されると「生きている時間」を数えてしまいます。老人性鬱ですよネ。
この頃、パスカルの言葉ようなものに反応してしまいます。
「人は叡智を得たので、死を意識できるようになった。」とか、
「感情を無くせば自分の惨めな状態に耐えることが出来る。」とか、
そうそう手塚治虫氏も「火の鳥」で描いていました。人以外の生物は、おのれの環境、生きている世界になんの不満も言わず、『生きている』と。人だけが「自分の存在」に不満を唱えて、互いに潰しあっている。
それで文明が進化していったとも言えますが……。
なんてね!
スーパーに行って、久しぶりに本屋さんを覗いてみました。棚積みされていた本の中に興味深いものがあって……、買った。
ひとつは、ホルヘ・ルイス・ボルヘス。彼の本は、見ると買わずにいられない―――のです。『幻獣辞典』。ボルヘスは、もう亡くなっているので新しい本はないのだけれど。。。
小説ではなく、異世界の奇妙な存在を彼なりに分析・解析したものです。ボルヘスの本はたいてい持っているので(買える金額のものだけです。)、買った後で、「ありゃ、同じ本を買っているかもしれない。」と、本棚を覗いたらなかったので一安心です。(同じ内容で題名だけ違うのかもしれないが)。
もう一冊は、『雨月物語』。円城塔の訳ということで買ってしまいました。彼の事は、いつも批判的に投稿しておりますが、内心--興味があるのかも。
『雨月物語』自体にも、もちろん興味があります。ひとつひとつの物語はどこかで読んでいるかもですが、「統一体」としての本は持っていないので。また円城の訳となれば、新鮮なところがあるかもと。
彼は、フィリップ・K・ディック記念賞特別賞を受賞しているので、その辺でも興味あります。
実は、ヴァジニア・ウルフの『波』に挑戦しようと思っていたところなので、どれから読もうか―――迷います。
わたしが見るのは新聞なので、少々遅いかもしれませんが~~~、
「アンソロピック、 国防総省を提訴」です。
アメリカのAI開発企業アンソロピックが、米国防総省をに対し訴訟を起こしました。アンソロピックは、自社の技術を兵器などに使わせないという独自の制限を設けています。国防総省はこの制限の緩和を求めましたが、同社は応じませんでした。
国防総省は、取引がある企業がアンソロピック社と取引ができなくなるサプライチェーンリスクに同社を指定しました。これを差し止めるための訴訟です。
つまり、ドローンなどの「全自立型兵器」を拒否するということです。兵器が、自分(AI)の判断で敵を殺傷するということへの「否」です。
ほんとに恐ろしい時代になりました。「ターミネーター」のはじまりです。こようなことを、1960年代にもう書いていた作家がいます。フィリップ・K・ディックです。
『パーキー・パットの日々』を是非とも読んでもらいたい。アメリカが対ソ連戦で、そのような武器を戦場に送り込みます(地球とは違う惑星での戦線です。)。その地上を這う虫のような武器は、徐々に自らを進化させ、自らの力でどんどん数を増し、人間型にまで進化します。
もう仲間の誰が人間型武器かわからなくなるまでに……、そんなSFでした。
どうです。
『折々のことば』です。
「無くてはすまぬものをなおざりにしたわけではないが、なくてもすむ潤沢のほうへ意を用いすぎた。」
アンリ・ベルクソン
蒸気機関の発明以降の産業革命は、人の世界をより芳醇にし、人間が抱く欲求を満たし続けてきた。人類に対して恩恵をもたらしたが、他方で奢侈に対する過度な供給は、人の社会の愚かさを焙り出した。
ホント、そう思います。父と母の「後始末」をしていると、人は何と多大なゴミを抱えて生きているのだろうかと。我が身を省みてもそうです。
資本主義の消費社会では、必要な「買い物」ですが、有り余る物質は人類を滅亡に引きずり込んでいるようなあ~。
便利な社会という点では、「AI」の発明です。またまた、産業革命以来の余分な発展を促していきます。
わたしはもう老後なので、シンプルに、なるべくゴミを残さないように暮らしていこうと思っております。
俳句の方は、なかなか上手く進んではいません。
それで、詩人が「思いついた言葉、綺麗な言葉、素敵な言葉」を、言葉だけノートに書き留めるということを思い出し、少々試みてみました。
結果、
なんとなく
なんとなくなり
春来る
スーパーの
菜の花畑
舞う蝶や
如何なものでしょう。
朝日新聞のコラムです。いつもは、唸ってしまうのですが、今回は、「クスクス」でした。笑ってしまいました。
「あんなに時間にルーズなイタリア人が、あんなにパスタのゆで時間完璧とか」
語学学校に通っていた時に、何回経験したかわかりません。イタリア人、スペイン人の時間の観念のなさ。なにかで集まるとき、時間どうりに来るのはドイツ人と日本人です。(一概には言えないが)。
欧州を拠点として活躍するピアニストの藤田真央さんの言葉だそうです。「暮らしの中でどんな価値に重きをおいているか、そこに音楽も根付く。そうした異質な場に入り込むことで演奏も膨らんでいく。」と。
なるほどと思いました。「暮らしの中で何に重きを置くか」は、人それぞれ、国それぞれ違うわけで、批難することではないなあ~と。
中国人の先生が、「中国人は、家の中はとても綺麗だが外は汚い。日本人は、家の外はとても綺麗だが、家の中も綺麗とは限らない。」と。ここから、日本人は、建前と本音が違うとか、見えるところだけ綺麗にするとかの批難を浴びます。
上海に居たとき、中国人の集まりの中にわたし一人日本人だった宴会がありました。わたしは、枝豆の殻をお皿の隅に置いていました。中国人はテーブルの上に。で、上海人の友達が一人いたのですが、彼女が、
「彼らは、なぜ日本人は汚いものをお皿の上に置いているのか。気持ちが悪いと言っているよ。」と。
それで、「なるほどなぁ~」と思いました。彼らは、汚いものを外へ、日本人は他の人に迷惑にならないように、汚いものは内にーーーかあ。
その時は、枝豆の殻入れをテーブルの上にナプキンで作って、丸く収まりました。彼らも「イイ考えだ。」と言ってくれました。
「恵まれた環境に慣れすぎたらどんどん下手になる」と、ピアニストの言です。やはり、外に目を向けなければ「何か」を失ってしまうかも、と、思ったところです。
『秘密の花園』は、はるか昔に童話で読んだような気がする。内容はあまり覚えていませんが、金持ちに引き取られた孤独な女の子が、荒れ果てた隠れた庭を屋敷内で見つけて、少しづつ手入れし、綺麗な花園に作り替えるというもの。。。
そして、その花園を引き取られた家の叔父さんに見せて、二人の間に愛情が芽生える……、と言った感じ。記憶ではそうです。それなりにインパクトがあって、隠れたお庭があると「秘密の花園」だあ~、と思っていました。
それが、昨日の新聞書評で取り上げられていて、少々記憶と違っていたような~。
第一に、引き取られた少女は、とても嫌な奴だったらしい。反抗しまくり~。また、いっしょに庭を手入れした叔父さんの息子も、病弱でムチャわがままな奴だったらしい。
「わがままな大王コリン」と「つむじまがりメアリ」の闘いと書評に書かれていた。やはり童話は教科書的に変更されているのねェ~、と思った。
しかしながら、たいへん面白そうなので読み直してみようかなと思う。以前は、岩波少年文庫にはいっていたらしい。やはり子供向きなのかあ~。
新訳は、「光文社古典新訳文庫」で、「少年」という言葉は入っていません。
ひとつは、
朝、薬の都合でうがいをしなければいけません。毎朝なので、もう飽きました。それで、うがいをしながら「あいうえお」の口にしてみようと。喉の形が変わるので隅々まできれいになるだろうと。
やってみたら楽しい。ホントに今までいかなかったところまで水がいきます。が、溺れそうになることもあります。おそまつ。
ふたつめは、
豆苗です。年末に人がいっぱいな時にスーパーに行きたくないなあ~、と思い、豆苗なら日持ちするだろうと買いました。お鍋にいれました。
豆苗は、食べた後も2~3回はまた生えてくるというのは知っています。が、苦手です。前に買ったときに試したのですが、どうしても食べることが出来ず、捨てました。捨てるくらいなら育てなければいいのに~、と反省です。
ですから育てる気はなかったのですが、緑のものが部屋にあるといいかなと観賞用にと思いました。メチャメチャ育ってしまって、決心して上の方を刈り取りました。袋に入れて冷蔵庫に保管しました。「食べよう」と思っていますが、……どうだか?
以前、ベランダできゅうりを育てたとき、すごく立派なきゅうりが3個できました。どうしようかと思ったけど、とりあえず冷蔵庫に……。しかし、どうしても食べることが出来ず捨てました。(腐るまで保管していました。)
やはり、わたしは「誰かが殺したもの」だけ頂きます。
以上
今朝起きて外を見ると、雪が積もっていました。初雪ではないと思いますが、2026年の初雪です。
そこで一句、
初雪や ブラインド越の 風情かな
おそまつ。。。
もう一句、
初雪や 一人ポツネン 立っておる
おそまつ。。。
年末に「何か面白い本はないかなあ~」と、本棚を探したら『三悪人』というまだ読んでいない時代劇小説がありました。
いや~~~、おもしろかった。即、読めました。感想文を書こうとしているのですが……、なかなか書けていません。
時代劇小説といっても、歴史時代劇でも歴史ロマンでもなく、エンタメです。歴史に背景を借りてやりたい放題と言った態。
折を見てUPしたいです。
私の中ではお正月はもう終わり、日常生活に戻っております。
父と母の生前の後片付けをしていると、しみじみ人生ってなんだろうと思います。生きているときにため込んだ膨大な様々な物が、捨てられていくからです。
今は自分の持っているものを使い切って死にたいものだと思っていますが、無理です。
というような話は、お正月から「なんなので」よしにして、今年の目標!
この2~3カ月、棋院でのレーティングの対局成績が非常に思わしくなく、あわやランクダウンになりそうでした。11月に持ち直し、12月もまずまずの成績で年を越すことが出来ました。
今年は、この成績を維持しつつワンランクアップしたいものです。「囲碁、頑張るゾ!」っといたところで、年頭のご挨拶でした。