2013年8月13日火曜日

哲学入門講座

カルチャーセンター、哲学の講義の三回目です。



わたしの意見・・・・・・・・



「平等」について:



考えるに、「平等」はとても小さな単位でなければ成立しないと思う。人はそれぞれの能力が違う、生きる環境が違う。個々人の能力、社会貢献度によりその対価が決まる世界にあっては、とても全人類の平等は成り立たない。今までの歴史において、人類は一度も平等な社会など手に入れることはできなかったではないか。



であるから、それぞれの人が「共感」を持つことができる小さな単位で平等を保てる共同体を構成し、その共同体が互いの異質性を尊重しつつ連合体に発展すると言う道しかないのではないか。



あえて平等でなく、その差異でお互いを競争させることによって、社会を発展させて行くと言う方法を選んだのだから仕方がない。もし人が個人の能力とか効率性、社会の貢献度等にいっさい優劣をつけない社会を産み出せたら、「平等」は実現するかもしれない、あるいは、平等と言う概念がなくなるのかも。





「自由」について:



競争社会をなくして、ついでに「富」を蓄える制度もなくしてしまえば、人は開放されて自由になれるかも。人が均一な平等性を持てば、個人の自由など必要ない、というか存在自体が自由になるかも。アリの社会のように。働かない自由を主張する人はどうしよう。アリも70%は働いていないって言うから大丈夫か。





「人権」について:



人権は何を拠り所にしているかはっきりしていない。哲学的な問題は未解決のままらしい。



��948年に「世界人権宣言」が採択された。第二次世界大戦の直後だ。考えるに、戦後、世界は疲弊していて、もう戦争はいいという雰囲気だった。その際、世界の人々が共感できる何かが必要だった。それが「人間であること」だったのでは。あらゆる人が「同じ人間である」という「人としての権利=人権」を尊重すること。これで世界は結びつくと言った類。現在のグローバル化においても、人類は何を持ってグローバルに対応できるかと言えば、ユニバーサルな社会性とか共同性である「人権」でしょうか。

��ダライラマも仏教的教義からではなく「人権」の立場から中国を批判したそうです。その方が、全世界にアピールできますね。)



民主主義について:



民主主義は、理論的哲学的な眼から捉えると、どうしてもネガティブなものと見えてくるようで、何か大きな難点を抱え込んでいるらしい。



賢い大衆か、賢いリーダーか。愚かな大衆か、愚かなリーダーか。わたしとしては、賢くてグッドネーチャーなリーダーなら、権力を与えても問題ないと思います。もちろん、全くの理想だけど。でも、歴史的に見て、民衆は支配者が何をしていても関係なく暮らしてきたわけだから。自分の取り敢えずの暮らしが平穏無事で適度の贅沢ができていたらそれで満足でしょう。リーダーが桁はずれに良い暮らしをしていたとしても。実際、民主主義を標榜・体現していると言われているヨーロッパ諸国でも、結構な国が王制を敷いているのだから。







まあ、ともかく、世界でパワーを持っている人は、平等とか自由とか人権とか民主主義とかを盾にしてルールを構築し、弱いところにそのルールを押しつけて体裁を整えて、戦争ならぬ「民主的な」経済戦争で独り勝ちをしているのだから。



そして、このグローバル化の世の中、(彼等が企んだものとしても)、持たざる者はこれを利用して反撃できるかも。今や、平等、自由、人権、民主主義は世界の合い言葉なのだから、世界中の人が共感できる「言葉」なのだから。これで連携していけるかも。民族、宗教、文化を乗り越えて。







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