2013年8月13日火曜日

都市と村



選挙は終わりました。自民党の圧勝という結果です。今日、おもしろい新聞記事を見つけました。衆院選の期間中だけ、選挙権のない10代だけが投票できるサイトが登場したそうです。疑似選挙サイト「Teens Opinion」。本物と同じように16日午後8時で投票を締め切ったところ、「自民党圧勝」とは違う結果がでました。選挙結果は、自民が23.8%と最多ですが、民主は20%、維新は18%と似たり寄ったりです。この結果の分析はこの記事ではしていませんが、若者層と「大人」達の意見の違いにとても興味があります。



新聞投稿もわたしの趣味のひとつです。少し前このような投稿をしました(ラッキーなことに掲載されましたが、掲載文と少々細かい点で違います)。





「農業女子」

この頃、農業高校をめざす女子が流行りらしい。考えると、働く女性に厳しい現社会制度の中で農業は女性にやさしい職業と言えるかも。「農業高校=農業従事」とは単純に言えないが、女性がこどもを産み育てるには9時から5時の就業と固定的な休暇体系の会社務めよりは、融通のきく職場ではないかと思うからだ。また、能力や創造性を活かせる仕事だとも思う。

以前、ふたつの「男女平等国際ランキング」の記事を読んだ。ひとつは「世界男女格差指数(GGGI)」だ。国会議員や企業管理職の男女比などから、男女の格差をはじき出すもので日本は最低ランク。もうひとつは国連開発計画(UNDP)の「男女不平等指数(GII)」で、こちらは12位と健闘している。GIIは妊産婦死亡率や若年女性の出産率などから順位をつけ、日常生活における女性の健康度を示している。

日本社会は確かに女性の社会進出率や登用度は低い。しかし、その他の進学、選挙権などについては差別されることはなく、女性の日常的幸福度は他の国に比して高い方だと思う。社会という場ではなく家族という観点で見れば不平等感もだんだん薄れてきた。経済性とか効率ばかりを重視する「会社」ではなく、女性の「産み育てる性」に配慮できる農業あるいは少数単位で運営できる家族の職場の存在価値をもう一度見直してみるべきなのでは。





つまりわたしの言いたいことは、20世紀の成長至上主義はもう曲がり角に来ているのではないかという事。若い世代の人々は、そのことを敏感に感じ取っていると思います。



高校を卒業して「風の丘ファーム」の研修生として働いている18歳の青年がこんなことを言っています。



「風の丘ファーム」は有機農法で多種類の野菜を作り、家庭や飲食店に直接届けている。ゆくゆくは、ホームタウンに戻って農場を開きたい。畑の野菜を使うカフェや加工品も販売できたら。「もうけようとは考えません。生活に困らずに農業を続け、耕す楽しさを人に伝えるようになりたい」。・・・日本では、季節ごとに少量ずつ多くの種類の作物を栽培するのがいいと思う。「まず農家自身が自分で作ったものを食べて暮らす。それから周りの人たちに食べてもらって地域が自給できるようになって、その輪を広げていく。そんな感じです」。



もうひとつ、東京から島根県の離島海士町(あまちょう)に移住した岩本悠さん(79年生まれ)のお話です。町役場に籍を置きながら、県立隠岐島前高校の魅力化計画を参画し、全国からの『島留学計画』を推し進めています。



島の高校生と都会の高校生のぶつかり合いから生まれる相互理解のお話も興味がありますが、今回は置いておいて、彼の「村」に対する思いを紹介します。



都会は競争・勝ち負けの文化だが、田舎にはなるだけ負けをつくらず、みんなを良くしようとする『三方良し』の文化がある。イノベーションも、都会ではスクラップ・アンド・ビルドの非連続的な発想ですが、田舎は過去、現在からどう未来につなげるか、持続性を重んじる。・・・成長は重要だが、田舎を切り捨てる浅薄な効率主義や、以前の高度成長とは異なる成長を目指す。



キーワードは「都市」と「村」だと思います。人類の半分以上(?正確には知りません)が食料生産に係わらない都市生活者になっている現状です。そこでは市場のための生産、そして効率性が求められます。そして「職場」と「家庭」も切り離されている。ウィリアム・H・マクニール曰く、「新石器農業革命以来の家族や村を結びつける絆の基本的制度の崩壊。都市生活者が長期にわたって生き残れるかどうかは証明されていない。」





高度成長時代を生きた「大人」に、今を生きる若者たちの行動や意見にも真摯に耳を傾ける姿勢も持ってもらいたい…と思います。







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