ジョン・アーヴィングの 『A PRAYER FOR OWEN MEANY』 をまだ読んでいる状態です。もう少しで読み終わります(予定)。トホホ。
今読んでいるところで、「なるほど」と思う個所がありました。
I was the only one who needed anything; I “needed” a newspaper, I’m ashamed to say. Needing to know the news---it’s such a weakness, it’s worse than many other addictions, it’s an especially debilitating illness.
この本の主人公であるJohnが、カナダのGeorgian Bay に同僚やその子供たちと休暇に来ている時の話です。毎日何か買う必要のあるものが出てくるので、買出しに行くのだが、この日に限って、彼にしか必要な物がなかった。それは新聞だ――というお話です。
��987年、彼は、ベトナム戦争の兵役から逃れるべく、カナダに移民したのですが、未だに、アメリカのニュースに囚われていると。
I live in Canada, I have a Canadian passport---why should I waste my time caring what the Americans are doing, especially when they don’t care themselves?
作者の意図とは違いますが、「新聞を読むことがほかのどんな中毒より悪い」と書かれていることに、なんだか唸ってしまいました。自分のことを思ってしまって、そうかもしれないなと。
毎日、新聞を読んで世界中の事を知りつくそうとするのは、自分のWEAKNESSからかもしれない。到底そんなことができるはずもなく、彼同様、無駄な時間を過ごしているのかも。空っぽな自分を何かで満たそうとするが、それは自分自身で創造したものではなく、ただゴミを溜め込んでいるだけなのかも。
と言って、このADDICTIONから逃れる術もなく、これからも新聞を読み続ける「わたしである」でしょうけどね。
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