2013年8月13日火曜日
『人類の知性 ピークは6千年前?』のやり直し論考
前回、このテーマで書きました。でも、いまいち理解されてないんじゃないかな~~~っと思って。と言うのは、違う先生とディスカッションしたところ、「ミューテーション」と言う概念が理解しづらいようでしたから。それから最後のわたしの「気持ち」ももっと発展させて書いてみたいから。
もとになっている記事は、
http://www.sciencenewsline.com/articles/2012111218320006.html
です。
「人類の知性は2千~6千年前をピークに下がり始めたのではないか」というのが、スタンフォード大学のジェラルド・クラブトリー教授の主張です。人類がまだ森の中で暮らしていた時は、環境がとても危険な状況だった。だから、その環境に耐えられるだけの能力(知性)を持っている人しか生き残れなかった。しかし、狩猟採集生活から徐々に農耕等の生活に移って来ると、森で危険を察知する能力は必要なくなり、その能力のない人々も生き残れるようになった。つまり、生き残りのために必要な能力のレベルが下がったという事。
人類の遺伝子はコンスタントにランダムに変異しています(mutate)。悪い方にも良い方にも。その変異が、現状の環境に適応していれば生き残るし、適応するのには邪魔だったら、自然淘汰されます。もちろん長い時を掛けて。クラブトリー教授が言うには、森の中のリスキーな生活で、その生活に適応しない変異した遺伝子を持つ人は死んでしまう。つまり、その遺伝子が子孫に受け継がれることなく自然淘汰されるということです。しかし、時代が進んで生活がより安全になり、その人々にも生きるチャンスが生まれてくると、その変異した遺伝子は、その人々が子孫を残せるようになったために人類の中に生き続けるということです。
だから、森の中の生活が厳しいので、人類は賢かったという「とんでもなく単純」なことではなく、賢くない人も生き残れるようになったので、人類全体としては、賢い人の割合が減ったという…わたしの理解です。
クラブトリー教授によりますと、この変化はとてもゆっくりで、3000年、120世代を経て現れるとのこと。従って、人類がアフリカの地を出て、農耕生活が始まってから3000年、ちょっと計算は合わないような気がしますが、「紀元前千年頃のアテネの人々」が人類の知性のピークだとおしゃっているようです。その後は、変異の自然淘汰が起こらず、徐々に人類はトータル的に見て「おばかさん」になっていったのです。
しかし、教授は悲観することはないと。人類は、この自然淘汰のシステム、遺伝子情報等に関して、すでに解明しているのだから、近い将来、この変異した人類の進化にそぐわない遺伝子は抹消あるいは改良できるようになると言っています。つまり、賢い人類自身の手で、賢くない人々を直すことができるということです。
わたしは、人類の遺伝子が段々と衰えているということに賛成します。わたしの周りの人々は、なかなかこの考えを受け入れてくれませんが。なんだか、ナチスの優良民族政策思想見たいで、受け付けられないことは理解できます。でも、最近、なにかきな臭いでしょ。出産前胎児診断とか、なんとか。
もうひとつ同じような記事を見つけました。『人間の病気遺伝子、急増』と言うもの。主旨は大体同じです。過去五千年から一万年で、ヒトのDNAには病気の原因となる変異が急増していると、米国立保健研究所の遺伝子解析でわかったそうです。生存に不利な変異に、栄養状態や公衆衛生の改善による急激な人口増加で、自然淘汰が追い付かなくなったと。
マクニ―ルの『世界史』を読み終えました。彼によりますと、この爆発的な人類の人口増加もピークを過ぎたということです。もう二度とこのような過激な増加は起こらないだろうと。つまり、いろんなことで、今、「人類の考えどき」なんじゃないかと思われてならないのです。
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