『英語と旅する』
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学校の配慮で、たまにマン・ツー・マンの機会が与えられる。どのような頻度になっているのかはわからない。ある日ジェイムスと一対一になった。ジェイムスは「昨日は何をしましたか」とか「趣味はなんですか」なんていう極めて一般的な質問をする。それで、「そんなつまらない質問しかできなのか。」と言ってしまった。他に生徒がいないし先生も先生なので、これくらい言っても良いだろうと思ったのだ。この時は、彼は素直に「テキスト通りだ」と答えた。それから彼との関係がほんの少しではあるが、改善されたような気がした。
この学校には、他にも変な先生達がいた。カナダ人とオーストラリア人の二十代前半の若い先生達は、たいていワーキング・ホリデーで日本に来ていた。つまり観光である。彼等には当然の如く先生としての自覚はない。ただ、日本で稼いで奨学金を早く返そうといったような目的だ。しかし若い女生徒は、彼等に「はしゃいで」いた。イギリス人とニュージーランド人の先生は、一癖も二癖もありそうな人物。わたしが言っているのはもちろんの事、一部の先生の事であり他には良い先生も普通の先生もいる。
そんな中でイアン先生、わたしのクラス分けテストをした先生だが、彼も変な先生の一人だった。彼はイギリス人ではなくスコットランド人であると言い張っている。ある日のクラスで、彼は「日本語は原始的な言語だ」と言った。わたしは自分の耳を疑ったが、他の生徒は無反応。
「そんなことはありません。日本語は洗練された言語です。」と、わたし。
それでも、他の生徒は無反応。イアンだけが、「怒っているのか」と尋ねた。もちろん怒っていたが、それ以上のことを英語で言う能力は、その時点では持ち合わせていなかった。
それからもう一人変なイギリス人がいた。生徒のうわさでは、「ちょっと皮肉れていて、根暗だ」ということ。彼の名前は忘れたが、ある日、「日本人は道徳心がない」と言う。彼は、ボランティアでホームレスの世話をしているらしい。つまり、「日本人はボランティア精神がない。なぜ、ホームレスのことを考えないのか」ということである。他の学校などでも、先生が日本人を評して「日本人は羊の群れ」と言うのは、度々聞いた。「自分の考えも持たず、いつも群れて、人の言いなりになっている」という意味らしい。彼等は日本のあるいは日本人のほんの一部分のことしか知らない。そのほんの少しの知識で、日本の総ての事を判断し、それが正しいと思っている。また、生徒たちは彼等の言い草を唯々諾々と聞いている。そしてわたしには、彼等に反論する英語力がない。そんな最悪の状態だった。
決定的な事件は、ジェイムスが「喧嘩したいなら、正しい英語を話せ。じゃないと、余計馬鹿にされるだけだ。」と言ったことだった。それで、アンガー(怒り)が、わたしの英語を学ぶモチベーションとなったのである。考えれば、昔からそうだった。嫌な先生の教科をより必死に勉強していたことを思い出す。嫌な先生の教科で良い成績を取る事、それがわたしの先生への抗議だった。
こうして「そうだ、海外で英語を学ぼう」となったのである。毎日、英語漬けなら何とかわたしの英語力も良くなるかもしれないという単純な発想だった。
次回、いよいよケープタウンに向かいます。
つづく・・・
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