上海滞在記は、ひょんなことから始まったメイとの上海での「会社経営」のお話なのですが、そもそものわたしの仕事の事をお話したいと思います。
その頃のわたしの職業はと言うと、フリーのジュエリーデザイナーです。二十年位前わたしは彫金師になりました。銀のアクセサリーを主に創っています。そして、銀のショップやギャラリーに作品を置いて貰ったり、展示会を開いたりしていました。個展は年に二回、開催していました。名古屋での事です。もう今回で個展はやめようと決心した最後の個展でSと会ったのでした。今から八年位前のことです(2003年の)。
彼女は「三菱マテリアルの銀粘土」の中部地区販売代理店をしている会社で働いていました。実は彼女はその会社の社長の娘だったのですが。彼女は、その頃まだ世間に認知されていない銀粘土を広めるためにわたしに手伝って欲しいと、わたしの個展会場を訪ねてくれました。それから、わたしとこの「銀粘土」と「彼女」との付き合いが始まりました。(彼女ネタは一杯ありますよ。「三菱マテリアル」「銀粘土」「彼女」についてはまた今度。)
それ以降、わたしの活動は「彫金」から「銀粘土」中心になりました。もちろん銀粘土という材料で何かを制作する際には、彫金の技法や知識も使います。その点がわたしの強みでもあります。銀粘土は十数年前に三菱マテリアルが発明したもので、当然特許も取っており、そして銀粘土の普及方法は、三菱マテリアルに従わなければいけません。一応、表向きは「協会」があって、そこが普及活動をしていることになっています。わたしも初期の会員です。そこで問題がひとつ。三菱マテリアルは中国で銀粘土を普及することをまだ認めていません。つまり、中国ではまだ特許を取っていないという事なのです。
2003年8月、わたしが観光のため上海に初めて来た時、ワンさんとメイにはめられて上海で仕事をすることになったのは、この銀粘土のお仕事です。わたしは、彼女たちのために、ただ銀粘土でアクセサリーを制作する方法を教えるデモンストレーションを頼まれただけと理解していました。しかし、上海に行くと、三人の生徒がもう待ち構えていたという訳です。そして一旦名古屋に戻って10月にまた上海に行くということになったのですが……、
そのことをSに相談すると、
「それはまずい。三菱マテリアルは、銀粘土の中国での販売をまだ認めてないよ。」
わたし、
「どうしよう?」
「でも、個人でするなら問題ないよ。個人で周りの人や友達に教えるのなら誰も止められないし、銀粘土が売れれば誰も文句は言わないでしょう。三菱マテリアルの営業に電話して了解取るよ。」
と、その場で電話をして、了解を取りました。この「中国で銀粘土を売った」ということが、後にたいへんな問題に発展します。が…、ハッハッハー、今のところ「Sが三菱マテリアルの営業に電話して了解を取っておいた」という事実が、後々に大いに役立ったと言うことだけご報告しときます。
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