2015年11月10日火曜日

上海での一ヵ月の生活は…、  (ワンダーランド上海2003-2005)


わたしは上海で1ヵ月間何をしていたのでしょうか。

 

先ず、三人の生徒に銀粘土を使ってアクセサリーを作る方法を教えました。銀粘土とは、発明された当時は60%の銀のパウダーと40%のその他の物、例えば銀パウダーをお互いに結合させるグルーです。それで粘土の形態になっているというわけ。それで形を作って、専用の焼成窯で焼くと銀以外の部分が燃え尽きて銀だけが残る…、というもの。焼きあがりは白色なので、その後磨く必要があります。この「研磨する」という部分に、わたし独自のスキルがあるのです。

 

彼らは、自分のお店を出すという意志があるからかもしれませんが、とても優秀な生徒でした。概ね日本の生徒に比べ上海の生徒は「かしこいclever」という印象です。彼らはホントにお店を出してしまいました。都心からは離れた場所でしたが、若者が集まる副都心をいった所です。実際にお店を経営するのは、もう大学を卒業していた男の子でした。そのお店に寝泊まりして、朝から晩まで働いている様子でした。

 

デモンストレーションをしましたが、その反応はまだありません。

 

そして、日本人居住地に売り込みに行きました。日本人居住地とは、主に日系の会社に勤めている人達、そしてその家族のためのマンション群です。上海には三箇所ほどあります。それはそれは、素晴らしい設備です。施設の中に保育園あり、レストランあり、コンビニありのスポーツ・ジムありです。そして、わたしたちの目的の文化教室。いろいろな趣味のお稽古ごとの教室で、その中に「銀粘土教室」を作って下さいとお願いする作戦です。これだけあれば、ここから一歩も外に出なくともこの場所だけで暮らせそうでした。実際、上海にウンザリしたどこにも出かけない奥様たちがいるようですよ。しかし、上海中心街に行くシャトルバスが出ているので、外へも気軽に出かけられます。

 

メイはその内のひとつに以前勤めていました。その設備を運営し、そして住人のお世話をする部門です。海水浴に一緒に行ったジョさんは、メイのその時の先輩でした。彼女も東京に長く留学していましたから、日本語はぺラペラです。メイは、「彼女はわたしたち(顧先生)みたいじゃなく、ホントの大学で学んでいたね。優秀な人よ。」と言っていました。

 

中国文化のコネクションです。このコネクションの威力はすごいですよ。またの機会にお話しましょう。ジョさんは、この会社の「お世話部門」では、少々上の立場の人のようでした。それでとりあえず、銀粘土アクセサリー制作の体験教室を開くことになり、結果、生徒を募集して、一ヵ月後には教室を開設する段取りとなりました。

 


 

というわけで、わたしはいったん日本に帰って身辺整理をし、また上海に来ることになりました。そして日本に帰る前日にミーティングです。なんでいつも間際にミーティングするか、訳がわかりません。例の生徒の出店の時も、その前日に三人の生徒も含む皆でミーティング兼のお食事会。ワンさんが何やら演説をしていたのですが、中国語なのでわかりません。しかし、わたしの方をチラチラ見るので、わたしことを話しているのかと、メイに聞くと、彼女は「わたしが明日お店でデモンストレーションをする」と言っていたのでした。わたしはメイに、「そんな話、何も聞いてないよ。なんで突然言うの。わたしにもそれなりの準備が必要なのよ。」と言って、ワンさんに訳せと言いました。結果は、ご想像通りまるめ込まれて「やりました」よ。

 

そのミーティングで、ワンさんは労働契約書を出してきました。中国語で書いてあります。そして、これはほんとに正式なもののよう。その上、5年契約と書いてあります。中国語は分かりませんが、漢字で書いてあるのでだいたいの内容はわかります。

 

わたしは、「他に正式な物は何も無いのに、なんで労働契約書だけ正式なものを持ってくるのか。そして、中国語で書いてあるものにはサインしない。日本語の対訳を要求する。」と言いました。メイは黙っています。ワンさんは、「じゃあ日本に持って帰ってよく考えてきて下さい。」と。そして、おひらきに。

 

不思議に思われるかもしれませんが、わたしの気持ちとしては、「会社自体が正式なものじゃないのに、なぜ労働契約だけが法律に則ったものなのか。そんなものにはサインできない。」ということ。それなら何故そんなあやふやな仕事(会社)を選ぶかと言われれば、新しい空気が吸いたかった…、そんなところでしょうか。

 

 

003年9月末日、わたしは日本に帰ってきました。そして自分の工房の電話をキャンセルし、ガスも止め、工房を閉鎖しました。所属していたスポーツクラブもキャンセルし、Sにも上海で仕事するからサポートしてほしいと段取りをつけ、すべてクリアーして10月中旬再び上海に旅立ちました。

 

先回上海にいた時に、メイとわたしは上海に戻ってからわたしが住むアパートを探していました。上海に着いたらすぐにそこに行き、契約を交わし、とりあえず必要なものを買いに行く予定になっていました。そのアパートはメイのマンションの近くで、とても素晴らし所でした。新築同然。シャワーだけでしたが、メイが風呂桶を買えば大丈夫と言います。その風呂桶も探し済みだったのです。もちろん家具付きです。ベッド、応接セット、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、何でもあります。新品の自転車も付いていました。そして家賃は会社持ちです。

 

 

そして、再び、上海浦東空港に降り立ったのですが……、ここで悲劇が……、次回につづく~。








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