メイのアパートへ戻りました。
ワンさんとの話し合いの後、メイのアパートに戻って来ました。上海空港についてから、長~い一日でした。でもまだ終わりではありませんでした。
わたしたちは、ビールと晩御飯を買ってメイのマンションに戻りました。夜9時ぐらいです。わたしのトランクはそのままの状態。彼女は「荷物整理しなさいよ。」って言うけど、わたしは、「いったん荷物出したら収拾つかないよ。」と返しました。
メイ:ここに泊まらない気か?
わたし:だって、ご主人とトニー(子供)に悪いじゃん。
メイには夫がいます。そして、わたしがここで日本に帰らなければ、日本に戻れなくなってしまうとの思いもありました。働く会社が無くなったからには、実際日本に帰るべきなのです。でも、工房は閉めちゃったし、みんなに「上海で最後の勝負をする。」なんて、ホラを吹いて回ったし、上海での文化教室の開講は決まっているし…、なのです。
メイは、トニーは土・日しか帰ってこないし、帰ってきてもわたしたちの部屋で寝るからいいよ、大丈夫と言いました。トニーもその方が嬉しいよと。ご主人に関しては、彼は夜中に帰ってきて朝早く会社に行くから心配ないと。ここでも仕事に(良い生活に)熱心な人は、日本の経済発展時代のように「モーレツ社員」です。実を言うと、トニーは彼の子供ではないし彼女たちは正式にはまだ結婚していません。わたしはここに中国の「一人っ子政策」の影響を見ています。上海におけるわたしの研究課題の一つです。
「わかった、トランク開けるよ。」とわたしが言った時、玄関でドアにもの凄いノックの音が聞こえました。中国語で何か怒鳴っています。メイは、「しっ!大家さんだ!電話しなかったね。忘れてたね。」わたしが住む予定になっていたアパートの大家さんがやって来たのでした。そのアパートはメイの家の近くでした。そして、不動産屋がメイの住所を教えたようです。メイは、すぐ灯りを消しました。わたしたちは沈黙。
ノックの音は続き…、中国語の怒鳴り声は続き…、しばらくして、とうとう諦めた様子。ドアのノック音が消えて静かになりました。わたしたちは顔を見合わせて頷く。しかし、少しの間まだ沈黙を続けました。
フーッ、ほんとに帰った様子なのでひと安心。翌日不動産屋から文句の電話がありましたが、訳を話してわかってもらいました。不動産屋から大家さんにうまく言ってもらうことで決着が付きそうです。不動産屋と聞くと、中年のよれよれのおっさんを想像しませんか?わたしだけかな?上海では、仕事をしている人はみんな若いです。20代、30代です。わたしが会った不動産屋の営業はみんな若い女の子たちでした。彼女たちは(というか、全員)、仕事に対する責任と言うものは感じてないみたいで、「いいよ、いいよ。わかったよ。」と、責任を追及しません。やさしいのよ。研究課題その2です。
そしてその夜に、やっと平安が訪れて、わたしたちはビールを飲みながら取りとめもなくおしゃべりを始めました。もちろん今後のことについても話し合いました。するとメイが語り始めました。
「トニーは今年から小学生ね。」
中国の入学は9月です。だからわたしが上海に来る少し前に学校に行ってしまいました。私立の良い学校には、だいたい寮があって生徒はそこで生活します。トニーはその前の保育園から寮に入っていましたが、小学校というのはまた違った意味合いがあるらしく、メイもトニーも少し感傷的だったようです。メイはとてもタフな人です。泣き言など一回も言ったことありません。
そのメイが、
「わたし、トニーを学校まで送っていった日、その夜、晩御飯の用意しようと冷蔵庫開けたね。冷蔵庫の中全部トニーの食べ物だった。トニーのヨーグルト、トニーのミルク、トニーの好きなおかし。みんなよ。涙でたよ。しばらく窓から外眺めてた。」
ふ~ん、オニの目にも涙か…、な。
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