2013年8月20日火曜日

英会話教室からの・・・「わび・さび」について

週一回、英会話教室に通っています。もう英語を勉強する意思は薄れましたが、今ある英語力はキープして行きたいと思っているのです。

アドバンストクラスに入れました。しかし結構無理やりです。マルタで最終的にアドバンストクラスになりましたが、話す方の実力は上級クラスに付いて行っていません。日本でクラス分テストを受けるとたいていアッパーインターメディエットになります。しかし、この両方のクラスの差は段違い。

そこで、今回はアッパーインターメディエットになったら、入学するのはやめようと思っていました。それをなんだかスタッフは察知したらしく、テストをした先生に「アドバンストではだめか」と聞いてくれたのです。先生は、「まあ、大丈夫でしょう」ということで、つまりは無理やりです。


クラスは三人です。そのうちの一人は、以前その学校に通っていた時の(半年だけです)アッパーインターメディエットのクラスメートでした。彼女は「ひとりしゃべり過ぎるので、クラスを追い出された」と言っています。「キックト・アウトされちゃったのよ」って。もうひとりのご婦人は、半年ほど前にこちらに引越しをして来たらしく、友達がいないので友達づくりに教室に来たと言っています。「彼女が、追い出されて、上級クラスを作らなくちゃいけなかったので、わたしが上級クラスに追いやられたんだ」と。つまり、その二人のクラスにわたしが割り込んだと言うこと。

このお二人は歴とした英語上級者。わたしは、そこででたらめな英語を使いつつ、訳のわからないことを発言しております。 前回のクラスは、日本と他の国の慣習の違いをプレゼンするもの。引越してきた彼女は、まあAさんということで、日本のホスピタリティについて語りました。

旅館の客を受け入れるホスピタリティとか、茶道で人を迎え入れる作法、つまりホスピタリティです。そこで、先生が、茶道は日本独自のものなのか、それとも中国文化の影響を受けているのかと聞きます。

「何言っているんだい、先生。茶道は日本の文化で間違いないじゃないか。」とばかり三人で反論。

わたしは以前鈴木大拙著の「Zen Buddhism」を読んだことがあります。彼は、禅と日本の文化の関連性などもその本の中で触れていました。禅と墨絵とか俳句とか茶道・・・。それを思い出し、これらの共通点は「わび、さび、しぶみ」ということだと書いてあったのを思い出しました。だから、先生、「わび・さび」は日本独自の感性なので決して中国から来たものではありません、と。

しかし、わび・さびをどのように英語で言うのか。鈴木大拙はほとんど英語で本を書いているので、その本を読んだわたしは知っているはずなのですが・・・。必死に思い出したのは、「わび」とは貧困の一形態だと書いてあったと言うこと。それを言ってみたら、そのAさんが、見事に英語にしてくれました。そして、先生も納得。「understated」と。

でもなんだか少し違うとも感じ家に帰って、その本を見直しました。 鈴木大拙は、「わび・さび・しぶみ」を同じような意味ととらえています。それで、特に「さび」について述べています(何故だかはわからない)。彼は英語では、「さび」をeternal loneliness と書いていました。その他、彼の著作を彼の弟子が日本語に訳しているものがあるのですが、それでは「わび」を「貧困の美しいかたち」と表現していました。

こんなところです。前にこの「ZEN BUDDHISM」を読んだ時は、訳がわからなかったのですが、少しは英語が上達したらしく、少々理解できるようになっておりました。もう一度読み直してみようか

な~~~、という今日この頃です。 にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
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なんだか改行がうまくいきません。

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