2013年8月13日火曜日
価値観の多様性
人をその国で一般化するのは、少々、民族的問題が絡むことがあります。また、侮辱かも。しかし、そんなジョークはたくさんあります。わかっていながら、笑えますよね。私が好きなジョークのひとつは、こんな感じです。
世界一の大富豪が「いくらでも金は出すから、青いキリンが欲しい」と言ったんだ。
アメリカは、軍隊を派遣して世界中を探した。
イギリスは、会議を開いて戦略方針の検討をした。
ドイツは、「青いキリン」の定義を始めた。
日本は、遺伝子操作で青いキリンを作ろうとした。
で、
中国は、キリンに青いペンキを塗った。
もちろんオフェンシヴです。でも見方を変えたら、中国が一番賢いと言えるかも。金持ちのくだらない要求に、一番くだらない答えで応答したのだから。
お話は少しズレルかもしれませんが、一つの物の見方、基準にとらわれることなく、少し見る角度を変えて、どうしてそうなのだろうかと考えれば違う事実が見えてくるかもと思うのです。例えば、以前『ピダハン』について書きました。彼等は、アマゾン流域に住む少数民族です。狩猟採集で生活を営んでいます。この本の著者、D.L.エヴェレットは、「ピダハンは『ありがとう』と言う言葉を持っていない」と書いています。彼等の社会は皆平等で、総ての物が皆のものです。
人に何かを貰うと言う行為はないのです。つまり、人に感謝する場面はないと言う事。同じように、アボリジニーのある部族も「ありがとう」と言う言葉がないと聞きました。「ありがとう」と言わないなんて礼儀のない社会だと思うのは、単に我々の基準に基づいた考えです。上海に住んでいた時、中国の人たちが「ありがとう」と言うのをほとんど聞いたことがありませんでした。彼らもまた、「人民」という文化的背景があるのでしょう。エヴェレット氏もブラジル人に「アメリカ人はありがとうと言い過ぎだ」と言われてしまいます。わたしも、これは中国人と日本人の本質的な違いではなく、文化的背景の違いだと、日々、自分に言い聞かせていました。
つまり、私の言いたいことは、このグローバライゼーション時代、一つの基準で他を切り捨てることなく、互いの立場を尊重しつつ理解し合おうよ、ということです。もっと言えば、ひとつのグローバルな価値観を作ることは不可能だ、ということです。どうでしょう…。
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