第1章 1998年 南アフリカ・ケープタウン
��.英語学校、グランダムへ
英語学校のフリー授業の抽選に当って英語を習い始め、一年が過ぎた。先生達はほんとうに良い方たちだったと思う。しかし、ここでわかったのは英会話教室の「英語の先生」は、実は「先生ではない」と言うこと。クラス内では、もちろん丁寧に英語を教えてくれる。しかし、クラスが終わればそれでおしまい。彼等にはクラスでどのように教えたら生徒が理解するかとか、このように工夫したらどうかとか、そんな類の努力はない。ただクラスに来て英語を話しておしまいといった程度の先生も、その後も多く見かけた。生徒に宿題を出しておいて、自分が出した宿題のことを覚えている先生はほとんど皆無である。また、同じ先生に頻繁に習うと、彼等がいつも同じことを言っているとわかる。これはこれで、わたしも同じことを何回も答える機会が増えるという利点もある。一度目に失敗しても、また同じことを聞かれるから、次は上手く話そうと自分を慰めることができる。しかし、そんな「先生ではない先生」に不満を覚え、もう少し大きな学校に行けばもっと先生らしい先生に会えるかもしれないと思ったのである。しかしここであえて結論を言ってしまえば、そんなことはほとんど不可能なことであった。日本の英会話学校でほんものの先生に会える機会はゼロに等しい。「英会話」は学問ではない。先生とは、テクニックを教えるインストラクターである。まだこの時点ではそういう事はわかっていなかった。そして、ちょうどこの時期に保険が満期になってちょっとした金額のお金を手にしたこともあり、思い切って少々授業料は高いが大手の学校に代わろうかと思ったのである。
次に選んだ学校も新聞広告で知った学校だった。一回の体験コースに来てみませんかというもの。それでまたしてもフラフラと乗ってしまったのだ。この学校は大きかった。大きなビルディングのワンフロアを占めている。中に恐る恐る入ってみると、個室のようなブースが10室くらい、そして大きな仕切りのないフロアにはたくさんのテーブルが並べられている。また、同じフロアに低いパーテイションで区切られた場所があり、そこに30人以上と思われる数の先生達がいた。先生の部屋という造作ではないので、彼等がお互いに話している姿や何やらペーパーをチェックしている姿などが垣間見えた。一度にそんなにたくさんの外国人を見たのは初めてだった。
受付に行く。
「体験クラスに来ました。」
「はい。お電話で予約された方ですね。では少々お待ち下さい。」
マニュアルどおりの親切な受け答えが返ってきた。個室の方のブースに通された。平気な顔を装っていたが、内心はもうドキドッキ。ちょっと待つと、事務担当のスタッフのような日本人の男性が現れた。
「それでは、簡単なテストをしますから、そのテストの結果をみてからまたお話いたしましょう。」と言った。
「えっ、そんなこと聞いてないよ」と思ったが、ここまで来たらもう引き返せない。
「では先生が来ますから、もうしばらくお待ちください」と。
テストと聞いて少々ビビったが、この一年間の英語を話す経験と通信教育で勉強したことで、少しは英語に対する自信ができていた。とりわけ通信教育はボキャブラリーとヒアリングマラソンというコースを学び、添削で良い成績を修めていた。もうひとつ、日本の文法の英語教育は素晴らしい。いくら嫌いな英語とは言え、大学受験で目一杯に勉強し、大学受験にパスしたという自負もある。つまりペーパーテストは大丈夫。
つづく・・・
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