「アフリカの奇跡」ルワンダ
��994年、ルワンダ大虐殺はご存じの事と思います。ツチ族・フツ族の対立により百日間で80万人以上の人が犠牲になりました。それから16年あまり、過去5年間のルワンダの経済成長率は、世界トップクラスの平均8%です。
先ずは、ルワンダ大虐殺の背景について簡単に述べたいと思います。
ルワンダはかつてベルギーによる植民地支配を受けており、8割以上を占めるフツ族と少数派のツチ族がいました。ベルギーはその少数派のツチ族を優遇し、フツ族はほとんどが貧しい農民として暮らしていました。ところが1962年、ベルギーから独立し、初めての国政選挙が施行されると、多数派のフツ族が権力を握ったのです。そして、ツチ族への報復が始まるとともに、ツチ族は弾圧を逃れるべく難民化しました。
そして、現ルワンダ大統領であるカガメ氏がこの虐殺を契機にツチ族を中心としたルワンダ愛国戦線(RPF)を率いて94年に首都キガリに侵攻し、ルワンダ全土を掌握したのです。フツ族のパストゥール・ビジムングを大統領に、RPFのポール・カガメを副大統領に新政府が樹立されました。そして、内政が安定化された2000年に、カガメ氏が大統領に就任しました。
ここで、ディアスポラというキーワードがあります。ディアスポラとは歴史的な由来から特にパレスチナの外で離散して暮らすユダヤ人集団のことを指しますが、今日では他の国民や民族を含めた一般の離散定住集団を意味します。最近では、混乱によって国外に亡命したツチ族ルワンダ人や、ソマリアを逃れたソマリ人集団などについても用いられたりします。
��959年、2歳の時に母に抱かれて隣国のウガンダに逃れた大統領カガメ氏もディアスポラでした。彼は「世界各国で経験した事をルワンダに持ち帰り、この国に新たな力を与えることが、あなたたちディアスポラの義務だ」とし、ディアスポラの力を最大限に生かす経済政策を取りました。税金優遇策や二重国籍を認める等です。アメリカ、フランス、ベルギー等の欧米諸国に加え、ケニア、コンゴ、南アフリカなどの周辺国家から帰国したディアスポラは100万人にも上り、奇跡の立役者となっています。コーヒーなどの輸出用農産物、マウンテンゴリラなど外国人をターゲットにした観光産業、ホテルなどの不動産開発など、そしてディアスポラ自身の旺盛な消費行動も内需を拡大し、大いにルワンダの経済発展に貢献しています。
しかし、奇跡の復興の恩恵はディアスポラの集まる首都キガリの周辺に集中し、地方までは及んでいません。コンゴとの国境の町ルンジでは、コンゴからルワンダに帰って来るフツ族の難民が多くいます。94年、カガメ率いるツチ族を中心とした軍隊が侵攻してきた際、コンゴへ逃げて難民となった農民です。今後、100万人以上のフツ族難民がルワンダに戻って来ると言われています。ツチ族のディアスポラの力によって繁栄する首都キガリと、難民の帰還が相次ぐフツ族中心の農村の格差は広がるばかりです。再びベルギー植民地時代と同じ様相が見えてきます。
しかし、ピエール・ムニュラ氏の試みのような例も見られます。ムニュラ氏はツチ族のディアスポラの一人。2000年、海外に逃げて生き延びた他の親族たちに寄付を募り、コーヒー農園を設立しました。そして今、フツ族の農民と共同で、新しい農園を開こうと挑戦しています。お互い親族を殺し合った民族同士、協力できるのかという問いに対し、彼の母が残してくれた言葉、「ツチ族もフツ族も同じルワンダ人なんだ。必ず共に生きていける日が来る」を信じ、新たな試みに立ち向かっています。
「ツチ族もフツ族も同じルワンダ人」ということは、歴史的にも、科学的にも正しいそうです。もともと二つの民族は、同じ言葉を話し、同じ文化を共有し、その境界線はあいまいでした。フツ、ツチというのは、職業の身分に区別をつけただけとも言われます。牧畜を行うものがツチ、農耕を行うものがフツといった程度の。これに民族の違いという区別、優劣をつけたのがベルギーの植民地支配でした。ツチ族が比較的欧米人に似ているから優れた民族だと言う認識から来たものにすぎず、優生思想、民族には優劣がある、そして欧米人がその頂点に立つといった誤った思想からのものでした。ムニュラ氏の試みは、始めフツ族の農民たちには信用できないものでしたが、彼の「利益が出たら総てを平等に分配する」という言葉に彼等は賛同しました。そして「同じルワンダ人なのだ」という言葉に。
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