ご存知のソポクレスのギリシャ悲劇『オイディプス王』と『コロノスのオイディプス』をどのように読んだらよいかという事が書かれた本です。
オイディプスのお話は、子ども向きの本で読んだきりで粗筋を知っている程度です。また、わたしが中学生か高校生の時、古代ギリシャやエジプトの話を映画化することが流行っていました。その時、このオイディプスの映画も見ました。ああ、思い出しました。パゾリーニの『アポロンの地獄』です。
ところどころのシーンを鮮烈に覚えています。オイディプスがすべての謎を解き終え、自分が父親殺しで、母親と同衾し自らの子でありながら妹・弟をもうけたと悟った時、自分がしてしまった事に恥じ入り、ピンで自らの目を突いて盲目になります。その時の突かれた目のアップのシーンは強烈でした。なぜこんなにまでも血が流れるのだろうと思って見入っていました。
このシーンは、本ではこのように書かれています。
「一度だけではなく何度も、御手を振り上げられては御目を突き刺されました。眼球から流れる血が、頬を赤く染めた。それも血の濡れた雫が、ぽたぽた落ちるのではなくて、血潮がまるで黒い雨と霰のように、どっと流れ出たのです。」
なるほど・・・・・。
オイディプスは神の宣託である父親殺しと母親との同衾を避けるために故郷を捨て、知らず知らずに実の親元であるテバイに辿り着きます。そこでスピンクスの出した謎を解き、その褒美として女王を娶る事になるのです。実の母とも知らずに。そのスピンクスの謎とその答えは余りにも有名です。
「朝は四本足で、昼は二本足で、晩になると三本足で歩くものは、何か」
「それは人間だ。なぜならば、嬰児は四本足で、成長すると二本足で、老いると衰弱のために杖を使い、三本足であるから。」
子供の頃に本で読んだわたしは、へ~~~、そんなものかと思っただけですが、これには深い意味があると著者(吉田敦彦氏)は指摘しています。
そもそもこのような答えでスピンクスが自分の出した謎を人間に解かれたと恥じて、自らの命を絶つとは考えにくいと。スピンクスが自ら自分の命を絶った理由は、オイディプスが自らを指して「人間だ」と答えたからだと。
オイディプスは父を殺し、自分の母親を犯して子供を産ませるという獣のような行いをしました。つまり四本足の獣です。そして、その罪によって自らの目を突いて盲目となり、杖をついてその後の人生を放浪する事になります。つまり三本足。しかしながら、オイディプスはそのような状態にあっても、二本足である人間の尊厳を失うことなく、自分の罪の償いをしました。そんな同時に一つの体で四本足、三本足、二本足の属性を持つオイディプスが、自らを指して自らの正体を暴露した(自分では知らないうちに)と言うところにスピンクスが驚いて自分から死を選んだということです。
この劇がアテネで上演された紀元前四百三十年頃、アテネは悲惨な時期にありました。ソポクレスはそんなアテネの人たちに向かって、人間の尊厳と言う事をこの劇で示したのだと言うのが著者の主張です。この劇が上演される少し前、アテネは第二次ペルシャ戦争を戦っていたのです。その作戦は、周辺の民に土地を捨てさせ総ての人を城壁の中に囲い込むと言うもの。そのために今まで蓄えた富で周辺諸国から食料品などを買い込み備蓄しました。その交易のために疫病がアテネにやってきたのです。ペスト。また閉じられた場所にたくさんの民衆を囲い込んだ事が災いして、よりペストの蔓延の影響を受けました。
そもそも、この作戦は神の宣託ではなかったのです。アテネはギリシャ第一の都市であるという自負そして自惚れから、神をもないがしろにする傾向がみられました。そこで、自らが立てた作戦ゆえにおのれ自身を窮地に陥れた事と、疫病の流行から人間の尊厳も捨て去り、非道な行為(病人を見捨てたとか埋葬もお座成りに済ましてしまったというような事)に走ったという事実から、アテネの人々は人間としての自信を喪失していました。
そこでソポクレスは「オイディプス」により、どんな窮地に陥っても人間としての品格を忘れてはいけないし、また人間はそのような時にも尊厳を失わないで生きていける存在なのだという事を万人に示したのです。そして、アテネの人々がもう一度人間としての誇りを取り戻して暮らしていけるようにと。つまり、オイディプスは「人間とは何か」のソポクレスの答えだったのです。
感動しました。子供の読み物で読んだお話がこんなに深い意味を持ったお話だったなんて。それから、紀元前四百年の頃の事をこんなにも詳細に語る事ができるなんて。
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