2018年12月29日土曜日
2018年12月23日日曜日
今、尚、世界はキナ臭く……
『アンティゴネ』 ブレヒト
ソフォクレスが書いたギリシャ悲劇をドイツのヘルダーリンが翻訳し、ブレヒトが舞台用に改作したものです。戯曲です。1948年に上演されました。しかし、わたしが購入した文庫本は、2015年8月20日に初版本として出版されたものです。
最近、囲碁に夢中でなかなか他の事が出来ません。囲碁の本を読んでいると、それなりに頭は使うし、論理的思考は満たされますが、情緒的には満たされません。なんだかどんどん鬱屈していくので、「そうだ、何か小説を読もう。」と…、これは戯曲ですが、戯曲ゆえに早く読めそうと。
ブレヒトは、わたしの青春時代のヒーローです。その頃「ブレヒトの異化」という概念が流行っていました。それまでの舞台演出は、「アリストテレス的演劇」つまりルネッサンスの時期から始まった西欧の演劇が主流でした。観客は観劇する時、その内容と同化し感動し情緒的に満たされると言う構造です。ブレヒトはそれを嫌い、「異化」、つまり劇と観客が同化しないことを望みました。観客は劇に感情を翻弄されるのではなく、客観的に劇と対峙し、その内容を把握し、自分の意見を述べる事、考える事を要求されるのです。
というような事を『アンティゴネ』を読み終わってから、つらつら考えました。わたしも少し満たされた気分です。
ブレヒトの『アンティゴネ』とソフォクレス原作の『アンティゴネ』の間には、少々の違いがあるようです。翻訳者の谷川道子さんが、長い、長い、解説文を書いていますが、その中で述べられているその違いは、ブレヒトの脱神話化の意図のための様です。
そもそも『アンティゴネ』はギリシャ神話です。人間と神のお話。神に定められた運命は人間には変えることが出来ない。それをブレヒトは、人間と人間の話として構築しました。アンティゴネは、自らの運命を神の意志に委ねるのではなく、自分の手で変えようとしたと。そのためにブレヒトは筋の骨組みを少々変えていると、谷川道子氏は指摘しています。
アンティゴネは、オイディプスの娘です。オイディプスが自らの母親と、そうとは知らずに交わったために出来た子どもの一人です。末娘です。ソフォクレスは、その呪われた子どもたちまたは一族の話を書き連ねています。
オイディプス王が自分の犯した罪を引き受けて去った後、テーバイの王権は、息子である兄弟が一年ごとに交互に治めると協定しながら、約束を守らなかった兄エテオクレスから政権を奪うために、弟ポリュネイケスが敵国アルゴスと組んでおこした戦争がテーバイの勝利に終わったという後日譚があります。
しかし、ブレヒトの場合は、王権を継承した伯父クレオンが起こした戦争での事件です。兄エテオクレスの戦死に驚いた弟ポリュネイケスが逃亡し、逃亡兵として殺されます。その弔いを禁じたクレオンのお触れに妹であるアンティゴネが逆らい捉えられるという内容。クレオンの戦争も、アルゴスの鉱石目当てにテーバイがしかけた侵略戦争であることが明らかになります
その違いはブレヒトが生きた時代に関連があるかもしれません。ブレヒトは、1898年、南ドイツに生まれ、第一次世界大戦に召集されました。そして、医学部に在籍していたことから衛生兵として敗戦まで陸軍病院に勤務しました。その時の経験から、詩や戯曲の創作に入り戯曲作家として名前が売れました。
それから時代は、第二次世界大戦に突入していくのですが、ブレヒトはヒットラーが政権を掌握してから、ナチスに追われる身になり、アメリカに亡命。戦後、東ドイツに戻り劇団を設立し、演劇活動を再開するのです。それから、彼の「異化理論」により世界的な名声を手に入れました。1956年に心筋梗塞のため亡くなっています。
そんな時代に生きたブレヒトは、『アンティゴネ』で何を表現したかったのでしょうか。第二次世界大戦終結後、ブレヒトは、「古代ギリシャ悲劇の偉大な抵抗者は、我々にとって最も重要な意味を持たなければならない反ナチ抵抗戦士の代理を務めているのではない。今日では彼らを思い出させるようなことが殆ど起こらず、それどころか忘れさせてしまうようなことばかり起こっているだけに、なおさらこれは残念である。」と書いています。
解説ではこれを、「終戦と共に核戦争の危機と東西冷戦が始まり、反戦と抵抗の論理が終焉していくことへの苦々しい思い」と、分析しています。ブレヒトの『アンティゴネ』は、ナチズムとスターリニズムとマッカーシズムの三つの極を生き延びて、これから生まれるべき新しい世界と新生ドイツを前に、国家とは、祖国とは、演劇とは何かが、ブレヒトにもドイツ人にも、根底から問われなければならなかったであろう時代に書かれ、創られたのだ、との提言です。
時代は、今尚ですね。
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