2025年1月19日日曜日

数独からの~~~


 

新聞に週4回くらい数独パズルの問題が掲載されています。今、はまっています。難易度があって、「★3」か「★4」まではなんとか解けますが、★5は無理です。


考えたのですが、数独はルールもバッチリ確定しているし、回答もキッチリとしています。つまり、不確定要素が全くないという事。人間業でも、数字を一つずつ当てはめていけば、正解に辿り着きます。AIに頼めば秒殺でしょう。


それで、他のゲームの事を考えてみると、AIが人間を超えたのは、オセロ、そしてチェス。これらは、不確定要素が少ないので簡単だったのではないかと。


それから、将棋。チェスと似ていますが、取った駒が自軍のものとして使えるので不確定要素が増えます。AIは、将棋はチェスよりも後に「勝ち」を完成しました。囲碁については不確定要素が膨大なので、AIはなかなか攻略できないだろうと言われていましたが、攻略完成。


それで、今は、AIにお世話になって人間は囲碁を進化しています。



何故かな~。


考えるに、たいていのゲームは、勝利の最終形がわかっているのに、囲碁は見えないという事かもと。どうなったら勝ちと言う事です。囲碁も地をたくさん取れば勝ちということになっています。が、地をたくさん取るという「形」は無限です。


今、囲碁に沼ハマのわたしは、どうやって勝利を手に入れたらいいのだろうかと、思案中。



囲碁は、構想力が大事と言われます。少々その意味がわかってきました。「勝利の最終形」を構想してそれに突き進んで行くのかと。それでも、相手次第で、最終形は刻々と変わっていくからな~あ。途中で、「作戦変更」ということもあるからなあ~。


悩まし。。。






2025年1月12日日曜日

少し前の『折々のことば』


 

朝日新聞のコラムです。


1月9日のもの。


光は、はてしない闇のなかに湧いて、ちぎれたり、合わさったり、消えたりする、気泡のようなものでしかない。

川田順造『広野から』より


サヴァンナで陽が落ちるーーー、その時闇は光の欠如ではなく、光が「闇のまたたき」だということがありありと感知される。人の眠りや死も、つまるところ「個をこえた連続への復帰」なのだ。




少々難しいですが、「個をこえた連続への復帰」というところに私の妄想がムクムクと湧いてきて……。


私は一生懸命生きてきた。これは、わたしの一生ではなく、人間の「生」を繋ぐ一片の試みなのかと。「生きる」、そこに意義はあるのか?あるいは、単純に「生きていく」ということに意義があるのか?


人類が生き続けるのに意義はあるのか。他の動物や植物、生物がこの地球上で「生」を営んでいるのと同じように、ただの地球に起きている現象の一部ではないのか。


というような、ことです。





2025年1月5日日曜日

今日の一冊


 

とは言え、昨日の新聞広告の本ですが。


『火山と断層から見えたーーー神社のはじまり』です。読んではいません。


題名通り、火山の断層のところに神社が建てられたというお話と思われます。そこから古代史を解明するそうです。大変興味があります。


先ず、古代史が好き。神社の意味に興味アリ。と言いうことでアマゾンで検索してみました。肯定的な意見の方が多かったですが、ひとつ、「★一つ」のものがあり、「都合の良い例だけを取り上げてあり、一貫性がない。」とありました。




この本に興味がある人は、こんな本もチェックしていますーーーというところもチェックしたのですが、他に興味湧く本はなかったです。神社の本をチェックすると、なんやら「右寄り」の方の本もあり、要注意(わたしは「右寄り」に興味がないので)。


と言うことで、家にあるまだ読んでいない本から読むべきかなあ~、と、反省。


例えば、


『建築からみた日本古代史』

『古代研究』

『縄文人の世界観』

『骨が語る日本人の歴史』

など。


読む本が、い~~~っぱい、アリマシタ。