朝日新聞のコラムです。
今日の「折々のことば」は、
「経済合理的」に考えることは、単なる思考法の一つだが、すべてのことを経済合理的にしか考えないのは信仰である。
合理的に考え、ふるまうことは重要だが、合理性には科学的、医学的、経済的等など時に対立する種々の見地がある。「経済合理性」が他の合理性を呑み込み、しかも「極めて短期的な利益の最大化のための道具」と化している社会は、歪で、だからひどく脆い。
と、文筆家である平井克美さんは、述べています。
私が引っ掛かったところは、「経済合理的にしか考えないのは信仰である。」という所。これは、経済ばかりでなく、科学にしても医学にしても通じるところ。
「神が死んで科学が神になった」のは、第二次産業革命以降の事。科学が信仰となったのです。わたしは、すべての学問には底流に哲学がなければならないと思っています。合理的に考えるとともに、「人間である事」、「人間とは何か」という思考がなければいけないと思う。
コロナ禍の中、経済的に困窮している人々がいるのと同時に、株価が上昇している状況は、
どういう事? と、思うのです。
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