以前『コンゴ・ジャーニー』で書いたことです。
これは、1990年ごろのthe People’s Republic of the Congoのお話です。今は少々事情が違うかもしれません。でも、彼等の伝統的考え方(一番金持ちの人が他の家族を養う事は当然…と言ったような)と新たに入ってきた文化(個人の権利か?)の間での苦悩がうかがい知れます。これをどのように受け止めるかは、ちょっと悩ましいところです。
つまり、「文明」はどこまで「伝統」に関与できるのかという意味で。
先頃の朝日新聞のコラム「折々の言葉」で夏目漱石が語っていました。
二つの要求を較べると明らかに矛盾である。ーーーここまではよろしいのです。
解説は鷲田清一。
「二様になる方がかえって本来の調和」なのだと作家は説く。大事なのは表面上の無矛盾ではなく、「無理のない型をこしらえる」こと。形だけの整合性にこだわる固陋をこそ廃すべしと。
という事です。「文明と伝統を無理なく調和させる」という「ありきたりな」ものが解答のよう。アマルティア・センが『アイデンティティと暴力』で書いているように、ひとりの人間の内にも多々な異なったアイデンティティが共存していて、その調和を日々しているのである。。。か?
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