2025年3月20日木曜日

我が青春のロラン・バルト



少し前の新聞のコラムですが、ロラン・バルトの言葉が載っていました。


「わたしは、真の独自性の場が、相手にもなければわたしにもなく、二人の関係にこそあることを見ぬく。」


懐かし~~~い~。ロラン・バルトだあ~、と思って。


人は、ひとたび出会えば。もはや「形容」も「分類」も不可能な、取り換えのきかない存在になっている。と、いうことらしい。人は関係において独自の存在になるという事。



いくら自分で自分はこういう人間だと思っても、それは、人との関係性においてだけでわかることで、絶対的に「独自の自分」というものはないらしい。


なんかロラン・バルト、面白いジャンと思って、本棚を見ると、

『神話作用』と『文学の記号学』の二冊があった。『神話作用』は読んだような気がするが、全く覚えていない。『文学の記号学』は、諦めたような気がする。


もう一度トライしてみる???





2025年3月11日火曜日

犯罪都市

 


つい最近のニュースに、多くの国籍の人々が大人数閉じ込められて詐欺犯罪に加担することを強要されていた、というのがありました。


ウッ、これって『ゾミア』の事じゃないの?と。


以前読んだ本です。ここにも感想をUPしましたが。


『ゾミア』とは、ベトナムの中央高原からインドの北東部にかけて広がり、東南アジア大陸部の5か国、ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ビルマと中国の4省を含む広大な丘陵地帯を指します。


地球で最後に残された国境なき世界です。ゾミアが非国家圏であり続けることはそう長くはないだろうとは書かれています。




ここから日本人高校生16歳が、救助されました。この高校生凄いなっと思っちゃって。ちょっと不躾ですが。


だって、ひとりでスマホを持って脱出し、位置情報を父親に送信して助けを求めたんですよ。父親に「ゴメンナサイ。」とも送信していました。


きっと、大した人物ですよ。ーーーと思いました。





2025年3月3日月曜日

『最後に鴉がやってくる』を読んで

 



『最後に鴉がやってくる』

  

イタロ・カルヴィーノの初期短編集です。カルヴィーノが大好きな私としては、即購入。しかし、いつもと違う雰囲気です。いつもの彼の幻想的雰囲気やシュールな感じ、または、おとぎ話的要素がない。

 

ロシアの古典小説のような「貧困、父権、無知」が支配し、重苦しい趣です。が、読み進めるうちに、段々彼独特のユーモアが表れてきました(年代順になっているのでしょうか?調べていませんが。)。

 

『木登り男爵』のようなおとぎ話プラス批判精神や『レ・コスミコミケ』のようなSF的要素、『遠ざかる家』のようなシュールな物語、等々。

 

表題の『最後に鴉がやってくる』も、話としては重苦しいですが、不思議な雰囲気が漂っています。

 



戦争を背景に、兵士の団体の前に少年が一人表れる。少年は、兵士のスキを見てひとりから銃を取り上げる。兵士が驚いているうちに、少年は川面に飛び跳ねた魚を銃で仕留めます。兵士は感心して少年が同行することを認めます。少年は、銃を要求します。兵士も貸与します。

 

そうやって道を進んで行くのですが~~~。

 

兵士は、少年の銃の腕前から敵を攻撃するのに役に立つと思っています。少年は、ただ銃を撃ちたいだけ。

 

その晩、少年は兵士たちが寝ているうちに一番良さそうな銃を掴んで、ひとり戸外に出ます。そしてひとり道を進んで行き、手当たり次第に生きているものを撃ち続けます。カケス、山鼠、動かない毒キノコさえも。

 

やがて一人の兵士が少年を見つけると、少年と兵士の戦いになる。

 

しかし、少年は兵士を撃つという明確な目的を持っているわけではなく、動くものなら何でも打つというスタンス。

 

兵士は鴉が飛んでいるのを見た。少年が撃つだろうと思った。が、鴉は一向に撃ち落とされる気配はなく、兵士は、鴉は幻で「死にゆく者はあらゆる種類の鳥が飛ぶのを見るものなのだろう。そしていよいよ最期というときに鴉がやってくる。」と思う。

 

そして、兵士は、「鴉が飛んでいるぞ~。」と少年に叫びかける。そして……最期は。。。

 

 


 

この年代の作家は第二次世界大戦の面影に支配されています。彼もパルチザンとし戦いました。大江健三郎然り。彼らは戦争の残像に悩まされ、作品を残していきました。その後もベトナム戦争や学生運動など「戦いの中」に生きてきた人々です。

 

近年「小説は終わった」という意見があります。名前は忘れましたがノーベル文学賞を受賞した作家の言です。奇しくも大江健三郎氏も同じようなことを述べていました。

 

私にはどういう意味か確信はもてませんが、「題材としての戦争」が終わったという意味もあるのでしょうか。

 

段々、世の中物騒な方向に進んで行きます。如何かな。