2025年1月12日日曜日

少し前の『折々のことば』


 

朝日新聞のコラムです。


1月9日のもの。


光は、はてしない闇のなかに湧いて、ちぎれたり、合わさったり、消えたりする、気泡のようなものでしかない。

川田順造『広野から』より


サヴァンナで陽が落ちるーーー、その時闇は光の欠如ではなく、光が「闇のまたたき」だということがありありと感知される。人の眠りや死も、つまるところ「個をこえた連続への復帰」なのだ。




少々難しいですが、「個をこえた連続への復帰」というところに私の妄想がムクムクと湧いてきて……。


私は一生懸命生きてきた。これは、わたしの一生ではなく、人間の「生」を繋ぐ一片の試みなのかと。「生きる」、そこに意義はあるのか?あるいは、単純に「生きていく」ということに意義があるのか?


人類が生き続けるのに意義はあるのか。他の動物や植物、生物がこの地球上で「生」を営んでいるのと同じように、ただの地球に起きている現象の一部ではないのか。


というような、ことです。





2025年1月5日日曜日

今日の一冊


 

とは言え、昨日の新聞広告の本ですが。


『火山と断層から見えたーーー神社のはじまり』です。読んではいません。


題名通り、火山の断層のところに神社が建てられたというお話と思われます。そこから古代史を解明するそうです。大変興味があります。


先ず、古代史が好き。神社の意味に興味アリ。と言いうことでアマゾンで検索してみました。肯定的な意見の方が多かったですが、ひとつ、「★一つ」のものがあり、「都合の良い例だけを取り上げてあり、一貫性がない。」とありました。




この本に興味がある人は、こんな本もチェックしていますーーーというところもチェックしたのですが、他に興味湧く本はなかったです。神社の本をチェックすると、なんやら「右寄り」の方の本もあり、要注意(わたしは「右寄り」に興味がないので)。


と言うことで、家にあるまだ読んでいない本から読むべきかなあ~、と、反省。


例えば、


『建築からみた日本古代史』

『古代研究』

『縄文人の世界観』

『骨が語る日本人の歴史』

など。


読む本が、い~~~っぱい、アリマシタ。





2024年12月30日月曜日

今日の本



と言っても、12月25日の新聞記事ですが。。。


詩人・大岡信をたたえる「大岡信賞」の受賞者が選出されたという記事です。詩人の新井高子さんに決まりました。わたしは知りませんが、記事を読んでいるととても面白そうです。


詩集『おしらこさま綺聞』です。授賞理由は、「作者独自の混成方言によって近代の見直しと言語実験を一つにした試みに対して」。


気仙地方のおんば(おばあちゃん)たちの方言。上州弁、気仙弁などが混然一体となって紡ぎだす詩。。。「近代文学やリアリズムを超えた不思議な幻想の世界へと導く~」ということです。



詩はほとんど読んだことがないのですが、「言葉」に非常に興味のある私は、詩は理解できなくても……、読んでみたいなあ~と。で、アマゾンで検索したのですが、「取り扱っていない」とか。余計読みたいよ~~~ん。


書評を読んでいると、

「あなたの実存は、死後の世界だよ、おらたちの」とか、「生きものだァもの/模様、/というもの」


というフレーズが目に入り、ああぁぁ~読みたいよ~。





2024年12月23日月曜日

軽自動車



歳とともに車をどうしようかなあ~、と。もうすぐ車検なので、軽自動車にしようか~、と。友達に聞いたら、「軽は楽だよ。」と。 


以前、軽自動車について書いたことがあります。黄色のナンバープレイトはダサいと書きました。どんなステキな車でもあの黄色がダメにすると思っていました。


ちょっと検索してみたら、黄色のナンバープレートを避ける方法があるようです。もちろん料金はかかりますが、いろいろなプレートのデザインがあるようで、白をベースに黄色が少々取り込まれているような~。


隅に三角の黄色が配されていたり、黄色の小さな花が入っていたりーーーです。それから、来年は関西万博ですから、来年中は、万博に寄付をすれば白のナンバープレートに小さな万博のロゴが入っているものにできるとか。



しかしながら、


この頃、車で走っているときに軽自動車を観察しています。脇見運転はいけませんよ~と、唱えつつ。それで、黄色のナンバーも良いなあ~と。


なぜか考えてみるに、今までは「車はカッコいいもの」となんとなく思っていました。が、軽に日常的に乗るとなると、ふつうジャン!日常の道具ジャン!そんな気取ってナンバープレートをいじくらなくても良いジャン!


となると、黄色のナンバープレートも可愛いなあ~。人間(私)、どうしようもないですね。ホントいい加減なんだから~。


と言う訳で、「軽」に乗るなら変にカッコつけないで黄色のナンバープレートでいこ~、と決断しました。






2024年12月10日火曜日

今日の本


 新聞広告の本です。


『文学者とは何か』


超大物文学者の対談です。だいたい、対談とか人の経験談とか人生論などに全く興味がありません。(人のハナシなど、屁とも思っていないわたしのダメなところ。)


しかしながら、阿部公房と三島由紀夫と大江健三郎となれば、どうですか!


彼らが、「文学」・「文学者」を語るとなれると……興味アリ。


買うべきや否や。。。





2024年12月9日月曜日

検討(囲碁)


 

囲碁で対局の後に検討することは大事だ、ということは、重々わかっている。


でも、誰と?


同じような棋力の、「囲碁のイの字」もわかっていない者同士が、何を語る。先生のような存在の、信用・信頼している人なら、素直に教えを請おうというものだ。


そういう人は、なかなかいない。ただの上手(うわて)が対局後に、なぜわたしが負けたのかとか、どの手が悪いとか言い出すとムッカっと来る。それを、ウンウンと素直に聞いている人達がいる。なぜ?


ムッカと来るわたしが悪いのか?なんで、そんな「死者を鞭打つ」ようなマネができるのか、と。それに、負けた理由は本人はだいたいわかっているのだ。




で、先日のテレビの囲碁番組です。「検討」について話していた。リーグ戦のあとの検討はどう始まるのか…ということ。


ほぼ、負けた方から始めるという。勝った方は、負けた人がどういう心情でいるのかと推し測り、沈黙して見守っていると。どうしても「負け」から立ち上がれない敗者は、検討はしないで帰るという。


検討は敗者のためにあり、負けた理由を自分に言い聞かす時間、または納得する時間ーーーだそうです。


ならば、すぐ「なんのかんの」言ってくる人たちは、マナー違反の礼儀知らずではないのか。わたしが聞いてから言えよってもんです。


そんなわたしでも、スーッと入てってくることを言う人もいる。素直に「はいはい」と傾聴する。人の「心持ち」を慮る出来た人もいますよネ。


ということで、検討でなく「研究会」をする方がよいと思う。そんなことをわざわざする人はいないが。趣味なんですから。だから、日々私はひとりで研究に励んでおります。






2024年12月5日木曜日

新聞のコラムからのを~~~、


コラムの始まりは、「トランプ氏が大統領になるにあたり、いろいろな人を登用しようとしているが、共通項は『リバタリアン』である。」というようなことから、そして、「リバタリアンとクマ」を主題とする興味深い本を見つけたという事。


『リバタリアンが社会実験してみた町の話』という本。北米東部の小さな町で起きた実話だそうです。


リバタリアン;個人の自由を優先し、政府の介入を極端に嫌う人たち。そういう人たちが一団となって、自由な町を創るべく移住してきたというもの。そこにクマが現れて……、


人々はそれぞれの意思に従って、ばらばらに対応する。自由を追求するため役所にも届けない、クマの餌となってしまうごみ処理もバラバラ。結果、クマが増え移住者の内輪もめもあり計画は失敗に終わる。ーーーというものだった。




わたしはこれで、「自由と民主主義」といった方向に話が進むものと思っていたら、話は熊の方に向かってしまった。野生動物との共生の話、先日の「秋田市のスーパーに熊が立て籠もった」という話へ。


なんのこったい!!!


「自由」と「民主主義」は相反する概念だということを指摘してもらいたかった。人々が自分の権利である「自由」を少々我慢し、協力し合って「民主主義」を育てていくーーーというようなあ~。


銃を持つ権利を放棄して、警察に移管するとかあーーー。


だから、「自由民主党」とは、どういう意味なのだろうか?ーーーとかあ~。


そんなことです。。。