ペナンの旅ももうわずかです。木曜日に帰ります。『高い城の男』は、この30日余りの旅に持ってきた本の1冊です。フィリップ・K・ディックは大好きな作家で、日本語に翻訳された彼の本はほとんど持っていますが、読んでいない本もあります。若い時分から読める時に読もうと買い漁っていたからです。そしてこの本もそのひとつ。
しかし、この本はあまり読む気がしませんでした。それは、彼が、第二次世界大戦で「日本とドイツ」が勝った世界を著しているからです。アメリカをドイツと日本が二分割しています。ドイツはナチスが、日本は天皇を頂点とする軍部が政権を握っています。その設定に何も文句はありませんが、いくら天才とはいえ西洋人が日本のことを著すと日本人としては、「ん?」と思うところが出て来ます。それが、読んでいる時に小説の内容を邪魔するからです。
なぜ、それならこの本を持ってきたかと言いますと、ひとつにはいつかは読まなければいけないという強迫観念、二つ目は、ラジオ番組の「すっぴん」で高橋源一郎さんが推薦していたこと、そしてフィリップ・K・ディックを知っていた稀少的な存在の英会話の先生が(不思議なことにフィリップ・K・ディックを知っているのは、カナダ人です。)、「『高い城の男』がディックの一番の傑作だ。」と言っていたからです。高橋源一郎さんもそう言っていました。ほんとにそうだろうかと。
読みだしたところ、やはり想像通り「ほんとにそうだろうか。」でした。どうして、彼らはこれが彼の最高傑作と言うのだろうか。彼の作品は、3~4のエピソードがそれぞれ独立して語られてそれが微妙に交錯し、大団円を迎えるというパターンが多いのです。今回の『高い城の男』もそんな感じでした。が、一つ一つのエピソードが中途半端で大団円になり切っていないのです。それはこの作品が彼の過渡期の作品だからかもしれません。初期のハチャメチャなコミックブックのようなSF世界と彼の後期の宗教的境地に入っていく境の作品であるとどこかで読みました。
彼の後期の作品は、キリスト教的ですが、キリスト教でもない異教徒系キリスト教とでもいったような世界です。実際、『高い城の男』は、「易経」が主要な位置を占めています。登場する日本人や「日本側」のアメリカ人は、易で大事なことを占って行動を決めたりしています。
肝心なことを書き忘れていました。この「高い城の男」とは、この本の中で日本とドイツが第二次世界大戦に勝ったのではなく、「アメリカとイギリスが戦争に勝った世界」を描いた本の作者で、その本は『イナゴ』という題です。その本はドイツ側の世界では発禁となっていますが、日本側では買うことが出来ます。この本の著者はドイツの暗殺を恐れて、高い城のような鉄条網で囲われた場所に住んでいるといううわさなのです。わたしは、フィリップ・K・ディックの著書『ジョーンズの世界』のように、この「高い城の男」がメインとなって話を引っ張っていくのかと思っていましたが、全く違いました。この男は最後に出てくるだけで、なにかごく普通の平凡な男でした。
では、なぜ皆この本を彼の最高傑作と言うのか。「訳者あとがき」によりますと、
フィリップ・K・ディックの数多い長編のうち、どれを最高傑作とみるかは好みの問題で、論議の別れるところだが、すくなくともアメリカやイギリスでは、『高い城の男』を押す人がかなり多いようである。この小説がヒューゴ最優秀長編賞に選ばれた事実もさることながら、ディック作品にありがちなプロットの破綻が見られず、むしろ普通小説を思わせる筆致で、じっくり書き込まれている点が高く評価されたのだろう。
訳者はあとがきの中で、この本の内容を分析していません。書かれているのは「易経」の説明。想像するに、彼はこの作品をあまり評価していないのでは。
わたしは、彼の作品のハチャメチャなプロットが好きです。そのハチャメチャが微妙に絡み合い一つ一つがより複雑な高度な話に発展していくところが。『火星のタイム・スリップ』、これがわたしの思う彼の最高傑作です。
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