金正男が殺されて、その息子ハンソル氏がYouTubeに投稿し話題になりました。その英語を聴いていると、そんなに上手くはないなという感想です。内容ではありません。発音です。彼は、いろいろ有名大学に留学し学問を収めています。当然英語力は優秀でしょう。でも、発音はネイティヴ並みではありません。
わたしは、揶揄しているのではありません。「訛りは国の手形」と諺にあるように、英語がいくら世界の共通語になったとしても、英語を話す人の出自は隠せないし、また、隠すべきではないと思います。「ネイティヴ並みの発音が身に着く」と言ったような英会話教室の宣伝文句は少々奇妙だと思いますがどうでしょう。通じる程度に話せばよいのです。
またハンソル氏の動画の中で、オランダの韓国大使に感謝の念を述べていました。マスメディアは、彼のインタヴューを採りに行きます。で、英語で質問しオランダ大使も英語で答えます。つまり、お互いに第3国の言語で意思の疎通を図っているという事。これを英語が共通語となって良かったと思うか、違う国の言葉で意思の疎通をしなければいけないことに異を唱えるのか。
まあ、概ねの方が、英語が共通語である事には賛成されるでしょう。しかし、違う国の言語で自分の意思を表現できるには相当の英語力が必要と思われます。通常の一般の会話ならば、それでいいと思います。お互いに誤解しても事件にならないような程度のお話ならばね。だから、国際会議では人はそれぞれの自国の言語で発話します。そして「専門家である」通訳がいるわけ。
ここに矛盾があります。英語が世界共通語になると英語圏以外の人は英語を学びます。英語圏の人は、他の言語を学ぶ事がおろそかになります。そして、英語圏では、英語からその他の言語に通訳するための人が払底するのです(そのため、英国では他の言語を学ぶ必要性を感じ、小学校からの他の言語の学習が必修となりました。アメリカではどうでしょうかねえ。)
もうひとつ。テレビニュースなどで英語ネイティヴではない人が、英語でインタヴューに応えていたりすると、日本人は、「だから日本人は。」とか「日本人は英語が話せない。」とか言いますが、マスメディアを信じてはいけませんよ。彼らは、英語がちゃんと話せる人にインタヴューしているのですから。つまり、英語が話せる人しか意見を発信する事ができないという…現実も起きてくるのです。
以前、(詳細は忘れましたが)、アフリカの女性の大統領が何かの賞をもらいました。その感謝の言葉を英語で話せと、アメリカのマスメディアが強要し、世界の顰蹙を買っていました。彼女は、自国の人々が理解できるように母国語で感謝の念を発信したかったのです。
と言うことで、わたしたちはどのように英語と付き合っていけば良いのでしょうか。
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