2017年4月28日金曜日

昨日の新聞記事より



『北米 13万年前の化石に人為的な傷?』という題です。小さな記事ですが、興味あり。



北米に生息していた哺乳類のマストドンの13万年前と思われる化石の骨が発見され、その骨に人為的な傷跡が見られるというもの。なぜ、記事になるかと言いますと、13万年前には、人類はまだ北米にはいなかったとされているからです。6~7万年前に、人類はアフリカを旅たち対岸のアラビア半島に到着しました。



それから紆余曲折あり、人類は北欧ルートを採る者やアジアルートを採る者など、世界中に散らばり、5万年前にはオーストラリアに到着。確か、アメリカ大陸には約1万5千年前にシベリアルートから人類は入ったと思います。アメリカ大陸の北から南端まで約1万年かけて人類は広がっていきました。



ですから、その13万年前には、人類はアメリカに存在しえないわけです。今のところ、13万年前に人類がシベリアを通過したという証拠も挙がっていません。記事では、「すぐには支持を得られる説とは言えない」としています。






しかし、そうでしょうか。「人為的な傷跡」は、即「人類が付けた跡」と言えるのでしょうか。アフリカから人類が旅立ったグレートジャーニーは、実は、20万年前が第1回目であったと言われています。第2回目のグレートジャーニーである6~7万年前に成功したわけ。1回目は、ネアンデルタール人の攻撃にあったのでした。北の住人であるネアンデルタール人は、人類よりも背も高く、筋肉質でもありました(寒さ故)。それで、1回目はアフリカに退散です。



2回目に成功したのは何故かという説は、諸説あります。人類が飛び道具を持ったとか、犬が人類と協同して戦ったからとか、ネアンデルタール人は子育て期間が短くて経験が伝承しなかったとか……。



ネアンデルタール人はその時に人類に駆逐されたので、13万年前の北米の「人」がネアンデルタール人ではないかもしれません。が、亜種人類は、ネアンデルタール人ばかりではありません。ネアンデルタール人のDNAは、アフリカ人以外の人類には少量ながら存在します。それと同様にアジア人のある地域の人は、他の亜種人類のDNAが見つかります。また、アフリカ人には、また違った亜種人類のDNA、と言ったように。



北極圏には、北極圏の亜種人類が存在していた可能性も有り…です。「雪男」の例もありますしね。如何でしょうか。








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2017年4月20日木曜日

本を買いました…


今日は木曜日です。木曜日は唯一何も予定のない日です。たいていは、スーパーに買い物に。車で10分くらいのところにありますが、近所のスーパーより大きくて専門店モールもありますから。



買い物に対しては、結構怠惰です。「街」に出かけて、ブティックで買い物ということも最近では、まあ、ありません。服も靴も…、そして本もこのスーパーで済ましてしまいます。というか、本当に欲しい本は、アマゾンで注文してしまいますが。



今日は、最近本を読んでいないので、何か面白い本が読みたいなあ、と。新聞の広告にあった『建築から見た日本古代史』という本を探しに行きました。ホントに読めるかどうかどうかわからないので、ネットで注文しないで現物を見に行ったということです。



本屋さんに行ったところ、この本がなかなか見つからず、ついついブラブラとほかの本にも目がいってしまいました。先ず目に留まったのは、『ウッディ・アレン』。若いころからの好きな映画監督です。『アニー・ホール』が一番好きな作品です。養子問題でスキャンダルもありましたね。でも、その本をペラペラ見ていると、彼の評伝と彼の作品の解釈のようなものだったので、買っても読まないなあと。



次は、湊かなえの『リバース』。彼女の本は全く読んだことはありませんが、ドラマ化とか映画化されたものは2~3見ました。まあ、エンターテイメントですよね。でも、本の読み始めとして、簡単なパアーと読める本もいいかなと。



そこで漸く目指す本が見つかりました。こちらもペラペラとページをめくってみたところ、とても一筋縄ではいかない本でしょう…と。買っても読めるかどうかわからないけど、とにかく買っておこうかあ―。



そして、目を上の棚に移すと、『アナキズム入門』という本がありました。「アナキズムかあ~。」って。訳も分からず、アナキストを標榜している私としては、この辺でちゃんと「アナキズムとは何か」ということを学んでおいた方が良いのではねえ。






ということで、

『建築から見た日本古代史』

『アナキズム入門』

『リバース』

の三冊の購入です。



また、読まない本が本棚に並ぶなあ、とは思いますが、たぶん、『リバース』は読むでしょう。次に『アナキズム入門』でしょうか。ホントに欲しくて買いに行った本は読めるかなあ~。また、後日ご報告いたします。







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2017年4月14日金曜日

『愛しのオクトパスーー海の賢者が誘う意識と生命の神秘の世界』



最近面白そうだなあ…と、思った本の題名です。この頃本を読んでないなあ~、と思います。囲碁に夢中だからです。でも、本のチェックだけはしてるわけ。これは、新聞の書評欄での紹介文を読んで書いています。



この本の著者は、アメリカの作家でナチュラリストということ。サイ・モンゴメリーさんです。彼女は、タコに興味を持ち水族館を訪れました。タコは人を見分けることができるらしく、彼女はすぐにタコに気に入られました。タコは好きな人間には腕を伸ばして絡ませるそうです。タコの吸盤には味覚を感じる能力があり、触れて相手の味がわかるのです。その味で誰かを見極めるのでしょうね。なんだかとてもeroticですねえ。吸盤が彼女の腕に吸い付くさまは、さながら恋人同士のよう…、と書かれています。



もともとタコは知能が高いと言われています。少々前の話ですが、サッカーのワールドカップで、スペインのタコが勝敗の予想をしているというニュースが流れたことがありました。もちろん、タコが予想をしているわけではありませんが。水槽に鍵をかけても簡単なものは開けてしまうとか、夜中に這い出して隣の水槽の魚を食べて、朝には自分の水槽に戻っているとか、そんなような話はよく聞きますよね。



この本には4匹のタコが登場します。そのそれぞれが違った個性を持っていることはもちろんですが、それ以上にタコの腕にはそれぞれにニューロンが集中し「脳のような」働きがあるとか。そして、腕それぞれが独立して行動しているので、「内気な腕」とか「積極的な腕」があると言われています。そう言えば、あの図体のでかい恐竜が、手足をその貧弱な脳でコントロールできたのかの答えは、4つの足にそれぞれ脳のような機関がある…と、いうことを思い出しました。



著者は、水族館でこのような聞き取りをし、新しい知性の可能性を感じます。このような話を聞くと、人類が万物霊長であるというのは「驕りである」と、いつも感じます。昔の人は、そのような万物からの知性を感じていたはず。いつの間にか、人類は増長していったんですねえ。神がいなくなって、科学が「宗教」となってしまってからなのでしょうか。








以前、『植物は「知性」をもっている』という本を読みました。植物は植物なりの知性を持っている。それは、人間の「知性の在り方」と異なるので、人間は植物が知性を持っていることを気付くことができないのだ…、という結論。もし、宇宙人が地球に遣って来ていても、人類の知性と異なる「知性」の持ち主であったなら、人間は彼らを知性ある宇宙人と認識することはない。あるいは、できない。つまり、人間は謙虚に我々の知性がこの世で「唯一の知性」ではないと気付くべきである。



あるいは、他の生物は我々人間を利用して繁殖しているのであるとも言える。我々はそれらを利用していると思っているが、逆にコントロールされていたりして…。SFになっちゃったか。






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2017年4月4日火曜日

国際女性デーあるいは囲碁サロン



先月、国際女性デーがありました。全世界的に女性の地位を平等にしようという趣旨の日です。欧米やその他の世界で、その日は、女性が働かないというストライキが催されます。もちろん日本でもそういう動きはありますが、まったくと言っていいほど話題になりませんね。



生まれながらのフェミニストとしてのわたしは、もちろんストライキに参加したいのですが、職業がフリーのジュエラーだったのでストライキしようがありませんでした。主婦としてストライキをしている人もいます。家事をしないとか…、ということで。しかしながら、わたくし一人暮らしなので、これもまたしようがない、と。



こんな「火星に人類が行くとか人工知能が云々かんぬん」という未来社会がついそこまで来ているという現代でも、いっこうに偏見そして偏見による差別はなくなりません。男女平等ということ以外でも。



特に日本では、男女差別があること自体を認識していない人が多すぎます。以前、「ハイデッガーをドイツ語で読む」という文化教室に通っていた時、なんの関係でそういう話になったのかは覚えていませんが、先生の質問に答えて、一人の女性が、「女性差別なんて日本にありませんよ。今まで差別されていると感じたことはありません。」と言いました。教室の失笑を買いました。それは、教室が哲学を学んでいる人々だったので笑いが起こったのでしょう。



また、英会話教室での話ですが、30歳代のニュージーランドから来た先生が、「日本の駐車場のスペースは狭いね。」と言いました。それでわたしは、「最近ではそうでもないですよ。大型のバンのような車が今流行っているし、それからスーパーなどでは駐車場は大きくなっています。女性客をよぶためですね。」と、先生にニヤッとして見せたら、先生はそれは皮肉で言っているのかと。もちろんそうですよと言うと、君たちが反論しなければいけないんだよと、ほかの生徒に言いました。23人の女性の生徒です。彼女たちは、何を言われているのかわかっていない様子でした。



まあ、この点では最近では変わってきていると思いますが。つまり女性は車の運転が下手であるという偏見です。若い世代の人はそうは思っていないでしょう。うちの息子も然りです。幼い時から、母親であるわたくしが、彼をいろいろな所へ車で連れて行ったからです。テーマパーク、プールあるいは、毎日の保育園と。このような若い世代が育って、世の中も変わっていくと良いのですが。









と言うことで、囲碁サロンの話です。わたしはこんな偏見だらけの社会から引退して、のんびり囲碁でも楽しもうとしているのですが、ここにもありました。70歳以上の爺さん達です。60歳前半くらいの爺さんは、少々ましと言えますが。



彼らは、女性とみると下手(したて)と思うのです。対局中はまあまあマナーよろしく打っているのですが(時々、対局中から何のかんの言う奴がいる。)、終わって自分が勝った瞬間から、態度が横柄になって説教が始まります。時々、自分が負けているのに、勝っている私に「蘊蓄」を語りだす奴も。



女性の方も、そんな蘊蓄を有難く拝聴している人が。女性は、「男を立てる」という幼い頃からの「教え」が身についてしまっているのですね。男性が何か言っていると、黙って聞くとか、先に意見を言わないとか。あまりにもひどい人には、わたしは「コメントはいらない!」と言うのですが、女性たちは、「あら、わたしは欲しいわ。」と言うのです。



「また、こんな世界かよ。」と思うのです。まあ、これはこれとして…、許せないことがひとつ。「勝負の世界」である囲碁で、女性だからという理由でランクを下げられるのは我慢できません。だいたい同じレベルの対戦で、先生が「まあ、あなたは女性だから黒で。」と言ったこと。また、「女性に負けて情けない。」とか。


段々、雲行きが怪しくなってきましたので、ここでペンを置きます。






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