2017年12月31日日曜日

古代オリエント宗教の位置関係がスッキリしますよ。





『古代オリエントの宗教』(青木 健 著)を読んで。





「人類に何故宗教が必要であるのか」が、わたしの探究テーマの一つであります。『HUMAN』と言う本によりますと、「ヒトが集団生活を始めるにあたり宗教が軸となった」という事。つまり、血縁(DNA)集団から「他人」の集団に駒を進める時、何らかの「共通の信じるもの」が必要だったという訳です。



またさらに、国家としての体裁を整える時にも、統治する者の正統性を担保するために「宗教=神」が不可欠でありました。例えば、古代日本が朝鮮半島から外来の勢力に対抗するために強固な「国の概念」が必要でしたが、その時に編み出したのが「神道」です。



現在、「神は死んだ」と言われていますが、世界の勢力図で言いますと、「西欧(特にアメリカか?)プロテスタント」が力を持っているようです。もうすぐにイスラーム教徒が世界の4分の1を占めるようになるとも言われますが、何はともあれやはり主流は、「聖書」の世界観。そんなことから、この本を読んでみることにしました。









さて、



著者、青木氏は「聖書ストーリー」というものを基礎において、各古代オリエント、メソポタミアの地域に興った宗教を解説しています。その「聖書ストーリー」というものが、旧約聖書・新約聖書、+「何か(α)」という具合に、とても解りやすく定義されます。「あとがき」によりますと、早稲田大学の創造理工学部で行った講義がこの本の基のひとつという事。つまり、聴衆の理工系の「頭に」なにか因果関係のプロットが必要と、「聖書ストーリー」を軸にすることを思い立ったという事です。そのおかげか、内容はとてもスッキリしていて、わたしの頭でも理解可能でした。



例えば、



2世紀:ローマで成立したマルキオーン主義は旧約聖書を切り捨てた「新約聖書」の結集。

2~3世紀:地中海世界「原始キリスト教教会」は、「旧約聖書」+「新約聖書」の図式で確定。

3世紀:マーニー教は「新約聖書」+「マーニー教七聖典」

7~10世紀:ムハンマド・イスラームは「旧約聖書」+「新約聖書」+「クルアーン」

8~10世紀:シーア派イスラームは「旧約聖書」+「新約聖書」+「クルアーン」+「歴代シーア派イマームの言行録」



最終的に、サーサーン朝ペルシャ帝国の国教であったゾロアスター教が、創始者ザラスシュトラを「聖書ストーリー」の中の「預言者」であったという説を受け入れ、「聖書ストーリー」の東方全域の支配の完成となりました。



「聖書ストーリー」をユダヤ教の苦難の歴史までとするか、イエスが神の子であるとして完結するか、ムハンマドをエンドとするかは、各人の考え次第ですが、もうこれ以降の時期のエンディングは生まれ得ないであろうと言うのが著者の結論です。13世紀で「聖書ストーリー」は完結を見たという事になります。



神話が宗教になるには、神話と現実を結ぶ象徴が必要であります。イエスとかムハンマドとかザラスシュトラなど現実の(?)人物が。また、キリスト教というと往往にして西洋をイメージしてしまいますが、「聖書ストーリー」はメソポタミアで生まれたのであり、その点を抜きにして聖書を理解できないという事が重要かと。そしてその思想は、政治的権力者の支配する地域の位置関係にも影響されています。



概説なので一般的教養に終わっているとも言えますが、とにかく門外漢であるわたしにとっては、「聖書」を基にしたいろいろな宗教の位置関係がスッキリわかりました。











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2017年12月30日土曜日

『ニッポン社会入門』 ---あなたも、きっと、笑ってしまいますよ。



サブタイトルは「英国人記者の抱腹レポート」。著者コリン・ジョイスさんは92年に来日し、英語教師、『ニューズウィーク日本版』の勤務を経て、英高級紙『デイリー・テレグラフ』の記者になる、…と書かれていました。今は、フリージャーナリストで、どうもニューヨークに住んでいるらしいです。ニッポン社会ならぬ、ニューヨーク社会についての本も出したようです。



日本に二十年弱住んで、すっかり日本(東京)に溶け込んだイギリス人の日本観・日本人観です。「まだまだ、わかっちゃいないな!」と思う所も少しありますが、興味満載です。先ず、この本のキャッチコピーにもなっている「日本社会について手っ取り早く学びたければプールに行くことだ!」というのが、第一章です。わたしもこのコピーに釣られたくちですね。常々、日本人ってどうしてこうルールを守るんだろうねと思っていたからです(もちろん、私も含めて)。ルールって言われれば、なんの疑問もなく守っちゃうよね・・・、と。



彼によると、「プールに日本社会を見た」ということで、日本で百人うまく利用できるプールがあれば、イギリスでは同じ大きさのプールで六十人入れば泳げなくなるだろう。八十人を超えれば、暴動が起るだろうという事。



わたしたち日本人は、プールでほんとにいろいろなルールを守っていますね。休憩時間だとか、走ってはいけないとか、履物を履いてプールに近づいてはいけないとか、Tシャツを着てプールに入ってはいけないとか。タイのホテルのプールで泳いだ時、ほんとはTシャツで泳ぎたかったけど、「日本なら、ピッピッと笛吹かれものだな。監視員はいないわけだから、いいかも。」と思いつつ、結局ルールは守りました。そしたら、西洋人らしき女性が、プールでサンダルを洗ったので・・・、「そうだよね。そうなんだよね~~~。」と思ってしまいました。もちろん、わたしはいたしませんけどね。



こんな風に、日本での「当然」が、「特殊」だということが、興味深く指摘されています。










『日本人になりそうだ』という章では、英語で頼みごとをする時でさえ、ついつい「お忙しところをすいませんが、・・・I know you are busy, but…」と言ってしまうと。また、店員から、「申し訳ありませんが」に相当するフレーズなしにいきなり「売り切れです」と言われると、ムッとしてしまうとも言っています。イギリス人の英会話の先生が、「日本ではお客さんが王様だから、本国に帰って店員がいいかげんだと、頭にくる。」と言っていたのを思い出しました。



もうひとつ、日本人は人の面前を「すいません」といったジェスチャーなしに通り過ぎることができないことも指摘されています。わたしも、ここは日本ではないのだからと思っても、ついつい、「どおもどおも・・・」といったようなしぐさをして、お辞儀をして人の前を通ってしまいます。海外の学校の狭い廊下などで立ち話をしている人の前を通る時、こんなことをして「ヘンな奴だ」と思われているんだろうな~~~と、思いつつも、してしまうんですよ。でも、決してマイナスポイントではないですよね。誰にも迷惑をかけていないし、礼儀を押し通しているだけなのだから。



こんなことも書いてありました。日本に住んでいる同じ英国人の友達は、玄関で靴を脱いでいるという事。彼の親や姉も、日本に来た事はないのに玄関で靴を脱ぐほうが良いと思っているそうです。日本人の清潔好きも「世界的に認知されれば幸い」と思います。



日本に対する良いところばかりでなく辛口の所もありますが、ケラケラと笑いながら、あっという間に読んでしまいました。笑いたい人、微笑みたい人・・・に推薦いたします。








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2017年12月21日木曜日

わたしの体の中で起こっている神秘


『ミトコンドリアが進化を決めた』(POWER,SEX,SUICIDE Mitochondria and the Meaning of Life:ニック・レーン著)を読んで。





とても興味深かったです。「宇宙や深海の神秘」なんて言うけど、わたしたち人間の体のなかにこそ神秘があったんだって言う感じ。大袈裟でなく、世界観が変わる程の読後感です。解説にも(田中正嗣)このように書かれています。



「最新の素粒子論や宇宙論を読むと星空を見上げる時の心が変化する。ある理念を有しているかどうかによって、自分自身・家族・人類・生命・宇宙・過去・未来に対する見方が左右される。レーンの緻密で堅固な説に接すると、自分の生命に対するまなざしが変わることに気づくだろう。」





先ず初めに、今まで読んだ本(『生命40億年全史』、『銃・病原菌・鉄』)で書かれていた「生命の始まりは原始スープとライトニング」という説が、最近の研究では間違いであったとされています。「化学浸透」が生命の生まれる起源です(何故かは本を読んでネ)。そこから細胞ができて、細菌が生まれ、真核生物が発生する。その「細菌」と「真核生物」の違いは、真核生物がすべてその核内にミトコンドリアを持っている(あるいは持っていた)という事実。



生命がここかまで多様に進化してきたことは、ただひとえに「細胞がミトコンドリアを持っている」ということにつきます。細菌はミトコンドリアを持っていません。細菌は20億年以上、細菌のままでいる。なぜ、細菌から進化したものがいないのか…その答えがミトコンドリアです。



「原始スープとライトニング」が生命の源であるという説では、そのラッキーなライトニングはただ一回しか起らなかったとしています。それは、地球上の生物の型が一種類であるという事実からです。ミトコンドリアの場合もそうです。真核細胞は古細菌が細菌(ミトコンドリア)を飲み込んで(あるいは細菌が宿主を見つけたか)、合体してしまったんですが、この合体も一回しか起らなかった。この合体はたった一回のミラクルだったのです。この一回の「古細菌+細菌」の発現から、地球上のすべての生物が生まれました。












ミトコンドリアは生物の細胞に寄生しているのではなく共生しているとのこと。また、宿主がミトコンドリアを吸収してしまったということでもありません。なぜなら、ミトコンドリアは僅かながらそのDNAを残しているから。しかしながら、ミトコンドリアは宿主から離れるともう生きてはいけません。そして、そのミトコンドリアのDNAは真核細胞の「核」に移されることなく、ミトコンドリア自身が保持しています。この「共生」が生物の進化の謎を解いてくれるのです。



生物は細胞の数を増やすことによって、大きくなれる、そして複雑になれる。大きくなれば、他の生物を捕食する事でより大きなエネルギーを確保できる。そしてまた大きく複雑になれる。この細胞間の連絡をミトコンドリアDNAがうまく取り仕切っているようです。例えば、どの細胞にエネルギーが必要とか、この細胞はもう役立たずだから殺して吸収してしまおうとかいう事。わたしが理解した範囲ですが・・・。



生物の「温血化」、「有性生殖」、ひいては「老化」、「死」をもミトコンドリアが担っています。その中で、「有性生殖」に興味深いことが言及されていました。「両性間の根源をなす生物学的差異は何か」と言う問題です。女性のおよそ6万人にひとりはY染色体を持ち、男子新生児500人に一人は、XXYの組み合わせの染色体を持つとのこと。進化の観点からは、「性は偶発的に生まれたもので、万華鏡のように変わる」のだと述べられています。つまり、男性と女性の区別は、「Y染色体」によるのではありません。











細胞一つ一つは、我々の意志に関係なく、日々生き延びるために努力しています。一つ一つが呼吸し、エネルギーを作り出し、お互いに協力し合い体全体を維持しています。この関係性を統括しているのが、ミトコンドリアDNAと言うことになります。そして、「腸が頭脳より大事だ」ということを、この本によって学びました。体が維持できての頭脳なのです。頭脳を人間の最優先事項とすることは、ヒトの驕りであります。



もちろん細胞には意志はないわけで、自然のままに活動しているわけだけど、そこがまた素晴らしい。「我々の内に自然はある」とスピノザは言ったけど、いやあ~、感動するね、自分の体の中で起こっていることに。





この本を読み終えての雑感です。本の全体像を描くことはわたしには無理なので、どうか現物にあたってみてください。












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