2018年8月26日日曜日

『不思議な物語』を読んで




『ハックルベリー・フィンの冒険』の中で使われている「ニガー」という言葉が、人種差別の言葉であるとして、近年アメリカで違う言葉にして出版するという動きが活発だ。そんな動きの中で、nigger hipster robot にした版が出回っていると言う。そこまで行くともう改竄である。このように言葉を換えるということを考えていると、じゃあ翻訳はどうなんだと思った。



先日、ゾラン・ジフコヴィッチの『不思議な物語』という本を読んだ。出版元は黒田藩プレスである。ゾラン・ジフコヴィッチはユーゴスラビアの作家であるが英訳版もあるらしいので調べてみた。出版元はKurodahan Press とある。あらっ、同じジャン。と思って、出版社自体をチェックしてみると、やはり同じ会社。日本に住んでいる北米人三人が会社を設立して出版事業をしているらしい。最近、NPOに移行したと報告されていた。彼等の目的は、海外の日本未発表の本を日本語に翻訳し出版することと、日本のまだ海外に紹介されていない本、例えば江戸川乱歩など他の言語に訳しにくいもの、を翻訳し海外で販売することである。そのホームページをみると、日本の独特の文学がどのように英語に翻訳されているかをみるのも興味深いでしょうと書かれていた。―――う~~~ん、興味深いです。











また、最近、世界文学には単数形のWorld Literature と複数形のWorld Literatures があると言う事を知った。単数形の文学は、普遍/不変的価値を有する各国独自の正統的文学。複数形の文学は、グローバルな世界で単一の国家、言語、文化に属する事のない文学作品群。例えば、ハリーポッターやカズオ・イシグロの作品などだ。複数形の文学は単数形の文学が追求する美学、永遠性・独自性・翻訳不可能性には始めから執着せず、世界中の読者をそもそも前提として作品が書かれている。



調子に乗って、ついつい『グローバル社会に賛成しているんじゃないよ。今のグローバル社会は、唯一の観念に収斂していって、開かれた「グローバル社会」とはとうてい言い難いから。』からなんて思ってしまったが、少々反省している。というのは、わたしの考えは少々古臭くなっているのかもと感じたから。



経済のグローバル化の場合は、やはり、西欧諸国主導の資本主義・自由主義経済に流されていると言える。資本主義の概念の「巨大さ」は容易には覆し得ないからだ。が、文化の面ではどうだろうか。もちろん、西欧文化が新興国を飲み込んで文化の帝国主義とか植民地化とか言われる面もあるが、それとは別にソーシャルメディアを通して培われた第二のバーチャルな世界が出現しているとも考えられる。



わたしの時代にはなかったコンピュータが生まれた時から存在する世代、あるいは青年期に遭遇して容易にコンピュータを駆使する事ができる世代が、違った共通の世界を作り出したのは当然の結果だ。そこは、国籍も言語の違いもない新たな世界だ。そこで生まれる文化は、やはりわたしが「美」と感じとる土着の文化を超える共通の「美」があるのだろう。



でもね。薄まっているんじゃないの?そんな世界になってくのかなあ。












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2018年8月23日木曜日

『後手の先手』とは。



今日の朝日新聞の「折々のことば」は、



家事は、あなたと家族が快適に暮らしていくための手段であって、けっしてあなたの生涯の目的ではないのです。       ―――犬養智子



50年前に刊行された『家事の秘訣集』によるものです。上手に家事をサボる400の驚きの提案がなされているという事。家事は大切なことだからこそみなで協力し合いましょうとの提言です。





もちろん、家事は「大切な事」です。しかし、わたしはそれ以上に、もっともっと「生きるそのもの」と思っています。生物は、生きるために自分自身の体をメンテナンスし、また、清潔に保つ努力を四六時中しています。人類は、自分自身が「生物である」という事を忘れてしまっているのでは。



自分の命を大切にするという基本的なことをないがしろにし、他の事を、例えば勉強とか仕事とかを、重要視します。つまり、体に良い食べ物を考えるより、もっと働いて多く稼ごうとか、身の回りを綺麗にすること――部屋を掃除する、洗濯をする、あるいは自分自身を清潔に保つ――よりもっと実利のあることをしようとか。









さて本題の「後手の先手」とは、囲碁用語です。囲碁は先手を取って自分の有利な方向に囲碁を進めて行こうと考えます。ですから後手を取ってはいけません。しかし、「後手の先手」とは、今はこの手は後手のように見えるが、将来的に働くので実は先手なのだ――というような手の事です。



碁会所の囲碁仲間は、たいてい70歳前後の爺さんなので、よくセクハラまがいの発言を聞きます。



「奥さんは家で何をしているんだろうねえ。掃除とか洗濯とかしかしてないんだよ。」とか、「女は家でご飯でも作っているしかないね。」とか。



まるで、自分は外で働いてお金を稼いで「大層な事」をしているのだと言うかのような発言。そのあなたの体を守ってきたのは誰なのだ――と言いたい。つまり、そんな囲碁仲間に対し、



あなたが思っている女性の仕事とは、『後手の先手』なんですよ~。



と言いたいわけです。








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2018年8月20日月曜日

『面白い人』に出会うという事





23日前に、息子にメールをした。返事はなかったが、今朝返信が来た。わたしがメールしたのは、



ちょっと思いついた事を言っとるだけだけど、世の中そう面白い人はいないネ。



返事は、



面白い人がいっぱいいたらそれは普通の人なので











なるほど。面白くない人々とわたしは呼んでいるが、私自身、他の人に「面白くない人」と言われているのかもしれない。わたしが面白い人(わたしが感心するような事を言う人)と思える人は、わたしのことを面白くない人と分類しているのでわたしを受け入れることはなく、わたしは面白い人に出会えることはない。



だから、



結局は、自分自身を鍛えるしかない。わたしが出会いたい人に会った時、その人にわたしが面白い人と思ってもらえるように。しかし、その人は、その時はすでに「普通の人」となっているので、やはりわたしは「面白い人」には会えないのだ。



だから、



わたしは永久に自分の道を鍛えていきながら、たくさんの「普通の人々」と出会う道を進んで行くしかない。











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2018年8月9日木曜日

俳句を創ってみたもののーー




重大な欠陥に気が付きました。わたしの「俳句を創るにあたり」の欠陥です。

わたし、
風物詩や、自然の営みに「全く」興味がないのです。俳句は、自然の状況を心情に合わせて詠むもの。

で、良いのだろうかと。

前回の物も、自分の好きなビールを詠んだだけで、自然は全くなし。

それで、次に、
この熱帯夜で、エアコンの効いていない廊下やトイレは、まるで「熱帯雨林」のよう、という俳句を詠もうとしたのですが、
「アレッ。全然自然に関係ないじゃん。」と。

どうでしょう。この路線。








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2018年8月6日月曜日

俳句、創ってみました。


全く経験ありません。

しかし、英語を研究していたので、一度、「英語俳句」なぞにトライしたことはあります。「英語俳句雑誌に投稿したら絶対掲載されます。」と言われたことは、一回あります。

でも、別物ですねえ。。。英語俳句には「季語」はいらないから。

で、

わたしの詠みたいことは、

冷たいビール瓶に触ると、手も喜んでビールを飲んでいるよ。ということ。

で、

先ず、「ビール」が季語かどうかを検索。俳句季語サイトを見つけ、調べたところ「ビール」は季語だと。

第一関門、突破。

で、最初に書いたのは、

キンキンの
ビール冷たし
飲み干す掌


次は、

キンキンに
冷やした麦酒
掌も飲み干す

その後、いろいろ考えましたが、

キンキンに
冷たきビール
掌も踊る(OR 相伴す)

キンキンに
冷やすビールや
掌も喜ぶ

そして、

最後に

キンキンに
掌も喜ぶや
凍ビール


となりました。

如何に。










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