『ダンゴムシに心はあるのか』
こんなタイトルの本を読みました。とても大胆なタイトルだと思います。そして「心」を定義してしまうところが、また、凄い。
「心はあるのか」と言うのは、わたしの永遠の大テーマです。人に心があるのなら、総てのものに心はあるし、ダンゴムシ(等々)に心がないのなら人にも心はない、というのがわたしのスタンスです。
「全てのものに心はある」と、わたしが言うと、人は「じゃあ、石は、岩は。」とか言います。つまり、無機物と人を同じ次元で考える事に我慢がならないのでしょう。ですが、この著者は「石の心」をまで肯定しています。そこまで認めるなら、わたしも著者の意見に大賛成です。
ジェラルミン板の心を捉える職人のエピソードが書かれています。ハンマーひとつでジェラルミンの板から形を叩き出そうとする職人の技です。わたしも職人の端くれとして材質と職人の「心」の探り合いの感覚はよくわかります。考えてみると石器時代に人類が石からそれを割ることによって「刃」を取り出したのも人類が「石の心」を知っていたという証拠かも(そんな非論理的な思考は現在否定されていますが。)。
実際、比較認知科学者である著者も実験には被実験者(物)とのコミュニケーションが大切だと述べています。その対象者とのコミュニケーション能力で実験者は対象の「予想外の行動」をただひたすら待ち、観察し、「心」を知ります。つまり、職人がその材質と向き合いコミュニケーションを図るかのように。
普通、下等な生き物には心なんてないとされています。それらの行動様式は刺激に対する機械的な反応であり、そのパターンは生得的な物であると。著者は、ダンゴムシにいろいろな「イジワル」を仕掛けます。迷路の中に置いたり、水が嫌いなダンゴムシを水路に囲まれた場所に置いてどうするかを観察する等々です。
著者は、そういう時にダンゴムシが普段とは違う行動をすることに、「ダンゴムシの心の存在」を見ています。実際、あるダンゴムシは、水が嫌いなのに脱出のために水路に飛び込みます。そして、その普段とは違う行動の中に「心」の作用が観察できるのだと。
この本での「心」の定義は、……生物は、「生き延びる」とか「繁栄する」とかの目的で生きています。そして、その目的に則った行動をすることが「正しい事」です。つまり、すべての行動に意味があります。しかし、時々意味のない行動もする。例えば、逆境に陥った時、有効性はなくてもやってみる。これが「心」であると、……わたしが理解した範囲で。
現在、AIの発達によって、ロボットに「心」はあるのか、機械に「心」はあるのか、と言った議論が活発になってきました。人間は物質で構成されています。目に見えない「精神」が物質に宿るわけはなく、酵素だとかフェロモンだとかの物質が分泌され、その時々の感情が決定されるのではないのか。
つまり、AIに「酵素」のような働きをするものをインプットすれば、ロボットも人と同じような「心(感情)」を持つことは可能ではないのかと思います。ダンゴムシにとっては、本能(生きる)に従わない行動。ロボットにとっては、論理的でない行動(論理的でない行動をランダムに取るという指令等か?)。
このような意味で、わたしは、「人には心はあるし、また『無い』」と思っています。
思考の翼をいろいろ広げてくれる本でありました。
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