2020年5月21日木曜日

別役実さんに対するオマージュです。







『数字で書かれた物語―――第4戯曲集』





先日、別役実さんがお亡くなりになりました。訃報が新聞の一面に掲載されたのは流石です。

別役実さんは、わたしの好きな作家の一人です。青春の思い出でもあります。新聞に訃報が載ったあと、2~3の追悼コメントが出ました。それらを読みながら、「そうだ、そうだ。」と、わたしも一緒に追悼いたしました。

彼の本を5~6冊持っています。そのひとつに『数字で書かれた物語』があります。本屋さんで、ブラブラと本を眺めておりましたところ、数学の専門書コーナーで見つけました。

わたしは、内心、店員さんが間違えたんだあ~、と思いました。後に別役実さんが、「わたしが本屋さんに頼んでいろいろな場所に自著を置いてもらっているのです。」と書いておられるのを見ました。


「思わぬところに思わぬものが置いてある」という日常性を壊す意図なのでしょうか。そう言えば、彼の別の作品の『虫づくし』という本も文学書ではない棚に置いてありましたねえ。



本棚を見たところ、彼の本は6冊ありました。5冊は若い時分に買った本、1冊はつい最近買いました。『ジョバンニの父への旅/諸国を遍歴する二人の騎士の物語』です。今回は、ず~~~と昔に買った『数字で書かれた物語』を読み直してみました。










読み終えました。もちろん戯曲であるのだから、人々の会話だけで成り立っています。メインの登場人物は、たいてい45人です。そうですね、この本は、「数字で書かれた物語」と冠された話のほかに5話掲載されていますが、どの話も45人です。



その会話がどおも噛み合わないのです。そのズレからいろいろなものが噴出してくる感じですか。



第一話『青い鳥』は人形劇として書かれたものです。内容は童話の様に単純でかつ残酷です。うらぶれた町にうらぶれた夫婦が萎びたリンゴを持って現れ、そのリンゴを不幸な子供たちに「恵む」お話。恵んでやろうとした小さな姉と弟が、「わたしたちは不幸ではない。」と言います。その「不幸・不幸ではない」の会話の中で、状況が微妙にズレはじめ、悲劇へと進んで行きます。



第二話の『海とうさぎ』では、男が舞台にぶら下がっているヒモ男に引き留められ、「あなたを3年待っていた。」と告げられます。それから、この二人の会話から事態があれよあれよと展開し、そして悲劇的結末に。何か、安部公房の『砂の女』を思い出してしまいました。言葉の魔力・威力を感じてしまいました。



第三話の『死体のある風景』では、言葉により「他人に『規定』されるわたし」を感じ、その他のお話でも登場人物が一つずつの単語に引っ掛かり、こだわりを持ち、会話がすれ違い、空回りしていく……、又は、わかった振りをして辻褄を合わせているうちに、悲劇が始まっていくというような。





読み終わって、ああ、これは漫才でも有り得るなと思いました。または、赤塚不二夫のある種の漫画。漫才とか漫画は、言葉のすれ違いによる不安定な状況が笑いの内に終わりますが、別役実の場合は、それが心の奥底まで浸透し、悲劇に陥っていくのか。





「あとがき」で、別役実さんは、時限爆弾を仕掛けたと予告電話をかけてきた人間について書いています。予告の最後に「これは冗談ではない。」という。この意味は何か。「これは冗談ではない。」と言うことには説得力はない。「これは本当だ。」と言うべきである。しかし、「本当だ。」というと冗談と思われるかもしれない。



彼は言います。「その一言を付け加えることによって、それは事実であると保証するような言葉などはないのである。」



爆弾魔は、妥協して「これは冗談ではない。」と言ったのである。居直りと諦めとの中での、言葉に対する「絶望」である、と。



これが、この作品集の総括なのであります。








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