2021年11月23日火曜日

夏目漱石の解答

 

以前『コンゴ・ジャーニー』で書いたことです。


これは、1990年ごろのthe People’s Republic of the Congoのお話です。今は少々事情が違うかもしれません。でも、彼等の伝統的考え方(一番金持ちの人が他の家族を養う事は当然…と言ったような)と新たに入ってきた文化(個人の権利か?)の間での苦悩がうかがい知れます。これをどのように受け止めるかは、ちょっと悩ましいところです。

 

つまり、「文明」はどこまで「伝統」に関与できるのかという意味で。


先頃の朝日新聞のコラム「折々の言葉」で夏目漱石が語っていました。


二つの要求を較べると明らかに矛盾である。ーーーここまではよろしいのです。


解説は鷲田清一。

「二様になる方がかえって本来の調和」なのだと作家は説く。大事なのは表面上の無矛盾ではなく、「無理のない型をこしらえる」こと。形だけの整合性にこだわる固陋をこそ廃すべしと。


という事です。「文明と伝統を無理なく調和させる」という「ありきたりな」ものが解答のよう。アマルティア・センが『アイデンティティと暴力』で書いているように、ひとりの人間の内にも多々な異なったアイデンティティが共存していて、その調和を日々しているのである。。。か?




2021年11月22日月曜日

紅葉




 4~5年前に、お庭屋さんがサービスで小さな楓を植えてくれました。

その年は、小さいながらも綺麗に紅葉して、周囲の大きな緑の木と対比してとても綺麗な風景を作ってくれました、


その後は、紅葉する前に葉が落ちてしまって、残念な風景。


しかし、今年は、葉は持ち堪えています。黄色に色づいてきました。もう少しで真っ赤になりそうです。このまま行ってくれたら……、と。


この楓は、一度、台風で倒れそうになりました。が、少し元に戻し、根の部分をしっかり押さえました。わたしのいい加減な処置ですが、少し曲がりながらも幹は安定し、根付いているようです。少し倒れたまま育っています。


フォトが撮れたらUpしたいのですが、どうですか???




2021年11月20日土曜日

ジャニス・ジョプリン

 



TVコマーシャルでジャニス・ジョプリンの歌声が流れてきました。


ああ、ジャニス・ジョプリンだあ。。。と思い、


心にズシーンと来ました。ずいぶん昔に彼女のCDを買いました。

家に帰って、すぐ聞くと、涙が流れてきました。


それで、懐かしいなあ~~~と、


また、聞いてみようかあ???


でも、今、わたしはCDを――運転中かお風呂に入っている時しか聞いていません。


運転中に泣くか、お風呂で泣くか?


まだ、決心がつきません。




2021年11月9日火曜日

Congo Journey

 


コンゴ・ジャーニー

 

今、『Congo Journey by Redmond O’Hanlon を読んでいます。これで3度目の挑戦。この本自体は第一刷が1996年、日本語に翻訳されて出版されたのが2008年です。わたしは、その書評を読んで英語の方の本を買ったので、たぶん2008年以降にこの本を買いました。

 

もともとノンフィクション物はあまり好きではないのですが(人の人生にあまり興味がないから)、思想が入らない本ならシンプルで英語の勉強になるかもと。それから、ノンフィクションとは言え、内容がちょっと荒唐無稽そうでおもしろそうでしたから。

 

つまり、コンゴ川上流の湖に恐竜が棲息しているというピグミーの言い伝えに誘われて、全財産をなげ打って旅に出たイギリス人の探検家Redmond O’Hanlonとアメリカ人動物行動学者Lary Shaffer とコンゴ人の生物学者Marcellin Agnagnaの何やら怪しげな旅行記なのです。

 

一回目は、まだまだ英語力不足で少し読んで断念。二回目は、そこそこは読めたのですが、普段なじみのないアフリカのお話なので、内容がこんがらがってしまって断念。そして三回目です。今回は読めそうな気がしてきました。今、「アフリカと英会話」というオープンカレッジの講義を取っているからかもしれません。地名だけでも、アフリカのだいたいどの辺と見当がつくようになったからです。それから、ほんの…、ほんの少しですが、アフリカの歴史などもわかってきたからです。



この本は、1990年ごろと思われるアフリカのコンゴ人民共和国(現コンゴ共和国)に広がる未開のジャングルを探検し、幻の恐竜モケレ・ムベンベがいる湖Lake Tele を探し求める旅です。

 

当然のことながら、アフリカはもう西洋のコロニーではなく、彼ら自身の政府があり、ポリシーがあります。つまり、探検をするなら、それ相当の手続きが必要という事。ビザとか、どのルートを通っていいかとかの許可、検疫・・・、諸々です。その一つ一つの交渉を、政府の各役人としなければいけないという事ですが、西洋のルールでは通用しないものを含んでいる。それから、白人という事の逆差別も有り。

 

「ほんとうにLake Tele に恐竜がいると思うか」と政府の科学技術庁の長官にたずねると、

It is only white men who laugh at Mokele-mbembe(恐竜の名前です).  We Africans know there is something there.

 

と、返されます。

 

遠い過去のアフリカの話ではなくほんの10年か20年ほど以前のアフリカです。町に行けば道路があり、タクシーが走っている。近代的な建物があり、雑貨屋があり、貨幣経済が成り立っていてふつうに買い物をすることができる。飛行機も飛ぶし、空港もある。兵隊は銃で武装しており、役人は賄賂で私腹を肥やしている。

 

しかし、そうしたきわめて現代的な光景と同時に、呪術や霊、占いといった存在がふつうに信じられている世界が息づいてもいます。西洋の理性とか合理主義を体現していそうなイギリス人の探検家やアメリカ人の生物学者が、彼らもまた、呪術や霊といった不合理なで非理性的な存在に振り回されると言う「楽しさ」がこれから読み進んでいく興味を誘います。

 

 

グローバライゼーションの時代ですが、インターナショナルな一つの基準、一つの物の見方にとらわれることなく、少し見る角度を変えて、どうしてそうなのだろうかと考えれば違う事実が見えてくるかも……と思うのです。

 

コンゴの原始林に幻の恐竜を探し求めるイギリス人の探検家レドモンド・オハンロン、彼の友達のアメリカ人の動物行動学者ラリー・シャファーとコンゴ人の生物学者、マルセリン・アグナグナの三人の探検記です。

 

レドモンドとラリーは友達のようです。レドモンドのコンゴのテレ湖に生息する幻の恐竜を探さないかと言う提案に、ラリーがコンゴの原生林に棲む生物を観測したいとの思いから乗っかったというところでしょうか。わたしの推測ですが。

 

しかし、コンゴの生物学者マルセリンは、レドモンドに同行を頼まれただけのようです。レドモンドは、Roy Mackal著 “A Living Dinosaur? – In Search of Mokele-Mbembe”(1987年)を読んだ時、この本のAPPENDIX にコンゴの生物学会をリードするマルセリンが、秘境の湖テレで、それらしき生物を目撃したと書いてあったのを知りました。それで彼を仲間に引き入れたのでしょう。


コンゴ人のマルセリンは、キューバで学んだ科学者で、博士号も取得しています。そしてコンゴに戻ってからは、動植物保護省のトップに収まります(the head of Ministry for the Conservation of Fauna and Flora)。また、何カ国語も話せる教養人です。マルセリンは、彼の政府の権威ある地位と態度で探検の間に、さまざまな困難、問題を解決します。しかし、レイモンドとラリーの考えるその権威に見合った態度を示しはしません。

 

レドモンドとラリーが初めて彼に会った時、彼は若い女性と一緒でした。ラリーは奥さんですかと、聞きます。その時のことが、こう書かれています。

“She’s not my wife!” shouted Marcellin, pushing Lary’s hand away. “And she doesn’t speak English!”

   “Is your wife joining us?” said Lary, fuddled with embarrassment.

   “Of course not!” Marcellin yelled into Lary’s ear. “She is pregnant!”

   “Pregnant?”

   “She’s having a baby!” explained Marcellin, slightly louder. “I have one daughter already! And now my wife --- she is pregnant again!”

   “Congratulations,” said Lary, bemused, his eardrum probably beginning to malfunction. “Well done. Congratulations.”

   Marcellin sat up. The girl withdrew her hands as if he had slapped her. “Look!” he shouted, his chin jutting forward. “Let’s get one thing straight, shall we? Right at the start. This is not England! This is not small-town America! My wife is pregnant. So we can’t have sex. So here is Louise, who finds it hard to stop having sex. Okay?”

 

 

また、マルセリンはレドモンドに同行の報酬を求めます。

   “You’ll pay me my Government salary. Thirty pounds a day.”

   “But I’ve already agreed to pay Ngatsiebe (the Cabinet Secretary to the Ministry of Scientific Research) 1000 pounds.” I said, with reflex annoyance.

   “It’s bribery,” said Lary. “It’s corruption.”

   “It’s Africa,” said Marcellin. “How else is he to make up his salary? Those jobs don’t last long. They’re just a political favour. In and out every four years. Even I can’t count on my salary, as a government employee. Some mouths I’m paid, some months I’m not. At least with you, Redmond, I know I’ll get my money.”

 

探検の始めに彼等は船でコンゴ川を遡りテレ湖の近くの町まで行くのですが、マルセリンはその船について語ります。

 

  “These are poor people. Traders. Village people. Third-class passengers. They will sleep in the open for two weeks, maybe three. Some of them will die. One or two very young children will roll over in their sleep and disappear down the gaps, into the river. It always happens. There are 3000 people here, maybe more.”

   “No handrails,” muttered Lary. “Even at the edges, there are no handrails.”

 

実際に、ラリーは船から人が落ちるのを目撃します。しかしマルセリンは黙っていろと言います。何も起らなかったんだと。目撃したのは君だけだと。

 

  “So, he’s drowned,” said Marcellin, looking out across the water at a village on the opposite bank. “This is the best-governed country in Africa, our people are the best educated. There’s no war, no famine. But it’s still Africa. Where we’re going---you’ll hear wailing women all day long. If you make a fuss like that every time someone dies, my friend, you won’t last. You’ll be wasting my time. We won’t complete our mission.”

 

イギリス人のレドモンドは、一歩引いて、達観して「アフリカ」を見ているような気がします。そして、アメリカ人のラリーは、ひとつひとつ、アフリカでの出来事に反応します。時折、過剰に。

 

   “Lary,” I said, as we walked downtown that evening for supper, “Why do you think Marcellin’s a creep?”

   “I’m sorry,” he said, quickening his pace across the railway-track, “It’s just a prejudice I have. I know it’s not fashionable, but I can’t help it, perhaps It’s genetic---I believe in trust, fidelity, call it what you like. I just don’t think he should cheat on his wife. What’s the point of marriage all those promises, if you don’t intend to honor your partner? Jesus. And she’s pregnant.”

   “Maybe it’s different here.” (Redmond said.)

   “Well, yeah, I don’t go along with all that either. I don’t agree it’s okay to cut a young girl’s clitoris out simply because you’re a Muslim or a Seventh Day freakshow or a Born Again butthole or whatever. I really don’t.”

 

しかし、マセリンには彼なりの理由があります。アフリカ人は家族ためにお金が必要なんだと。

 

“Most everyone has a family.” とラリーは答えます。

 

“No, no, my friend---not your kind of family, with two children and a car and a dog and a house full of machines. I mean an African family. It’s hopeless. It’s the cause of all our problems. Lary Shaffer, I’ve heard you talk about corruption. You call it corruption but that is not the case. The true explanation is this: the African family. I myself---I have a wife and two children just like you do in the West; but my mother, she has fifteen children, six from my own father and nine from Kossima, the husband she took when my father left her in Impfondo and moved to Brazzaville. I am the eldest son. I went with him.

 

そこでの彼の暮らしは貧しく電気もなかったが、彼は一生懸命勉強をしたと言っています。15歳のときにはアフリカで一番の高校に入れた、そして奨学金をもらってキューバの大学で学ぶことができたと。

 

“I got away! I escaped!”




 

少し訳してみますと(意訳です)、

 

わたしはスペイン語を1年語学学校で学んだ。それから大学で生物学を学び、動物学で学位を取った。そして奨学金を得て、フランスで学ぶことができたんだ。そこで博士号を取った。

 

“I do not deserve to be poor.”

 

わたしは科学者で、スペイン語も英語もフランス語も話せる。それで、何が起こったか。コンゴに帰ったら、家族の長になったんだ。そんなものにはなりたくなかったのに。

 

科学省で職を得た。サラリーを得て家も借りた。そうしたら母の15人の子供たちがやってきたんだ。そして、彼等の妻、子供たち、親戚たち。また、新しい父親の親戚たちも。いとこやなんかもね。

 

わたしが仕事から家に帰ると、私の椅子に彼等の誰かが座っているんだ。冷蔵庫から食べ物を取り出して、食べたりしている。そして、わたしに言うんだ、ドクター・マルセリン、あれが欲しい。これが必要だ、って。信じられないだろうが、タクシーが欲しいと言ったものもいた。タクシーだぜ。

 

それで、思ったんだ、なぜ?なぜだと。彼等となぜ分かち合わなければいけないんだ。私が一生懸命努力して得たものを。そして、彼等は感謝すらしない。当然のように受け取るだけ。

 

 

これは、1990年ごろのthe People’s Republic of the Congoのお話です。今は少々事情が違うかもしれません。でも、彼等の伝統的考え方(一番金持ちの人が他の家族を養う事は当然…と言ったような)と新たに入ってきた文化(個人の権利か?)の間での苦悩がうかがい知れます。これをどのように受け止めるかは、ちょっと悩ましいところです。

 

つまり、「文明」はどこまで「伝統」に関与できるのかという意味で。

 



2021年11月2日火曜日

生命40億年の全史---追記 

 


LIFE------An Unauthorized Biography, written by Richard Fortey によると、この地球に生命の種が蒔かれてからその芽は以下のような発展の段階を経ている。

 

原始スープ→炭素化合物→細胞膜の発生→リン酸化合物が生命の自己複製のエネルギーを供給→代謝に必要な酵素の発生、DNAは自己増殖とタンパク質合成を保証するものとなる→光合成のできる生物の誕生→細胞の捕獲(細胞のサイズと複雑さの増大)→性の分化

(遺伝子情報を半分ずつ持ち寄って次世代に伝える仕組み)

 

この「光合成のできる生物の段階」までは、生命は自分自身で生きるエネルギーを生み出していた。つまり植物は太陽のエネルギーを吸収する光合成により「生」を維持し、そこで自己完結していた。

 

次に高等な植物から動物への発展が促される。この分岐の初期の段階では植物・動物の境界線は曖昧なものではあったが、動物になると生命は自分の体内で必要なエネルギーを作り出す道を失ったのである。

 

つまり「捕食」が、エネルギー獲得の手段となる。動物は生きていくために、食物の確保と言う難題を抱えることになった。

 

Richard Fortey は言う。「植物は独力で成長と増殖のための栄養分を作り出すが、動物は自分の食い扶持を他人に頼る居候のようなもの。共生による太古の平和を粗野なやり方で掻き乱す真の動物、性的な衝動や攻撃的な性質に満ち満ちた捕食者あるいは搾取者の誕生。」

 

しかしこの「捕食者・被捕食者」の関係は、それ以前の時代に比べ飛躍的に生命の進化を推し進める原動力となった。いかにして食べられないか、いかにして効率よく捕食できるかのメカニズム、軍備拡張競争がもたらした進化。

 

はじめは、捕食者・被捕食者の関係は植物対動物の戦いであったが、すぐに動物対動物の戦いに発展していく。植物も負けてはいない。植物も捕食の道を模索し始める。こうして豊穣な多種多様な生命が地球上にもたらされたのだ。



このようにして我々人類はこのヒエラルキーの頂点に達したが、動物である以上この「生のメカニズム」から脱け出すことはできない。しかし、ここに興味深い研究がある。それは、「人類は自分自身に光合成のメカニズムを取り入れることができるか」である。

 

元来、遺伝子は親から子へと代々受け継がれていくものであるが、近年他の方法でも遺伝子が移動していることが明らかになってきた。遺伝子が「種を超えて水平移動する」と表現されている。

 

例えばウミウシである。ウミウシの祖先は巻貝の一種だった。今から三億年ほど前に貝殻を捨てたらしい。貝殻を作るエネルギーを使わないでふつうの貝より早く成長し、早く子孫を残す道を選んだと言われている。

 

そしてその脆弱な体を守るためにある種のウミウシは「不味い体になる」という防御策をとる。自分の体の中に外敵が食欲を失うような忌避物質を溜め込むのだ。またあるものは餌であるウミヒドラから毒針を摂取しこれを自分の背中の突起に溜め込み武器として使う。

 

そして葉緑体を溜め込むものも発見された。本来は植物が持ち、葉緑体が光合成するのを助ける遺伝子をこのウミウシは受け継いでいたのだ。詳しい仕組みはまだわかっていないが海藻の遺伝子がウミウシに取り込まれた可能性があるという。

 

この種のウミウシは餌を与えなくとも太陽の当たる位置に水槽を置いた場合、何か月もの間生き延びたと報告されている。その他、体内に藻を共生させ光合成を活用している動物も多くみられる。

 

例えばミドリゾウリムシは葉緑体を持つクロレラを体内に飼っている。このよう光合成によりエネルギーを確保している動物は多く地球上に存在する。ある学者は「他の動物が実現している能力ならば原理的には人間にとって不可能ではない」としている。

 

さて、「人類が光合成の能力を獲得したら、光を浴びながら暮らせるのか」と言う試算がある。光合成を行うために必要な表面積と人間が一日に必要なエネルギーを考慮した場合、人間が光合成で全エネルギーをまかなうには光を受ける面積が16平方メートル必要。

 

日本人の平均男性の体の表面積は1.61.7平方メートル。人間が光合成の能力を得たとしても体の表面積を10倍以上にしなければいけないようだ。また、植物は光合成を獲得したが、運動によるエネルギーの消費は大きいので「動かない」という戦略を選択した。

 

つまり人類はエネルギー溢れる野蛮でビビッドな生命を生きるべきか、あるいは静謐で緩慢な生命を選択し「捕食者・搾取者」という汚名を返上すべきなのか。