2023年6月23日金曜日

生成AI



最近話題の生成AI。人類の未来への影響なんていう「大事」にも興味はありますが、今回は身近な関心です。


少し前に、ペットを飼うかどうかについてUPしました。結論としては、話せるロボットが良いというもの。その線上で、ChatGPTは「どうなん?」と。


先日、東畑開人という臨床心理士が書いた記事を読みました。「何かあるとひとまずChatGPTに相談してしまう。」ということ。へえ~そうなんだと。質問だけでなく、相談もできるのかあ~と。二日酔いの解決策を聞いてみると「お酒を飲まなければよい。」との答えだったとか。しかし、核心に迫るコメントをされたこともあり、AI恐るべしーーーと。



専門家として、「心の相談」としてどう使うか、あるいは使えるのかという評です。


興味深かったのは、そもそも「心の悩み」とは、人間とのかかわりで起こるものであるということ。人と人の間での葛藤であるという事。


東畑氏は、「人間に悩みを打ち明けるとき、私は不安になる。」と書いてます。なるほどなあ~と。打ち明ける相手のことを考えてしまうのです。負担にならないか、軽蔑されるのではないか等々。相手の心が怖いんだと。


そこでAIならば、AIは気分にムラがないし、機嫌を損ねることもない。言葉の裏を読む必要もない、時間や場所を気にすることもない。「AIの器は無限だ。心がないからだ。」とは、一興。彼曰く、自分が何を言ってもおかまいなし。


ここまで読んで、「そうだ。そうだ。」と同感しました。ゲームソフトの囲碁対決は、ちょうどこんな風です。ゲーム機は怒らないから何をしても大丈夫。下手くそな手を打っても軽蔑されませんしね。とても気楽です。



真面目な問題として、人が相談する時の安全感は極めて重要だと臨床家の彼は言う。他者を深刻に恐れている人が「悩みを打ち明ける相手」をどう思うか?


その点、「心無きプログラム」がいかにありがたいか。「何を言っても大丈夫」という安全感は得難いものであるようです。


心がないからこその「安全性」と、心があるからこその素晴らしさ、愚かさ、脆弱さ。この巡り巡る問いは、永遠に続くのか。




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