息子の帰省の間での話合いで、一番の意見の一致は、
「そうめんはめんどくさい。」でした。
そうめんは大好きです。二人とも。しかし、お中元などで「そうめん」をもらうとうんざりする。
友達に、「そうめんをもらったからおすそ分けをする。」と言うと、「それは嬉しいけどなんで?」と。
好きなら全部自分で食べればーーー、という意味。
茹でるのがめんどくさい。茹でた鍋を洗うのがめんどくさい。と言うと、なんで他の料理をしてもお鍋は洗うでしょう。と。
それはそうだ。なぜ、そうめんの鍋を洗うのはめんどくさいのかと。考えると、「茹でただけの鍋を洗うのが許せない。」ということになった。
そのことを息子に言うと、
「わかるわ~~~。」と。
「えッ、わかるんかい!」
「僕なら洗わないよ。」
「でもヌルヌルするでしょ。」
「紙で拭いといたらいいよ。」
それで意見が合うのは、遺伝子のせいか環境のせいか(わたしの育て方)と問うと、それは複雑だねとの返答。
ネズミの実験では、「恐怖」は一代でDNAに反映したよ。と言うと、なんだろねえ、色とか明るさとかに関係あるのか~、と。
とにかく、我々は、「そうめんを茹でた鍋を洗うのは、道理に合わない。」との一致をみたのだった。