「マンスプレイニング」
最近知った言葉です。新しい言葉が社会に知れわたると、その「差別感」、「問題点」が顕在化され、とても良い事と、ーーー思います。
この言葉は、2014年に出版された「Men Explain Things to Me」(米国、レベッカ・ソルニットさん著)から来ています。マン イクスプレインニングからのマンスプレイニングです。日本では、『説教したがる男たち』と題され2018年出版されたという事です。
ソルニットさんの経験で、
ある男性が「貴重な本だ」と紹介してくれた本が自分の書いたものだった。その男性は、本の内容を自信たっぷりに説明し続けた、と言います。
この新聞記事を読んで、「そうだよなあ~~~。」と思いっきり感じました。生まれた時から、そんな奴ばかりだ!(もちろん大げさで例外はありますよ。)と。
そして、この歳になっても、囲碁を教えたい男たちが周りにいっぱい。下手(したて;自分より棋力の低い人)でも、そう。「わたしが勝ったのに、なんであんたが教えるんだい!」と、心の底で怒鳴っております。たまに、「うるさいなあ~」という事もありますが、「変なヤツ感」を周りに与えていますねぇ。
このように、「言葉」ができると、行為自体が皆に理解され、わたしも生き易くなるというもの。
セクシュアルハラスメントもそうでした。若い頃には、そんな言葉はなく、会社では女性はお尻を触りまくられ放題。そのことに文句を言うと、雰囲気を読まない奴、とか、小さい事で目くじらをたてて、と言われてしまいます。やっと、社会に認知されました。
しかし、この「説教をしたがる…」というのは、男性に限ったことではないなとも思いました。記事の第二弾でそのことが指摘されて、「ふむふむよかった。」と思っています。つまり、これは、権力を「持つ人」と「持たない人」の間の関係であります。現在、圧倒的に権力を持つのは「男だ」というところに問題があるのだと。
最近、テレビ番組などで女性が前面に出てくることが多くなりました。ニュースショウでも、今までは、男性のメインとアシスタントの女性アナという位置づけでした。この頃、女性のアンカーマンが多くなりました。コメンテーターも、お飾りではない専門家の女性が専門知識を披露しています。
私自身、はじめは、女性が増えたねえ~、とか、公平感を出してるねえ~、とか思っていましたが、今では、「女性が」とは捉えず、誰々さんがと「個人の名前」として捉えることが出来ています。
なので、これからこのような常態を見て育つ人々には、「男だから」とか「女だから」とか言う概念はなくなっていくのでは。
期待します。