2024年9月15日日曜日

少し前の「折々のことば」です。


 

「観念は結局、観念のままにとどまり、詩にはならない。」  比較文学者:張競


何のことかと思ったのですが、


戦時中、与謝野晶子が一般誌に寄せた歌は、サークル内で詠んだ歌とはひどく「音階が違う」と張さんは言うと。



つまり、消費者という「読者」の存在を前提にする文芸は、民衆のその時の感受性によって破調すると。


つまり、時制とか民衆の要望とかに作用される歌は「詩」ではないということか。芸術には成り得ないのか。


前回の「現代川柳」に関連しての妄想でした……。





0 件のコメント:

コメントを投稿