過去二回ほど川柳(もどき)をUP致しましたが、「川柳とは何か」ということは、全く知りません。
で、先日、新聞記事で「現代川柳」のことを知りました。「現代」が付いているだけに川柳とは、違うとは思いますが…。
先ず川柳とは、「全く自由なもの」のようです。定義ナシ。俳句のように季語はいらないし、短歌のように情感もいらない。短歌や俳句は学ぶシステムが確立していて、集団の中でより高い評価を得るということが、頑張りどころとなります。現代川柳(川柳と現代川柳を混同しているところもありますが)は、違うようです。
現代川柳は、個人が勝手に活動しているようです(現代詩と同じ?なのか?)。そして、現代川柳は、一見意味が通らなかったり、読み手に不思議な感覚を与えるなど、共感を得る(与える)とは無縁のもののよう。
今、蔓延しているSNSで「イイね」を得るのとは無縁のようです。「共感」得ないということでは、現代芸術に通じるようで、難しい芸術論になりそうです。「異化」とか、ダダイズム、シュールレアリスムの「見る者」を拒否するとか。
しかしながら、「大衆」は共感し、感情を共有することを望むので、創作する方としては、たいへん困難な試みとなるでしょう。(というのは、間違いか。初めから共感を求めていないのだから。)。
「大変だ」ということは間違いないです。凡人は、すぐ情に訴えるから。わたしのことです。わたしだって、自分の心地よい言葉を並べて、情に訴えることなく、他者の心に響く音を紡ぎだしたい。です。ラップのように韻を踏むだけとか。。。
それでは、ひとつ…、
焼きピーマン
三個はきつし
一人酒
オソマツ。。。
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