2013年12月31日火曜日

『137』  アーサー I. ミラー著


年末だというのに、今年おわりのお片づけもせず、新たに本を読み始めました。と言っても、以前に買った本で少し読んで、そのままになっていたものです。『137―― JUNG, PAULI, AND THE PURSUIT OF A SCIENTIFIC OBSESSION』、ARTHUR I.MILLER著です。邦題は『137 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯』。いつ買ったのか覚えていないので、奥付を見たところ、2009年にハードカバーが出版され、2010年にペーパーバックが出版となっていました。ですから、2010年頃に買ったのでしょう。英語版です。その頃は、ただ英語を勉強する為に「英語の本」を買っていたのです。しかし、勉強とは言え、興味がないものは読めないので「とりあえず興味ありそうなものを買ってみた」と言うところです。

 

 

ところが読んでみたもうたいへん。まだ、イントロダクションだけなんですけど・・・、ワクワクします。前回は2、30ページほど読んでいました。が、内容はまるっきり覚えていません。もちろん、どんな種類の本かは解説書などでわかっていますが・・・。この2~3年でわたしも成長したのでしょうか、内容がすんなり入って来ました。

 

パウリは、量子論で「パウリの法則」を導き出し、名を残した物理学者。ニュートリノの存在を予言し、その後ニュートリノが実験室で確認されるという偉業も成し遂げました。ノーベル賞受賞者です。ユングは言わずと知れた有名な心理学者。しかし、無意識レベルの心理を操る少々科学者らしからぬ所があります。そこで、何故、この二人の交友が始まったのかと言う疑問が湧きあがります。著者は、膨大なふたり間の書簡からこの謎を解き明かそうとします。なんと、ミステリアスなことでしょう!

 

パウリが31歳の時、彼はユングに初めて会ったようです。その時、ユングはもう名声を築き上げていました。26歳パウリより年上でした。その頃、パウリは量子論では解き明かせない「人類普遍の何か」に囚われていました。それが、「137」という数字です。ユングもまた、同様の疑問を抱いていました。その二人が出会うことによって、「化学反応」が起きたということですネ。ふたりの間で、何かの理論が形を取り始めたのです。

 

 

著者はこのように表現しています。

 

Nevertheless, his sessions with Jung convinced him that intuition rather than logical thought held the key to understanding the world around us.

 

---the means to break through and to develop new insights was to take a radically different approach and return to science’s alchemical roots.

 

 

しかし、パウリはこのような科学者らしくない考えを彼の研究者仲間に知られることを恐れました。ユングは偶然にもパウリの家の近くに住んでいたのです。彼等の関係は、先ずは患者と医者というところから始まります。それから、友達に、そして同じ思想を持つ者同志として、お互いの研究に相乗効果を生みだして行くのです。

 

また、本からの引用ですが、

 

Pauli realized that quantum mechanics---despite its grandeur, and in the fact of his distinguished colleagues---lacked the power to explain biological and mental processes, such as consciousness.  It was not a complete theory.

 

 

 

この本は、まさにわたしが思っていた「今の科学では解きえない何か」の存在を示唆するものと思いました。と言って、非科学的なことではありませんよ。科学が科学であるために、今までに置き忘れてきた何かを、もう一度科学によって取り戻すということです。今の科学には、まだ「何か」が不足しているということ。

 

以前にも書きましたが、「超弦理論」やなにやかやで、宇宙の謎が解き明かされ、この世界がどうしてこのように存在しているのかがわかった時、今「超常現象」として不思議とされていることの謎も解き明かされるのではないかと、密かに期待しているのであります。

 

 

「講談師、見てきたような嘘を言い」・・・、ですね。まだ、イントロダクションしか読んでいないんですから。また、読み終わったら、あるいは、途中経過を報告いたします。

 

チャオ!そして、良いお年を!

 



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2013年12月28日土曜日

『スピノザ――実践の哲学』  G.ドゥルーズ

スピノザは言う。

もし人間が自由なものとして生まれついていたら、自由であるあいだは、ひとびとは「いい」とか「わるい」といったことについて、なんの概念も形成していないことだろう。


そうだよね~~~。他の生物は、良いことも悪いこともしていないもんネ。ただ生きているだけ。生きることに善も悪もないんだ。

G.ドゥルーズの解説は、

「善」も「悪」も、単なる思考上の存在。想像上の存在にすぎず、さまざまの社会的標徴や、褒賞と懲罰から成る抑圧の体制に、全面的に依存しているのである。


やはり、誰かから見た「善と悪」ということか。あらゆる事に「恣意性」は宿っているのね。





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2013年12月26日木曜日

『ゾミア』を読んで



最近のテクノロジーの発展、科学の発展により、現在いろいろな事が明らかになって来ています。ビッグバン以前の宇宙がどんなものであったかも理論的には解明されつつあります。また、深海に生きる生物の生態なども深海まで到達できる潜水艦の技術により明らかになりつつあります。

 

それでは、わたしたちが住んでいるこの社会はどうなのか。わたしたちは、どうしてこのような社会に暮らしているのかは、わかっているのでしょうか。わたしの机の引き出しに「国民国家の問題点」というメモがひっそりしまわれています。『ゾミア――脱国家の世界史』を読んで、少しだけわたしにも理解ができそうな気がしてきました。

 

The Art of Not Being Governed---An Anarchist History of Upland Southeast Asia, by James C. Scott です。「脱国家」と謳われているように、デリダの「脱構築」系統の本のようです。

 

ゾミアはベトナム中央高原からインドの北東部に至る地域です。面積およそ250万平方キロメートル、約1億の少数民族の人々が住んでいます。一番驚いたことは、わたしの無知からですが、彼等は文明から取り残された人々ではないと言うことです。それ以上に、文明から逃れようとしている人々なのです。

 

文明とはなにかは、以前『HUMAN』という本を読んで少々理解できました。初期国家の人々は、大半は自由民ではなかった。国家に拘束された人々だった。国家(支配者)は、その存続を維持する為に、人々を囲い込み、労働力と徴税を確保しなければならなかった。つまり、人を土地に縛り付けコントロールしやすいようにする。考えてみたら、牧場のようなものかもしれませんね。そして、その人々に国家や支配者の正統性を敬うように明確なイデオロギー、セオリーを与える。宗教もそのひとつです。

 

そして、そのような束縛から逃れようとする人々がいる。労役と搾取からです。「国家」から離れて、「国家」の勢力が及ばないところを移動し続けるのです。止まれば捕まってしまいますから。そして、そのようなコントロールが効かない人々を、国家は、「文明」と対比して「野蛮な未開人」と呼ぶのです。

 

この「野蛮な未開人」は歴史の初期段階で留まっている人々ではありません。『ゾミア』には、このように書かれています。「山岳部族は、人類史の初期段階の残存者で、それは、水田稲作農耕を発見し、文字を学び、文明の技巧を発展させ、仏教を取り入れる前の人々・・・と考えるのは間違いである。・・・定住型農耕と国家様式の発明に失敗した古代社会ではない。」

 

つまり、今日狩猟採集民として暮らしている人々は、百年前も狩猟採集民族であったとは単純に考えられないということ。彼は農耕民であったが、「国家」の締め付けにより、辺鄙な土地に逃れた人々かもしれない。実際、今農耕民で裕福な生活を営んでいるのは、先進国の農業従事者だけだと、なにかの本で読んだ記憶があります。低地で土地に縛られて農耕を志すより、焼畑農耕で点々と場所を換えて作物を作る方が、より労働としては効率がよいそうです。焼き畑が環境を破壊すると言うのも、「文明」の側からの間違った喧伝だと。日本人が割り箸を使うので、森林が破壊されるという喧伝のようなものですか。

 

この逃亡は、何も古代のものではありません。実際、第二次世界大戦前までは、頻繁に起っていたことなのです。低地民が山岳に逃れたり、また山岳民が低地にまいもどったり。植民地時代にも、彼等は植民者の西欧人を悩ましていました。居場所が特定できないので、支配する事ができないのです。また、彼等には真の意味での「支配者」を持っていないので(彼等の社会は平等です。支配者が現われてそれが引き継がれていくのを嫌いました。彼等は頻繁に支配者を殺していたそうです。「支配する者」は殺されるという強迫です。)、支配者を通じて民を統括するということができないのです。植民者は、先ず、彼等の支配者をでっちあげるところから始めなければいけなかった。

 

彼等は、永住が必要な水田農耕を捨てた。また、ほかにいろいろなものを捨てました。歴史、文字、アイデンティティをもです。ここから、歴史とは何か。文字とは何か。アイデンティティとは何か、という疑問が湧きあがります。

 

第二次世界大戦以降、近代的国家の概念は世界を覆い尽くしています。国と国の間には国境線が引かれ、もうあいまいな場所はほとんどない。「文明」から逃れたい人々の行き場所がなくなりつつあります。著者は、「だれが文明人でだれが未開人であるかを見分けるための座標軸は、国家によって収奪しやすい形態であるかどうである。」と述べています。

 

訳者の佐藤仁氏は、「あとがき」でこのように述べています。

 

「彼等を小さく、端へ追いやることに加担してきた私たち自身の歴史に向き合うのは、ちょっとした勇気がいる。山の民という鏡の中に、国家や資本主義に依存する私たちの本当の姿を覗き見る覚悟を持てるかどうかが、今、問われている。」

 

日本にも「山の民」はいました。また、現在の中央集権政治体制から追いやられている「地方」の実情を考えると、まだまだ、わたしたちの社会は到達点を迎えられないと思わざるを得ません。拙い文章なので、この本の意図が伝わっているかどうか。興味がある方は、是非『ゾミア』を読んで下さい。




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2013年12月21日土曜日

ブロンクスから来た先生…デニスの続きです。


ある日、デニスが彼のお父さんと文通しないかと言います(まだ、emailは、一般的ではなかった時です。と言っても、たかだか十数年前の事ですよ。)。「君と話が合うかもしれない。」と。実際、わたしとデニスはずいぶん年が離れていたので、彼の言う通りかもしれないと思いました。英語の勉強にもなると言われたので、別段「文通しても悪くはないでしょう。」と応じました。しかし、彼の父親は離婚をしており、今は別の女の人と暮らしているとのこと。それで、直接手紙を出さないでくれと言われました。わたしが、デニスに渡してデニスがお父さんに出すと言う話。なんだか胡散臭いでしょう。でも、真剣に文通するわけではないので「いいよ」と言いました。

 

数日後、英語で手紙をなんとか書いて彼に渡しました。一応封筒には入れましたが、封はしませんでした。意図的にです。彼がどうするか見てみたかったのです。案の定、彼はわたしが書いた手紙を読んでしまいました。デニスは素直に「読んだ」と告白して、こんな言い訳です。

 

「お父さんは、女の人と暮らしているって言ったよね。彼女はとても変な人なんだ。つまり、たいへん嫉妬深い。お父さんに女の人から手紙が来たら、もう大変な事になってしまう。怒り狂って何をしでかすかわからないよ。それで、僕の名前で、彼に手紙を出す時に、一緒の封筒に入れて出そうと思ったんだ。お父さんにそんな感じで、電話で話したら、そんなことはやめてくれって言うんだ。そんなことが彼女にバレたら、いっそう大変になるって。だから、悪いけど文通の話は無しにしてほしいんだ。」

 

まあ、真剣に文通を望んでいた訳ではないので「いいよ」と言いました。しかし、未だにあの話は彼の作り話か、本当なのか判断はつきません。

 

そんな彼との英語のレッスンが半年ほど続いた時、彼が「学校をやめる」と告げました。「どうして」と尋ねると、ニューヨークに帰るということ。ニューヨークには彼の母親と妹が住んでいます。妹の名前は忘れてしまいましたが、母親の好きな女優の名前を妹に付けたと聞いたことがあります。彼の名前もデニス・ホッパーかなんかから取ったのかもしれないと思ったことを覚えています。

 

その母親が再婚すると言うのです。結婚式なんて興味はないけど、なんか変わった結婚式をするというので、出席してみるということ。サンフランシスコに行ったことはあるかと聞きので「あるよ」と答えたところ、

 

「サンフランシスコのヘイトアンドアシュベリーにジョン・コルトレーン・チャーチがあるんだ。その教会では、コルトレーンに因んで礼拝に来る人には、全員に楽器が渡される。楽器と言ったって、タンバリンとかカスタネット、トライアングルだよ。それで、全員で自分の楽器を演奏しながらゴスペルを歌うんだ。お母さんはそんな結婚式にすると言っていた。おもしろそうだろ。みんなの祝福が終わった後で、新郎新婦は気球に乗り込んで、空に舞い上がる計画。気球が空に昇って行くところ、一度は見てみたいな。ステキだろうな。」

 

コルトレーンは有名なジャズ・ミュージシャン。教会の話は知りませんが、場所が場所だけに「ありえるかも」と。そうして、彼は学校を去って行きました。しかし、風の便りによると、彼は東京に行ったらしい。ガールフレンドの部屋に転がり込んでいっしょに暮らしているという話です。どうですか。面白いでしょ。結局、何がほんとうかは謎のままです。

 



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2013年12月17日火曜日

ブロンクスから来た先生



英会話教室に十年ほど通っています。「一年に付きひとつの学校」というのがわたしのモットー。なので、もう十校は通っていると言うことになります。プラス、海外の英語学校にも、ほぼ毎年行っていました。もちろん期間はそんなに長くはありません。短くて二週間。だいたいは三、四週間です。でも、気合いを入れて行った時があり、その時は、十週間と十二週間でした。この時、念願のアドバンスト・クラスに進級できました。その後は、サボっているので、なかなかアドバンスト・クラスを維持できていませんが。

 

そんなことで、今までにたくさんの先生と出会いました。中には、面白い先生もいます。今でも思い出すブロンクスから来た先生なんかです。まだ、英語クラスに通い始めて二年くらいの時でした。わたしは、日本の英語の学校教育は素晴らしいと思っています。「話せないじゃないか」という批判もありますが、その文法教育と文章を読む力は、他の国の教育より群を抜いていると。とにかく、言いたかったことは、まだ二年だったけれど基礎が身に付いていたので、インターメディエット・クラスにすぐに成れたということです。つまり、そこそこの意思の疎通はできたということ。

 

その時の学校には、三人の先生がいました。わたしは、主にカナダ人の先生に習っていたのですが、その先生が辞めることになり、彼曰く、「今度の先生はブロンクスから来た先生だよ。きっと君と気が合うよ。」英語を習い始めてからの英語学習以外の副作用は、英語を話していると、日本人の「和の精神」を忘れてしまうと言うこと。あることないこと、相手がどう思うかという配慮なしに話してしまうのです。彼に一度、「例え君が完璧な英語をしゃべれたとしても、君の言うことは理解できないよ。」と言われてしまいました。彼の言う「君と気が合う」とは、そんなことを指していたのでしょう。

 

 

さて、彼が来ました。名前はデニス。二十四歳でした。わたしの最初の質問は、お決まり通りの「なぜ、日本に来たのか」で、彼の答えは、

 

「大学時代のガールフレンドが韓国人で、卒業後に彼女が国に帰ると言うので追いかけて行ったんだ。そうしたら、親族たちが会議を始めた。彼女に僕が相応しいかどうかって。」

「それで。」

「もちろん、アメリカ人なんて大反対だよ。受け入れられっこないよ。」

「でも、彼女の意志はどうなの。自由でしょ。民主主義の国だもの。」

「結局、皆に説得されたんだ。彼女は僕と別れると言う結論に達して、僕は此処にいるって言うこと。」

 

つまり、デニスは韓国でガールフレンドに振られたので、隣の国の日本に来たということらしい。デニスは、高校まではブロンクスで育ち、それから、マンハッタンのニューヨーク大学に進学した。わたしは、ブロンクスと言えば、ギャング映画のイメージしかありません。しかし、彼はブロンクスが好きだと言っていました。近所のパン屋さんには、ロバート・デニ―ロのサイン入りの写真が壁に飾ってあったと自慢げでした。「デニ―ロが近所に住んでいたのさ。」と。

 

もうひとつ、彼が高校生の時に宅配のアルバイトをしていた時の自慢話も聞かされました。自転車に乗って橋を渡って、デニスはいつもブロンクスからマンハッタンまで小包などを配達していました。「自転車はすぐに盗まれるから、配達先のビルに着いたら、自転車を止めてしっかり施錠しなければいけない。」と話して、「チェーンでぐるぐる巻きにするんだよ。」とジェスチャー入りで説明しました。

 

そしてある日、ビルの前で自転車をチェーンでぐるぐる巻きにしていた時のこと、通りの向かい側の電灯の下に、ポールに寄り掛かって煙草を吸っているとてもクールなガイがいた。ちょっと怖かったけれど、とてつもなく魅力的な奴だったので見入ってしまったと、彼は話しました。

 

「とてもイケテル、背が恐ろしく高くって、すっごく大きな奴だった。誰だかわかるか。」

「わかるわけないでしょ。」

「なんと、あのノートリアス・B.I.G.だったんだよ。」

「ラッパーの、路上で撃たれて死んだっていうビー・アイ・ジーなの。」

「彼は死んでないよ。それは作り話なんだ。彼は今も生きていて南アフリカで暮らしているよ。彼はどこに居ても、クールなラッパーなのさ。」

 

どうですか、この話。わたしは、時々、彼のストーリーを他のアメリカ人の先生に話してみることがあります。彼等コケイジョンは、ブロンクスから来た青年には辛辣です。「そんなことを信じているのか。」って、口を歪めて冷笑するのです。わたしも信じているわけではありませんが、デニスの話はとても不思議で魅惑的、他の先生の比ではありませんよね。

 

ブロンクスがどんなところか知っているかと、彼に尋ねられたことがあります。わたしは、正直に映画の中でのブロンクスしか知らないと答えました。想像もつきませんよね。

 

「だいたい君が想像している映画の世界みたいなものさ。みんな貧しくて、それでも一日中何もしないでテレビの前に坐っているだけ。僕もそんな風になっちゃうのが嫌であそこから脱け出したんだ。でも、良いところもあるよ。ベトナム帰りの片足のないおっさんがいた。僕たち悪ガキは、道端に坐って、彼がバスに乗るところを眺めていた。片足がないから、もたもたしてなかなかバスに乗れないのさ。『バスにも乗れないくらい、よぼよぼになっちゃったのか』って、皆で囃し立てていた。それが僕たちの励ましだったのさ。彼へのね。『この悪ガキが』って、彼はいつも怒鳴り返したけど、内心は嬉しそうだったよ。それがご近所付き合いっていうことさ。」

 
この先生のお話はまだまだ続きますが、次回に続く・・・ということで、よろしく!
 




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2013年12月15日日曜日

『日本人のユーモア』


「日本人のユーモア」なんて大層な演目になってしまいましたが、とうていそんな大きなテーマを語る能力は私にはありません。が、卑近なところから探ってみました。イグノーベル賞です。1991年に賞が設立されてから、ほぼ毎年のように日本人の受賞者が出ています。

 

何故このテーマに関心があるかと言いますと、日本人は世界の人々から「真面目だ」とか「ユーモアのセンスがない」とか思われています。その思い込みに反論したいからです(たいていの英会話の先生は、日本人はユーモアがわからないと思っています)。

 

思うに、日本人は世界でも有数なユーモアのセンスの持ち主であり、バカバカしいことが大好きな国民性です。それで、最近読んだ、イグノーベル賞の創設者のインタヴュー記事から、そのことを実証します(大袈裟…)。

 

マーク・エイブラハムズさんがその人です。彼はハーバード大学を卒業し、今は、『Annals of Improbable Research(ありえない研究)』という雑誌の編集長。1990年にこの雑誌の編集者となった時、彼は、世の中にこんなにも興味深い研究があったのかと驚きました。そして、その研究が日の目を見ていないことを残念に思い、スポットライトをあてて、皆に知ってもらいたいと考えたそうです。それで、1991年から、この雑誌がイグノーベル賞を企画する事となったのです。

 

 

彼のインタヴューに対する返答の抜粋です。

 

今年で日本人の受賞者は7年連続である。継続的に受賞者を出しているのは、英国と日本。この二つの国には奇人・変人を誇りにする風潮がある。この賞の成功は、この二国に負うところが多い。

 

1960~70年代、日本の電化製品や車が欧米の市場に入ってきた。当初、彼等はその製品をなんか変だと思った。でも、仕方がない、日本製だものと。それが、人気が出始めると、「どうすれば、日本人のアイデアのようなものが生まれるのか」という思いに変わって行った。日本や英国で放送されている一見馬鹿げたテレビ番組も数年後には世界中に広がる(「サスケ」や「風雲タケシ城」、または、イギリスの有名なプロモーション番組「Britain’s God talent」も日本のテレビ番組「スター誕生」から来ているという話も…)。

 

 

「現在、世界では、より実用的でより利益につながるような研究が求められています。科学者が純粋に自分の好奇心からのみ研究を続けることは難しくなっているのでは。」というインタヴュアーの質問に、彼は次のように答えています。

 

あらゆる物事には、正と負の側面がある。その価値は時代とともに変わっていく。「バカバカしい」と思うことが、後世になって素晴らしい発見だったということは幾らでもある。『ありえない研究』というのは、何が起きるか予期できない研究である。数か月先には何が実用的かわかっても、数年先になると難しい(日本の町工場が、なんの役に立つのかわからないのに、世界一小さいネジを製作しようと努力する。そして、それは、後に胃カメラなどの医療器具などに利用されるのだ)。しかし、面白さや驚き、バカバカしさは、あくまで副次的な事であり、最初からそうような効果を狙って研究は、受賞の対象とはならない。

 

 

こんな感じですが、どう思われますか。ホントのところ、わたしのメイン・テーマは、最初に触れましたように、「なぜ英会話の先生は、日本人にはユーモアのセンスがないと切り捨てるのか」ということ。ほとんどの先生達は日本語を理解できません。それでも、日本の漫才師が「ど突き合う」ところだけを見て、stupidと言います。「なんでやねん。なんもわかっとらんやナイけ」と言いたい訳です。

 

実は今回もこの内容のトピックを英語教室に持っていったところ、先生(イギリス人)は、日本人にユーモアのセンスはないと言いました。あとで、「ユーモアの質が違うということだけど」と言いなおしましたが。それで、昔懐かしい『差別の構造』という言葉を思い出してしまいました。今、西欧の文化が世界のマジョリティです。それで、それ以外の文化を排除しようとする力が働きます。もちろん、植民地時代の話ですが。しかし、その後も、構造主義のように、他の文化を認め理解するというメッキリ「上から目線」の理論に引き継がれます。それではいけない、差別される側の人の立場に立ちその人たちの言を代弁するのではなく、「彼等自身が、語る言葉」に耳を傾けようではないか…、という「脱構築」の観点が必要です。

 

韓国人たちに対する「ヘイトスピーチ」に関する記事を読みました。それに依りますと、「朝鮮人は出ていけー」などと叫ぶ人たちが、なぜ呑気にそんなことを叫べるかと言うと、彼等は自分の側に権力の後ろ盾があると感じているからだそうです。人は知らず知らずのうちに、己を権力の側にすり寄せ、マイノリティの側を脅すようになる。

 

もうひとつ、今読んでいる『ゾミア』(まだ、読み終わっていないんですう。)で学んだこと。

 

「ドミネントが文明となりその他は野蛮となる」

 

 

[人類の夜明け]は遠いわあ・・・と感じるわあ~~~。





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2013年12月10日火曜日

『家制度』を考える



英会話の教室では、トピックを順番に持ち寄ってディスカッションをすることになっています。前回のトピックは「家制度と介護保険」でした。わたしが持っていったトピックではありませんが、異常に燃えました。

 

と言うのは、わたくし大学時代はウーマンリブ(アメリカ)の世代で、わたしたちも友達と共に、「女性問題研究会」を学内に立ち上げたのです。今でも、学内にその会は存続しています。つまり、わたしたちはその創始者。なれど、忘れられた存在でしょうが。言いたいことは、女性問題と「家制度」はリンクしていると言うこと。

 

それで、自分の本棚を探索してみたら、ありました、その手の本が。『家族制度』と『女性解放と現代』です。『家族制度』の方は、昭和33年に第一刷が発行され、わたしが買ったのは、第13刷の昭和46年のようです。つまり、1971年でしょうか。アマゾンで検索したところ、古本で「1円」で取引されていました。ほんとに、ほんとに昔の本です。

 

内容も少々古くなっておりましたが(パラパラと斜め読みしただけですが)、真実は変わっておりません。以下、わたしの考察です。

 

 

「家族法」(いわゆる家制度)とは、下級武士の「革命」で創立された明治政府が定めた法律です。その時、制度の近代化を図り、欧米列強諸国と肩を並べるために、法治国家となることが必要だったのです。「法律」という近代的な衣を着てはいましたが、所詮市民革命を経てできた国家ではありません。内容は、前近代的なものです。

 

どんな政府にも、人民をまとめ上げる理念が必要です。そのため、当時、武家社会の伝統と天皇制を合体し、「家制度」を確立したのです。「家を守ること」=「祖先を守ること」=「天皇を祭ること」、そんな構造です。国家統一のセオリーとして、「天皇を日本の父として万民が等しく天皇の臣下である」という確認です。そのため、家長は、家の財産を守り、家族を統率する責任を祖先に対して(ひいては天皇陛下に対して)負っている。家長の財産は個人のものではないのです。家のものです。責任と義務の在りかを明確にする為です。それが、国に対する責任と結びつきます。

 

第二次世界大戦後、新しい憲法ができました。為政者はそれを受け入れなくてはいけない。旧来の家族法もなくなりました。それ以前には、「家に個人の権利」を入れないことにより、明確な上下関係の秩序を保っておりましたが、戦後の憲法では、「個人の権利」が明確に担保されました。為政者は、家族法にも個人の権利を入れない訳にはいきませんでした。財産も平等に分けられますし、責任も平等です。そこで、為政者は、その「家長の権威、服従関係」が法律で否定されたことに対し、「家族の情」まで否定するものと問題をすり替えたのです。「子どもの親に対する道義はどうなる」と言うことです。それが、道徳教育による「家制度」の教えです。家族の中に権利意識が芽生えないようにとの試みです。

 

戦後でさえ、家族の関係は非合理な関係であり、家族法は他の法と本質的に異なるとする傾向にあります。家族の対立を権利の対立と考えないで、家族全体の幸福を図ると言う「和の回復」で処理しようとする傾向です。つまり、誰かが犠牲になるという意味(多くは女性の犠牲)。民主的な家庭ではなく、それは「家制度」の名残りによる「和」の押し付けかもしれない。

 

個人の利益主張は、それが自己の権利であるのか、それとも限界を超えた要求であるのかを客観的にとらえることが重要です。同時に、家族制度を壊す要因を科学し、その対策を社会で構築する事の必要性があります。つまり、社会保障や経済問題(労働問題)の解決です。

 

日本では「和の精神」以来、人間関係に適応する事が無条件に価値がある事と見なされる伝統があります。そのため、客観的な個人の権利主張も「こうあるべし」という倫理的命令の前で降伏せざるを得ない状況になることも。権利主張の正当性を認める民主主義を取るなら、個人の自主的権利放棄が行われない限り、その権利を認めるべきです。誰も人に自己犠牲を強いることはできない。権利を主張することをやめさせるのは、家族への愛だけ。その「愛のない家族」の崩壊を止める手立ては在りません。また、この「家族愛」に道徳教育と言う名目を乗せて、政府が介入し無理強いしてはならない。

 

 

現在の状況を見ると、日本版NSCや特定秘密保護法、福祉の見直し、道徳教育の復活など、徐々に時代に逆行していくかの感があります。個人の権利を基礎とした家族の在り方を探る必要性があると言えますが、逆に、「家族とは」とも考えてしまいます。世界的に見て先進国では、「家」(制度としての)の崩壊は始まっています。ひとつには、「家」を維持する必要性がなくなってきたことがあるのでは。つまり、今、仕事は個人単位であります。昔ながらの農家、家内工業においては、家の団結が経済的に必要だったかも知れませんが、現在、人は会社に行って働いて給料をもらってきます。

 

「家」は真に愛情だけが宿る場になったのかもしれません。愛情とはいつも「不確かなもの」。その「愛」を堅固にしようと画策する「家族法・結婚制度」という法的手段は、もう要らぬお世話かもですね。

 



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2013年12月7日土曜日

「恐怖」のDNA


以前ハエの実験で、オスのハエにメスを与えないとオスのハエはストレスからアル中になると言う記事を読んだことがある。普通に交尾ができる状態のオスのハエは、アルコールを含んだ餌を与えても中毒にはならないが、禁欲させられているオスのハエは、好んでその餌を食べると言うのである。

 

 

動物実験には、いろいろ興味深いものがあるが、今回読んだ記事はマウスを使った実験である。身の危険を感じると、その「記憶」は精子を介して子孫に伝えられるというもの。

 

アメリカでの実験。オスのマウスの脚に電気ショックを与えながらサクラの花に似せた匂いをかがせる。この実験を繰り返した後、メスとつがいにし、子孫を得る。生まれた子供にさまざまな匂いをかがせてみると、父親が恐怖を感じたサクラの匂いの時だけ、強くおびえると言う。孫の世代にも同じような傾向が見られた。

 

父マウスと子孫のDNAを調べると、嗅覚を制御する遺伝子に変化の跡があった。生物の遺伝子情報はDNAに刻まれて親から子に引き継がれる。生活習慣やストレスなど、後天的な要因でも遺伝子のスイッチの入り方が変わるということだ。研究チームは、「ある種の精神神経疾患の解明につながる可能性がある」と言っている。

 

と言うことなんですが、「なんで、サクラの花の匂い~~~。」って言うことですよ。この実験者もなんか先天的に日本への怨みが遺伝してるんじゃないの、って冗談です。

 

 

この記事を読んで、わたしの妄想癖が湧いてきました。

 

1.わたしは、まったく植物に関心がありません。先日も美容院で、「最近どこかに行かれましたかあ。紅葉なんか。」と言われ、「紅葉なんかに全然興味はない。」と言ってしまいました。もちろん、「目に青葉」という感性はありますが、その青葉が何の木かとか、そんな類の事には興味なし。

 

そこで、わたしの父ですが、彼は、大学の教授でした。医学部の薬学科卒。化学の先生でした。蚊の実験で博士号を取ったのです。幼い時、ボウフラを飼育している大きな甕が家にたくさんありました。それで、植物についてもとても詳しいのです。しかし、「知識として」です。わたしが、幼い時、何気なく木の名前や花の事などを聞くと、滔々と講義が始まるのです。彼から、「きれいな花だね~~~。」などの感想を聞いたことは全くありません。

 

つまり、「こいつが元凶か!」と思っちゃったわけです。彼は、蚊の研究(蚊が媒体となる病原菌の研究)で、東南アジアのどこかの研究所から引き合いがあったのですが、「そんな所に行きたくない」と断わりました。LAZYな人なんですよ。わたしも、小さい時に「フィリピンとかインドネシアの学校に通わずに済んでよかったなあ」なんて思います。同様にLAZYな奴なんですよ、わたくしは。

 

2.宇宙は9次元でできているとご存知ですか。我々は、3次元とプラス「時間」の4次元の世界に住んでいると思っていますが、最新の説では9次元の世界だそうです。違う説もありますが。

 

その他の次元は、ミクロの空間なので人間には見えないそうです。わたしが読んだ本では、糸の上を歩く蟻を例にとって説明されていました。蟻は、糸の上を歩けるが、人は歩けない。だから、糸の上を歩く感覚(次元)を知ることはできない。しかし、他の次元は実際に現存しているのなら、人は何かを感じるはずだ・・・と思うのです。ここからがわたしの妄想です。

 

高度な科学技術、テクノロジーで人の生活は便利になりました。でも、その代わりにヒトが失った能力もたくさんある。例えば、古代人はカヌーで海に乗り出しました。なんの航海技術もなく、さぞかし多くの人々がそのために死んだと思われがちですが、実際は、古代人は宇宙と仲良しだったのです。彼等は、星を見、風の声を聞き、海の心を知り、自然の懐の中、安全な航海ができたのです。もちろん、悲惨な状況もあったでしょうが。それが、航海技術の発達により、人はもう、宇宙の声を聞く事ができなくなった。そんな非科学的なことを信じなくなったのです。卑近な例ですが、建築士がコンピュータで製図を書くようになってから、コンピュータが壊れたら自分で製図を引けなくなったという事実があります。

 

だから、宇宙を感じることができるDNAを持った人がいるかも。他の次元を見ることはできないが感じることができる人はいるかもと。例えば、幽霊。幽霊と言う存在はないかもしれないが、他の次元からの仄かな気配を感じることはできるかもしれない。実際、アマゾン川流域に住む「ピダハン」という少数民族は、文明を拒否し、原始のままの生活をしています。彼等は、毎日霊を見ているそうです。「今日は、霊のご機嫌は斜めだ」なんてね。彼等は、文明人の見えない感じない何かを、まだ感じ取る能力を備えているのかもしれない。文明に毒されていないが故に。古代からの記憶がDNAに滲みついていることは確かです。例えば、人が暗闇を恐れることは、その点から説明されていますし~~~。

 

と言うことで、

 

超科学的な「宇宙の論理」が解明されたら、超非科学的な「超常現象・幽霊」なんかのことが、同時に解明されるかもと思うと、なんだか楽しくないですか。ワクワクしませんか。

 



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2013年12月1日日曜日

『ゾミア』について

今、読んでいる本の題名です。『ゾミア』。

ず~~~と、ポスト民主主義とはどんな形態かと悩んでいるのですが、ほのかなヒントがこの本にありました。

「ゾミア」とは、東南アジアの山岳地帯の名称です。この地帯に住んでいる人々は、少数民族で、多民族です。つまり、いろいろな人たちが混雑して住んでいるということ。彼らは、一見、文明から取り残された人々ですが、実は、意識的に取り残されているのです。この本によりますと・・・ですが。

国民国家に属さない人々なのです。意識的に国民国家から逃亡している人々なのです。20世紀後半以前、そんな場所は多多あったとか。「国家」は歴史的に記述され得るけど、「国家」に属さない人たちの歴史は史実に表れにくい。「歴史」とは支配した人々が残すものだからです。

国民国家は、今、地球上のほぼすべての地域を覆い尽くしています。だから、わたしたちは、それ以外の形態をイメージできない状況です。でも、確実にそれ以外の存在、「アナーキー」な存在は実存しているのです。

そんな人々を、参考に、これからのわたしたちの存在を模索しても良いのではと・・・、思いました。


また、全部読み終わってから・・・、書きます。






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