英会話教室に十年ほど通っています。「一年に付きひとつの学校」というのがわたしのモットー。なので、もう十校は通っていると言うことになります。プラス、海外の英語学校にも、ほぼ毎年行っていました。もちろん期間はそんなに長くはありません。短くて二週間。だいたいは三、四週間です。でも、気合いを入れて行った時があり、その時は、十週間と十二週間でした。この時、念願のアドバンスト・クラスに進級できました。その後は、サボっているので、なかなかアドバンスト・クラスを維持できていませんが。
そんなことで、今までにたくさんの先生と出会いました。中には、面白い先生もいます。今でも思い出すブロンクスから来た先生なんかです。まだ、英語クラスに通い始めて二年くらいの時でした。わたしは、日本の英語の学校教育は素晴らしいと思っています。「話せないじゃないか」という批判もありますが、その文法教育と文章を読む力は、他の国の教育より群を抜いていると。とにかく、言いたかったことは、まだ二年だったけれど基礎が身に付いていたので、インターメディエット・クラスにすぐに成れたということです。つまり、そこそこの意思の疎通はできたということ。
その時の学校には、三人の先生がいました。わたしは、主にカナダ人の先生に習っていたのですが、その先生が辞めることになり、彼曰く、「今度の先生はブロンクスから来た先生だよ。きっと君と気が合うよ。」英語を習い始めてからの英語学習以外の副作用は、英語を話していると、日本人の「和の精神」を忘れてしまうと言うこと。あることないこと、相手がどう思うかという配慮なしに話してしまうのです。彼に一度、「例え君が完璧な英語をしゃべれたとしても、君の言うことは理解できないよ。」と言われてしまいました。彼の言う「君と気が合う」とは、そんなことを指していたのでしょう。
さて、彼が来ました。名前はデニス。二十四歳でした。わたしの最初の質問は、お決まり通りの「なぜ、日本に来たのか」で、彼の答えは、
「大学時代のガールフレンドが韓国人で、卒業後に彼女が国に帰ると言うので追いかけて行ったんだ。そうしたら、親族たちが会議を始めた。彼女に僕が相応しいかどうかって。」
「それで。」
「もちろん、アメリカ人なんて大反対だよ。受け入れられっこないよ。」
「でも、彼女の意志はどうなの。自由でしょ。民主主義の国だもの。」
「結局、皆に説得されたんだ。彼女は僕と別れると言う結論に達して、僕は此処にいるって言うこと。」
つまり、デニスは韓国でガールフレンドに振られたので、隣の国の日本に来たということらしい。デニスは、高校まではブロンクスで育ち、それから、マンハッタンのニューヨーク大学に進学した。わたしは、ブロンクスと言えば、ギャング映画のイメージしかありません。しかし、彼はブロンクスが好きだと言っていました。近所のパン屋さんには、ロバート・デニ―ロのサイン入りの写真が壁に飾ってあったと自慢げでした。「デニ―ロが近所に住んでいたのさ。」と。
もうひとつ、彼が高校生の時に宅配のアルバイトをしていた時の自慢話も聞かされました。自転車に乗って橋を渡って、デニスはいつもブロンクスからマンハッタンまで小包などを配達していました。「自転車はすぐに盗まれるから、配達先のビルに着いたら、自転車を止めてしっかり施錠しなければいけない。」と話して、「チェーンでぐるぐる巻きにするんだよ。」とジェスチャー入りで説明しました。
そしてある日、ビルの前で自転車をチェーンでぐるぐる巻きにしていた時のこと、通りの向かい側の電灯の下に、ポールに寄り掛かって煙草を吸っているとてもクールなガイがいた。ちょっと怖かったけれど、とてつもなく魅力的な奴だったので見入ってしまったと、彼は話しました。
「とてもイケテル、背が恐ろしく高くって、すっごく大きな奴だった。誰だかわかるか。」
「わかるわけないでしょ。」
「なんと、あのノートリアス・B.I.G.だったんだよ。」
「ラッパーの、路上で撃たれて死んだっていうビー・アイ・ジーなの。」
「彼は死んでないよ。それは作り話なんだ。彼は今も生きていて南アフリカで暮らしているよ。彼はどこに居ても、クールなラッパーなのさ。」
どうですか、この話。わたしは、時々、彼のストーリーを他のアメリカ人の先生に話してみることがあります。彼等コケイジョンは、ブロンクスから来た青年には辛辣です。「そんなことを信じているのか。」って、口を歪めて冷笑するのです。わたしも信じているわけではありませんが、デニスの話はとても不思議で魅惑的、他の先生の比ではありませんよね。
ブロンクスがどんなところか知っているかと、彼に尋ねられたことがあります。わたしは、正直に映画の中でのブロンクスしか知らないと答えました。想像もつきませんよね。
「だいたい君が想像している映画の世界みたいなものさ。みんな貧しくて、それでも一日中何もしないでテレビの前に坐っているだけ。僕もそんな風になっちゃうのが嫌であそこから脱け出したんだ。でも、良いところもあるよ。ベトナム帰りの片足のないおっさんがいた。僕たち悪ガキは、道端に坐って、彼がバスに乗るところを眺めていた。片足がないから、もたもたしてなかなかバスに乗れないのさ。『バスにも乗れないくらい、よぼよぼになっちゃったのか』って、皆で囃し立てていた。それが僕たちの励ましだったのさ。彼へのね。『この悪ガキが』って、彼はいつも怒鳴り返したけど、内心は嬉しそうだったよ。それがご近所付き合いっていうことさ。」
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