朝日新聞で『いま、子どもたちは』という特集記事が連載されています。その中で興味深かったのは、ある女の子のお話でした。彼女は罪を犯して更生施設に入っています。たいていの子どもたちは初め独居房で暮らしますが、すぐに落ち着きを取り戻し、皆と共同生活が出来るようになります。しかし、彼女は反抗的な態度が抜けきらず、なかなか共同生活に至りませんでした。
ようやく、そこから開放されて皆と一緒になると、自分よりあとに入って来た人が何かの係に就いていました。更生した人から何かの係に就けるのです。そこで、彼女は怒りに駆られて、また、暴れて泣きだしてしまいます。
スタッフがどうして「泣いているのか」とたずねても彼女は自分がなぜ泣いているのかがわかりません。感情を表すことばを知らなかったのです。知っている言葉は「ウザい」とか「うるせえ」とか単純な「悲しい」とかいう言葉のみ。スタッフは彼女が言葉を紡ぎ出すのを気長に待ちました。そして彼女が自分の感情をことばで表わせるようになった時、彼女の「怒り」も消えました。
わたしも何かを悩んでいるとき、何を悩んでいるのかことばで表わそうと試みます。自分が何を悩んでいるのかを「文字化」出来たら、悩みの90%は解決したも同然です。語彙力は重要です。
以前、『キレる若者』という特集記事がありました。その時も自分の感情を言葉に表すことが出来ず、イライラしてキレるのだとありました。ちょうどその頃エジプトに旅行しました。ツアーですが。そこで、自分の感情を表現できないと「おとなもキレる」と感じました。帰りの空港のショップで買い物をしていた日本人のおばさんがレジで言葉が通じず、キレているのを目撃したからです。彼女の後ろにわたしは並んでいましたので、どうしたのかと助け船を出したところ、私の方は一切見ずに「買ってないものを袋にいれている。」と叫びました。そして、買った物も全部いらないと言うので、「彼女はすべてキャンセルすると言っています。」とレジの人に言うと、「そうキャンセル、キャンセル。」と怒鳴って、去っていきました。
そんな訳で、ヒトは言葉で感情を表わさなければ生きていけないのだと。それは何故だろうかと。思うに、ヒトは生きる上で「ヒト一人」で完結していないからではと。特に都市生活者は。もちろん動物もある種の言葉を持っています。餌があるとか敵が来たとかを仲間に知らせる記号みたいなものです。しかし、ヒトはそれ以上に自分の感情を仲間に知らせなければいけない。人と人は支え合ってしか生きられなくなっているからです。わたしはこれをするからあなたはこれをしてと。
道徳的なことを言っているのではありません。わたしの疑問は「なぜ人はひとりで生きられなくなってしまったのだろうか」ということ。自然のままに、ひとり餌を探し求め、見つけたら食べ、見つけられなかったらお腹をすかして夜を過ごす。そうやって、ひとり自由に暮らしていける道はなかったんでしょうかねえ。
文明、社会、支配、国家、etc.etc.の中で、葛藤しつつ生きて行くんですねえ。
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