2016年10月7日金曜日

「折々のことば」


朝日新聞に毎朝掲載されているコラムです。今日の言葉は、

 

人は、ことばを覚えて、幸福を失う。

そして、覚えたことばと

おなじだけの悲しみを知る者になる。    (長田 弘)

 

でした。

 

絵本『幼い子は微笑む』からとありました。人がこの世で始めて覚えた「ことばでないことば」、そう、微笑みを忘れて、ことばを操るようになると。赤子は人々の間で生きていく間に「ことば」を獲得するが、何もわからず、微笑みを返していた時の「幸福」は何処に、と。

 

わたしは、あかちゃんのことは考えませんでしたが、人類が「ことば」を獲得した時、失ったものが多くあるのではないかと考えていました。もちろん言葉のおかげで、人間はいろいろなものを得ました。文明も、進歩も。しかし、「ことばでは表せないもの」をすべて失ってしまった。

 

「便利になった分、失うものがある」と同じ理屈です。機械に頼るばかりにその機械が無ければ何もできない。火を熾せない。星座から方角を知ることが出来ない。コンピュータが無ければ図面を引けない。将来、水道の蛇口を回せない人が現われるかも。

 



 

「ことばから得られる感動」の話はよく聞きます。「だから本を読め」とか言う類の事。しかし、言葉では表せないところから来る感動もあります。でも、人はその感動を表現できない。説明できない。だから、言葉を得た今では、それは無いに等しい。

 

ことばのない世界では、きっと宇宙との一体感、地球との一体感、全ての物との一体感、ただ「存在している」だけの幸せが……、無いでしょうかねェ。








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