『奇跡の大河』 J・G・バラード著
J.G.BALLARDの原題はTHE DAY OF CREATIONを読みました。バラードはわたしの大好きな作家です。この本は、昭和63年に買ったようです。そうなんですが、つい先日読み終えました。つまりこの本も「老後の楽しみ」のために買っていた本だったと言うことです。フィリップ・K・ディックの本も同様なんですが、目についた時にとりあえず買っておいた…、という事。
彼の初期の作品は、シュールレアイスティックな作風で、主に短編小説を書いていました。そのシュールな内容は、その頃のはやりでした。SF小説に分類されるものの、「現代小説」の風格がありました。そして、少々難解。しかし、少々、お話の方はわからなくとも、その奇妙な雰囲気は、十分に魅力的でした。
その後、彼は、長編小説を書きます。彼のテクノロジー長編三部作と言われる『クラッシュ』『コンクリート・アイランド』『ハイ-ライズ』は、内容は、かなりシュールであるものの、話の筋は簡明で理解可能です。
この『奇跡の大河』は、長編であるとともに、後者の流れをくむものと思われます。内容はとても奇妙だけれど、話の流れは、「冒険・探検」ものと言った感じです。舞台はアフリカ。サハラ砂漠の南の方と思います。ポール・ラ・ヌーヴェルと言う所です。名前の感じからも推測できるように、以前フランス領だった所。今は、「いつもの如く」、盟主国が去った後の政府とゲリラの内戦状態。主人公のマロリーは、WHOから派遣された医師ですが、なんやら胡散臭そうな人物。
彼は、干上がったコト湖を灌漑しようと努めています。そのため、フランス軍が置き去りにしていったトレーラーでコト湖を探索していた所、切り株に衝突し、トレーラーが地面に陥没します。そして、あ~~~ら、不思議、そこから、水が噴き出してきたのです。それは、あれよあれよという間に、大河になって、サハラ砂漠に流れ込んで行きます。第三のナイルの登場です。
主要な登場人物は、政府軍の将軍、ゲリラの親玉、獣医であるローデシア人の取り残された未亡人、ゲリラでマロリーを射殺しようとした13歳の少女、そして日本のテレビ局にドキュメンタリーを売り込もうとしているサンガー教授(オーストラリアの血を引くたぶんイギリス人)、その科学顧問インド人のミスター・パル、日本人の女性カメラマン、ミス・マツオカです。これらの人物が、雑然と絡み合って物語が進んで行きます。
マロリーは、政府軍の将軍から強制退去を命じられていましたが、船を盗み、自らが作り出した(?)川に逃げ出します。彼の目的は、この大河を抹消すること。川の源まで辿り枯渇させようとの思惑です。「なぜか」とは、聞かないでください。彼のあやふやな妄想から来たものなのかな~~~。そして、彼を殺そうとしている、13歳のゲリラの少女と付かず離れずの生活。お互いに惹かれあっているのか、目的が同じなのか???
粗筋を書いたところで訳がわからないと思いますが、思うに、以前読んだ『コンクリート・アイランド』の登場人物のように、人が文明から逃避するうちに薄汚れて行き、人の尊厳も無くなっていく……、そしてそこがその人の棲みかとなってしまう、ということでは。現実と妄想の世界も混濁し、どちらがどちらかわからなくなっていく……。もうひとつ、「残忍な少女」というのも著者のキーワードではないかと思います。少女と大人の間の微妙な生物。そして、若さ故の残虐性。
解説で浅倉久志氏は、次のように述べています。
「さて、この新作は、60年代の名作、『沈んだ世界』や『結晶世界』のころに回帰したような作品である。サハラ砂漠のまんなかに突如として出現した第三のナイルという魅力的な設定に加えて、砂丘や、熱帯の密林や、陸揚げされた船や、軍事基地の廃墟など、あの懐かしいバラード風景がぞろぞろ現われるのもうれしい。現実なのか、それとも高熱にうかされた主人公の幻想か、区別のさだかでない事件が連続するが、語り口は克明な写実描写で一貫している。これぞ魔術的リアリズムのラテン・イギリス文学という感じ。」
実際、わたしもこれを読んで、リョサの『緑の家』を思い起こしました。しかし、魔術的リアリズムといえど、ラテン・アメリカの得も言われぬ「どろどろ性」とは違った洗練された「イギリスの魔術」のような「さらっとした」趣ではありました。
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