俳句への道は、まだまだ取り掛かっていませんが、新聞などで俳句、短歌コーナーがあると、ついつい目が行ってしまいます。と言ってスキャンするだけで、すべてを読んでいるわけではありません。
つい先日、その伝で朝日新聞の「東海歌壇」に目を泳がしていると、ひとつの歌が目に入ってきました。
「パソコンが話しかけろと言っている独り言なら声出るものを」
その通り!!!
今年の初め頃、パソコンを買い替えました。何か前のパソコンにはないキーがあったので、ちょっと押してみると、「何か言え。」と言ってきました。え~~~ッ、と思って絶句している間に、「音声が聞き取れませんでした。」と言って、シャットダウンされてしまいました。その後も、間違えてそのキーを押したことがありますが、わたしは何も話しかけることが出来ず、パソコンは呆れたように閉じてしまいます。
何故、機械に話しかけることが出来るのでしょう。わたしは「恥ずかしさ」に黙り込んでしまいます。昨今、テレビのコマーシャルでも、よく見かけるシーンです。端末に話しかけて何かを通販に注文するとか、灯りを消すとか……。
「オーケイ、グーグル。」なんて恥ずかしげもなくよく言えますねえ。または、スマホに話しかけて質問するとか。最近では、「車に話しかけろ」とコマーシャルは言っています。子供の時からこんな状況で育つと、どんな風になるのだろうかと思いますが、それはそれで時代は進んで行くのでしょうか。
最近、「子供は、大人と比べてロボットからの『同調圧力』に従いやすい。」という記事を読みました。
会話や意思疎通が出来る人型ロボットの開発が世界中で進んでおりますが、そんなロボットが人に与える影響を調査したものです。自分が正しいと思っていても、周囲の回答につられて誤答してしまうかどうかの実験です。3体の人型ロボットが加わり、3体とも間違った回答をします。大人の場合は正答率が変わりませんが、7~9歳の子供の場合、ロボットの回答に同調しがちだという結果が出ました。
結論は、「自律のロボット」が教育を担う時代は遠くない。そんな時代のために、ロボットが子供に悪影響を与えないような規制が必要かどうかの議論が必要との見解の様です。
どうでしょうか。
文明は日々進化しています。現代のわたしたちも昔の人が出来ていたことが出来なくなっています。単純な例では、火が熾せないとか。それでも我々は、不便さを感じず、進化し続けます。しかし、今回は少しオカシイ。それは、人が人でなくなってしまいそうな進化だからではないでしょうか。
今のところは大丈夫ですが~。(わたしが生きているうちはまだ大丈夫そうです)。
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