2019年5月5日日曜日

だんだんと年寄り染みて来ました。






前回、ついつい自分の歳を計算してしまうと書きました。あと10年経つと何歳になると言ったようなことです。そして恐怖心が湧いてきたという事も。もうひとつ、最近思うのは、若い人の命の尊さです。子供が事故などで亡くなると、ああ勿体ないと。

自分が若い時には、「誰が何歳で死んだ」という事には、あまり関心ありませんでした。ただ「人が死んだ」という情報のみの関心です。





今年の初めに息子と道後温泉に行きました。名古屋からなので、長い旅路です。そして、もうすぐ松山駅に着くという手前で、乗車していた列車が事故で止まってしまいました。2時間遅延したら料金払い戻しと言うところでしたが、結局は、1時間50と何分かの遅れでした。

まあ、それは良いのですが、

車掌さんが通るたびに近くの客が様子を聞きます。初めは、踏切で人身事故が起きたと。

息子と、
「なんだかこの頃よく踏切事故が起こるねえ。」と言う会話を。「よくじゃなくて、起きる可能性が、割合が増えたんだよね。」

そうなんですよね。文明の利器の発展によって、「人間力」が落ちてきたのかなあ~。というのは「またの話」という事で、今回は関係ないのですが。

次の情報は、それが子供だったというものでした。そして、死亡したと。警察の鑑識があるから時間がかかりそうとの事。

息子と二人で「酷いことだねえ~。」と。

わたしが、
「子供が死んだら、世界で一番目の年寄りが代わりに死ぬというのはどお。神様は何とかしてくれないかねえ。」と言うと、「それは無理。」と。

「でもさあ、年寄りは何かあると『代われるものなら、わたしが代わってあげたい。』と言うよ。わたしがこどもを生んだ時でもさあ、あなたの事だけど、わたしがウンウン呻っていたら、掃除のおばさんが『代われるものなら、代わってあげたい。』と言ったよ。心の中で、代わってくれ~と叫んだよ。」

「あなた、相当年寄りに悪意があるんじゃないの。」と言われました。

しかし、如何にも勿体なくありませんか。









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