2021年4月24日土曜日

英語の勉強の一環として

 



 『The complete Short Stories of ERNEST HEMINGWAY』

 

ヘミングウェイの作品は、と言うか、古典と呼ばれる純文学には興味がありませんが、以前(多分2001年)彼の息子のグレゴリー・ヘミングウェイ (19311112 - 2001101)が自殺したとの新聞記事を読み、彼のことを調べてみたのです。と言うのは、記事の内容が「彼の息子が女子刑務所で自殺した」とあったから。彼の息子は、女装して道でラリっていたところを警察官に捕まり、女子刑務所に収監されたのです。そしてそこで首を吊って死にました。息子は偉大な父、「パパ・ヘミングウェイ」の犠牲者でした。ヘミングウェイも自殺して最期を遂げますが、彼の家族もほとんどいっていいほど自殺して亡くなっています。

 

彼はスペインに相当思い入れがあると思いますが、どうでしょうか。

 

The Capital of the Worldは、マドリッドです。主題は、このマドリッドにあるホテルLuarcaで起った出来事、一夜の出来事です。青年Pacoが主人公。彼の姉たちが先にこのホテルでメイドとして雇われ、弟をボーイとして推薦しました。彼等の住んでいた田舎町は、良い人材が豊富との評判でPacoもすぐに雇い入れられたのです。彼についてこのように描写されています。

 

He was a well built boy with very black, rather curly hair, good teeth and a skin that his sisters envied, and he had a ready and unpuzzled smile.  He was fast on his feet and did his work well and he loved his sisters, who seemed beautiful and sophisticated; he loved Madrid, which was still an unbelievable place, and he loved his work which, done under bright lights, with clean linen, the wearing of evening clothes, and abundant food in the kitchen, seemed romantically beautiful.

 

そのホテルには数人の人々が宿泊していました。

 

There were from eight to a dozen other people who lived at the Luarca and ate in the dining room but for Paco, the youngest of the three waiters who served at table, the only ones who really existed were the bullfighters.

 

え~~~ッと、「この世に本当に実存しているのは、闘牛士だけだ。」と言う事で、パコは闘牛士に憧れていると読んだのですがいかが。



 

宿泊人は、二人のピカドールと一人のバンドリヨン、三人のマタドール、そして二人の司祭とビジネスマン(the birthmarked-faced auctioneer of watches at the fairs and festivals of Spain)が一人です。彼等一人一人の描写、そしてその夜のそれぞれの行動描写がありますが割愛。

 

ウェイターのうちの一人が、その夜労働者の会合に出なくてはいけないので、パコがその代わりを引き受けます。そのウェイターが言うには、

 

There are the two curses of Spain, the bulls and the priests,

 

どうもスペインの三大要素は、闘牛、カソリックそして労働運動のよう。このウェイターの政治談議が少々あったあと、パコの感想は、

 

Paco had said nothing. He did not yet understand politics but it always gave him a thrill to hear the tall waiter speak of the necessity for killing the priests and the Guardia Civil.  The tall waiter represented to him revolution and revolution also was romantic.  He himself would like to be a good Catholic, a revolutionary, and have a steady job like this, while, at the same time, being a bullfighter.

 

やはり彼の中にもこの三大要素があるようです。

 

そしていよいよクライマックスへ。

 

食堂から宿泊人がすべて引き払った後、ウェイターたちも引き上げます。最後に残ったのは、キッチンで皿洗いをしていたパコより三歳年上のボーイEnriqueとパコ。二人で後片付けをしながら、パコは皿を拭いていたナプキンで闘牛士のまねごとをします。すると、エンリケが「そんなんでは闘牛は殺せない」と言います。その上、闘牛を目の前にしたら、怖くて震え上がるよ、と。パコはそんなことはない。僕はいつも練習しているんだと。「そんなの想像の世界でだろう」とエンリケ。

 

エンリケはそれでは震え上がるかどうか試してみようぜと、肉切り包丁を二本抽斗から出して椅子に縛り付けます。パコはエプロンを手に取り闘牛士、エンリケはその椅子を持って闘牛の役。パコはあまりに真剣にするので、エンリケは「これは冗談だよもうやめよう」と言ってもパコは聞かず。そしてとうとう、

 

Then the bull turned and came again and, as he watched the onrushing point, he stepped his left foot two inches too far forward and the knife did not pass, but had slipped in as easily as into a wineskin and there was a hot scalding rush above and around the sudden inner rigidity of steel and Enrique shouting .

 

“Ay, Ay, Let me get it out! Let me get it out!” and Paco slipped forward on the chair, the apron cape still held, Enrique pulling on the chair as the knife turned in him, in him, Paco.

 

パコの腹部から血がドクドクと流れ出します。エンリケはあわててナプキンでお腹を押さえるように言い、医者を呼びに行くからと。パコは心配するなとエンリケに言いますが、医者を呼びに行ったエンリケがいなくなった後、パコはこんなことが自分に起るとは信じられないと思います。最後に司祭に会いたいと。パコの最後です…、

 

“Oh, my God, I am heartily sorry for having offended Thee who art worthy of all my love and I firmly resolve…..” he felt too faint and he was lying face down on the floor and it was over very quickly.  A severed femoral artery empties itself faster than you can believe.

 

まるで演劇の一場面を見ているようです。スポットライトに浮かび上がるパコが、お腹をナプキンで押さえながら神に許しをこう。そして、息が途切れるとともに舞台は、暗転。

 

エンリケが医者と警官を連れて戻って来た時、パコの命はもう事切れていました。ヘミングウェイは、この事件が起きている間の他の登場人物の行動を描写しています。マタドールや司祭やビジネスマン、そしてパコの姉たちのことです。パコが死んだ時、彼の姉たちは映画館で、グレタ・ガルボ主演映画を見ていました。

 

……the two sisters of Paco were still in the moving-picture palace of the Gran Via, where they were intensely disappointed in the Garbo film, which showed the great star in miserable low surroundings when they had been accustomed to see her surrounded by great luxury and brilliance.  The audience disliked the film thoroughly and were protesting by whistling and stamping their feet.

 


そして、著者はこう書いています。

 

パコは死んだ。他の人々がそれぞれ好きな事をしていた時に。彼は若くして命をなくし、もう彼等たちが経験したことを経験することもできないのだ。そして自分がどうして死ぬのかもわかっていない。最期の懺悔もできなかった。グレタ・ガルボの映画に文句を付けることももう出来ないのだ。

 

The boy Paco had never known about any of this nor about what all these people would be doing on the next day and on other days to come.  He had no idea how they really lived nor how they ended.  He did not even realize they ended. He died, as the Spanish phrase has it, full of illusions.  He had not had time in his life to lose any of them, nor even, at the end, to complete an act of contrition.  He had not even had time to be disappointed in the Garbo picture which disappointed all Madrid for a week.

 

 

どうです。ステキでしょ。素敵な「犬死に」でした。。。

 



2021年4月21日水曜日

珍しく、、、

 



坂口安吾の著作の広告が新聞に載った。最近は忘れられた存在の如くだったが、未発表の原稿が発見された模様。


生まれたのは、明治39年。


『残酷な遊戯・花妖』という題名。「誰もその存在を知らなかった新発見原稿」との事。


そそられるワァ~。


と言って、坂口安吾の作品は『不連続殺人事件』しか持っていない。その他、アンソロジーか何かで、他の作品を読んだかもしれないが。


購入するかどうか思案中。




2021年4月19日月曜日

何故か、買ってしまった。

 

 


藤沢周平の本を買った。が、わたしは彼の事を知らない。知っているのは、彼の名前と時代小説作家だったという事、純文学的作風ではなく何やら「書きものの職人」と言ったような作風らしいという事くらいだ。

 

純文学的時代小説とは「どんなものか」とは、知らない。時代小説自体をあまり読んだことはないものの、彼の作風は今までわたしが読んだ時代小説の範疇からは外れる正調派のよう。

 

時代小説に関してもわたしの趣味は、怪奇・幻想・妖気漂う…、といったもの。例えば、半村良や山田風太郎。そして、産前産後の育児休暇の間には、柴田錬三郎の『眠り狂四朗』を全巻読破した。何巻あったかは定かではないが、15~20(?)くらい?

 

そこで、何かの気の迷いで「藤沢周平」である。なにやら人情話っぽいのだ。賭場の壺振などのやくざっぽい登場人物が、少女の純情とか、市井の無垢な人々の情けに感じ、自分の「キャラに無い」なにか良い事をしてしまう…、といった態らしい。わたしが一番キライな「お涙頂戴物」だ。

 



なぜ、買ってしまったのかなあ。ちょっと「心が弱っている」のかもしれない。とにかく買った本の題名は、『夜の橋』。短編集だ。「表題作他八篇」とある。

 

「博打に溺れたせいで夫婦別れした「おきく」が、半年ぶりに訪ねて来た。再婚話の相談で、もう自分には関係ないと一旦は突き放す民次だったが、相手がまぎれもないやくざ者とわかるや、危険を顧みず止めにでる……雪降る江戸深川の夜の橋を舞台に、すれ違う男女の心の機微を哀感こめて描いた――」

 

と、文庫本の説明書き。

 

どうでしょう。ググッと来ますか。

 

わたし、きっと泣いてしまうなあ。くだらないと思いつつ、何にでも泣いてしまうのだから。だから、「わたしの感情」を勝手に揺さぶるこの手の本(ドラマや映画も)には近づかないようにしているのに。「涙とともに弱った心が浄化されるかも」とでも思ったのでしょうか。





2021年4月16日金曜日

コロナ禍で。。。

 



家でゴロゴロしています。


それで、今までに買った本をチラチラ眺めてみました。ちょっと、頭もボーっとしているので、なるべく読みやすく、薄い本に挑戦してみましょうと。。。


それで、唐十郎の『少女仮面』をみつけました。戯曲集です。「少女仮面」のほかに、2作品の掲載です。「ジョン・シルバー」と「少女都市」。


それで、読み始めています。途中です。紙は茶色に変色し、かび臭い臭いもします。これも、この本の雰囲気に相応しいかも。


感想は、またの機会に。




2021年4月12日月曜日

今日の思いつくままに。

 



以前、新聞記事で、『「切符」を知らない若者たち』というのがありました。電子カードが出現してから生まれた世代は、切符というものを買わないからです。今朝のワイドショーにも「切符を買ったことがない。」という若い人がインタビューされていましたカードを忘れたので、切符の買い方をラインで母親に聞いたと。。。


それはそれとして、今回は、「おつり知らない子供たち」です。小学校低学年の算数の問題で、「おつりはいくらでしょう。」という問いを出すと、先ず「おつりって何?」という質問が出るとか。


やはり、親がカードで買い物をするので、「おつり」というものを見たことがないということ。電子カードでおこづかいをもらう子供もいるようです。履歴がわかって何を買っているかわかるからという理由で。


コメンテーターは、「これからは、違った算数の問題を考える必要がありますねェ。」と言っていました。




勿論そうでしょう。時代を戻すことはできませんから。でも、これで良いのかと思うのは、わたしが古い世代に属しているからでしょうか。


以前も書きましたが、「OK,グーグル!」はどうでしょう。なんでも声を出してAIに指示するだけで、生活が出来てしまう時代が来たら、人間は、何もかも忘れてしまうのではと。。。


先ずは、スイッチ。部屋の照明をつけるのも掃除機を始動させるのも一言呪文を唱えるだけの生活。もし、何か問題が起きた時、ハッカーなんか、人はスイッチを探して電灯を点けられるのでしょうか。


以前、友達がエアコンのリモコンが壊れて冷房が止まらなくなったと言っていました。「止め方がわからないので、冬のパジャマを出して一晩過ごした。」と。たしか、本体の中にスイッチはあったと思うけどなァ~。


こんな事です。ヒトは進化しているのでしょうか、退化しているのでしょうか。





2021年4月11日日曜日

アスリートのオドロキわざ

 




アスリートの人達が出演しているテレビ番組を見ていると、凄い人々がいっぱいいると気付きますネ。


以前、居合抜きでピッチングマシーンの剛速球を斬るという驚きのパフォーマンスを見ました。真っ二つでした。


昨日は、キックボクサーが、同じくピッチングマシーンの投げた球をパンチで打ち返すと言う番組を見ました。


その他もいろいろな事を出来る人がたくさんいますネ。


こうなると、昔、日本に「忍者」がいたという事が、ホントだと信じられますネェ。




2021年4月8日木曜日

日本の文学界で「探偵小説」から「推理小説」に変わる時の本格ミステリ作家です。

 



『方壺園』

 

「ミステリ短編傑作選」とありますが、本格ミステリではありません。作者は、陳瞬臣です。以前、中国文学の『愉楽』という本と出会い、中国文学に興味が湧いてきたのですが、中国の本がなかなか日本語に訳されません(上海にいた時、いつもの癖で本屋さん巡りをしていたのですが、中国の本は漢字ばかりで⦅当然の事ですが⦆、こんな本をよく読めるなあと思っていました。)。

 

しかし最近、中国SFが流行りだしているようで、時に新聞広告で見かけます。それで、この本も中国の作家の本かと思ったら、大間違い。日本の作家でした。わたしの見識不足です。超・有名な人だったようなのです(神戸生まれ)。

 

昭和30年代後半、日本において「探偵小説」から「推理小説」に変わる時に出てきた作家で、その時には同じく松本清張や二木悦子、笹沢沙佐保、都筑道夫、西村京太郎等々がデビューしました。

 



 

本は一部、二部に分かれています。第一部は、1962年発刊された中央公論社の「第一作品集」をそのまま収録しています。第二部は、第3短編集『紅蓮亭の狂女』から3篇が収められています。全ての作品が「密室殺人」の謎解きです。

 

 

さて、冒頭で「本格ミステリ」だはないと書きました。それは、密室殺人のプロットはホントに見事に仕掛けられ、謎が解かれるのですが、どうもそれがメインテーマではないような。アマゾンの書評をパラパラと読んでいたら、ある人が「人情話」と評していました。わたしには、人情話という感じはしませんが。

 

しかし、このミステリは警察官とか探偵と言った類の人が出てこないのです。たまたまそこに居た人とかが真相を暴きます。が、犯人が捕まることはありません。犯人が自殺した後に真相がわかるとか、もう病死寸前で犯人と名指しすることなく終焉するとか、何年も後に事件を知った人が、謎解きをするとか……、そんなような事です。

 

これは、なんでしょう?共通することは、殺された人が、とんでもない極悪非道な人だという事。殺人者は、それに耐えきれず、あるいはプライドをひどく傷つけられたという事で犯行を犯します。

 

なので、「謎解きをする」というよりも、事件がおこった 経緯を描写したかったのか、それとも事件の背後にある「おどろおどろしさ」を書きたかったのか。ところどころ、江戸川乱歩を思い出します。最後に収められている『紅蓮亭の狂女』は、その傾向が多大に認められ、怪奇小説のよう。圧巻です。

 

最後に、同期の綺羅星のような作家の中で、「当時のミステリ作家が取れる大きな文学賞、江戸川乱歩賞、日本推理作家協会賞、直木賞のすべてを取っているのは、陳舜臣ただ一人である。」という情報を得ました。こんなことも、ミステリというよりも「小説」の方に傾いている…と言えるかも。

 

本人は、ミステリ作家であることに矜持を持っていたようですが。





2021年4月6日火曜日

春ですねェ。。。

 




うちの落葉樹に葉が芽吹いてきて、若葉が出始めた。


また、庭がジャングルになってくるよ~~~。


春が来ても、わたしは、まだまだ、外には出られないのだ~~~。





2021年4月1日木曜日

大江健三郎 『同時代ゲーム』






大江健三郎の『同時代ゲーム』を読み直すことにしました。

と言うのは、昨日の新聞で確か「大江を読む」と言う記事と思いますが、この本の事が取り上げられていたからです。その記事の中で、『同時代ゲーム』は、今の南米の「マジック・レアリズム」に匹敵すると書かれていました。この本が書かれた頃は、まだ、その概念がなかったので、その観点からこの本を読むのも面白いと。

ふ~~~ん、なるほど、と。

南米の作家であるガルシア=マルケスとか、バルガス=リョサ等の作品は大好きです。そんなことで、もう一度読もうかなあ、と。

まあ、宣言して、自分にプレッシャーをかけるという事でしょうか。

結果は、また。。。