2021年7月15日木曜日

最近、思っていること。。。


 

それは、日本語についてです。


最近、このコロナ禍で、テレビのワイドショーは、ほとんどこの話題です。その中で、英単語が使われる頻度が上がっているなと思います。例えば、エヴィデンスとか、エッセンシャルワーカー等々。


今までわたしは、「ちゃんと、日本語があるでしょう。」と思っていました。つまり、日本語を使えよ、と。幕末から明治にかけて、たくさんの外来語が入ってきました。それをその都度日本語に置き換えていた当時の人達の苦労を思うと、日本語を捨てないでくれ~、と思うばかりでした。


私たちが母国語で科学とか数学とかを語れる、勉強できるのは、唯々彼らの御蔭なのです。自国語を使わないで、英語やその他の先進諸国の言語でしかそれらを語れない国々があります。それは、それらの国にそのような学術用の概念がなかったからです。



しかしながら、


テレ朝のモーニングショーの玉川さんが、「エヴィデンスは証拠と言う日本語があるが、微妙にニュアンスが違うので……。」と言っているのを聞きました。そんな英語のニュアンスまでわかる日本人がどれだけいるのか、思いましたが、明治の外来語の日本語化もそんな側面があります。


日本語に直された言葉と、もともとの言葉の意味が微妙に違うという事。それで、原語で本を読んだ方が、より良く理解が出来ると言うことも起こります。


そこで考えたのは、元々我々が思っている日本語は、日本語でなかったのではという事。つまり「やまと言葉」ではない。聖徳太子のころ(もっと前か?はわかりません。)、律令制度などが日本に入って来たとき、それに合う言葉、漢語が入ってきました。その時、漢語を日本語に置き換えたのです。


我々は、言葉を置き換えて発展してきました。そして、明治の頃に「外来語を日本語に置き換えた」と言う意味は、西洋語を漢語に置き換えたということではないかと、思い始めたのです。難しい熟語など考えなければ理解できません。「相対性理論」なども英語で the theory of relativity と言う方が解り易いです。


現在、英語が世界を席巻している理由は、インターネットの用語によります。膨大な関連用語をそれぞれの国が自国語に翻訳しきれなかった、と。だから、日本語が英語を受け入れるのもアリかなと。


エヴィデンスもエッセンシャルワーカーも受け入れようではないかと。でも今度は、漢字ばかりの日本語がカタカナばかりになるかも……ですネ。






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