2022年12月31日土曜日

無題

 



今日の「折々のことば」です。(朝日新聞のコラム)。


「わかる」と言ってくれる人ほど敵だ。(品田遊)


ニュースに「許せない」と憤り、猫を見て「ほっこり」し、英雄譚に「スカッと」する。人の感情は「出力そのものにあらかじめ反応が織り込まれている」と作家は言う。ちょっとしたモヤモヤもすぐにみなと同じリズム乗せられる。そんな滑らかさが嫌で、一日の終わりに『淀み』を残すために日記をつけていると。ーーー鷲田清一・解説



この間の「折々のことば」には、「愛すべき愚かな隣人が苦境の時に助けてくれる人々なのだ。」というような物があった。


わたしは、その通りだと思う。

知り合いが、田舎の生き辛さを語っていた。何でもおせっかいに口を挟んでくる人。根掘り葉掘り聞いてくる人。プライバシーをどう思っているのかと。


わたしは言いました。でもそういう人こそが、道端で転んだ時に一番に駆け寄ってくれて、助け起こしてくれて、「大丈夫か?」と言ってくれるのだと。(「愚かな」隣人と言ってしまうのはどうかと思うが。)



が、今日の「折々のことば」にも共感する。


ちょっとした友人が、本当に平凡な単純な本を読んで、「面白い。勉強になる。」と言う。わたしが、何かの話で「大江健三郎の『死者の奢り』を読み返してみた。」と言ったところ、「難しい本を読んでいるんだね。でも、それは、私も読んだよ。ドロドロした話だったけど、読み終わった後、なんかスカッとして、爽やかに気分になった。」と、同じ彼女が言った。


爽やかになったって。。。わたしは、読み終わったあと鬱々して、しばらく立ち直れなかったのに。。。


彼女は、本当に良い人で、だから友達でいられる。しかし、なぜこの文章を書いているかと言うと、


先日の忘年会の事。わたしはビールを飲むが、彼女は飲まない。カシスソーダを飲んでいる。なにかの拍子に、「そんなマイナーな本ばかり読んでいるからだよ~。」と言ってしまった。その瞬間「しまった!」と思ったが、彼女は、どの本の事と言ったので、「内田康夫だよ。」と言ってしまった。


だから嫌なんだよ~。飲まない人と酒席を持つのは。こちらは、口を滑らすが、相手は素面だ。そのあと、わたしは、またも鬱々し、未だに尾を引いているのだから。




2022年12月29日木曜日

巣籠


 

もう今年も終わりに近づいてきました。例年、巣籠です。「本を読む。」とか……言って。


例年、3~4冊本を買い込みますが、今回は、買っていません。しかし、毎年、読み残した本が溜まっているので、問題ナシです。


今、『川端康成 異相短篇集』を読み始めました。興味深い!すぐ読めそうな気がします。


その他、読めそうな小説は、

『失われた時のカフェで』

『パウリ―ナの思い出に』

『夢のクラウド』


等々、まだ有りますが、今回はこの3冊にしておきます。




2022年12月21日水曜日

読書ノート

 



今、現在進行形で本を読んでいます。『旧約聖書がわかる本』という題です。対話形式で書かれているのでわかりやすいというキャッチ。


私は、キリスト教に興味があるという訳でなく、実際旧約聖書はキリスト教に関係ありませんので、思想書とし興味があります。そういう点で、とても解り易く、なぜこのような本(聖書)が書かれたのかの時代背景やユダヤ人とは?とか、一神教にどんな意味(どうして一神教でなくてはいけないのか)など、今まで読んだところまで……大変興味深いです。


読書ノートを付ける習慣はなくなっていたのですが、なにか、ノートを取ってみようかという気分になりました。


第4部まであるところ、まだ第2部までしか読んでいませんが、ちゃんと感想文が書けるよう努力いたします。




2022年12月7日水曜日

行動なくしては、何も始まらない。


 

なんて、たいそうな話ではありませんが、先日「能」を見に行きました。人生で一回は見てみたいと思っていたのです。名古屋能楽堂開館二十五周年記念公演があり、1000円という安さで、観賞することができました。


という事で、まったくの初心者の感想です。


内容は、パンフレットに書いてあったあらすじでしかわかりませんでしたが、面白かったのは、


舞台がとてもシンプル。舞台装置なし。笛と小鼓、大鼓、地謡の面々。そしてシテ、ツ    レ、ワキの三名。後見という人々もいました。何をする人かはわかりませんでした。


見ているとわかりました。後見は、その時に必要な小道具を持って行ったり下げてりする人でした。シテが座る椅子を持っていきました。いらなくなったら片付けました。シテが持っている刀を抜きました。それを投げ捨てましたが、後見がさり気なく片付けました。

日本演劇特有の黒子でしょうか。




笛と小鼓と大鼓、地謡のアンサンブルもシンプルでとても興味深かった。古代ギリシャ悲劇の舞台の構成のよう。やはり古代演劇構成が引き継がれているのでしょう。「前衛演劇」が流行った時代もそんな要素があったと思い出しました。


能面には興味があり、写真本など持っています。が、写真は正面ばかり。実際に能面を付けている人が横を向くと、その横顔を見ることができて感心しました。日本人の顔でした。


とても充実した時間、空間を過ごしました。家でNHKの能の放送を見てみようかという気になることもありますが、家という空間では、こんなに充実した時を過ごすことは出来ないでしょう。


という訳で、どこかに出かけなければ「感動」は得られないというお話です。


また、ブルーノートでも行ってみようかなあ~。